第229話・合印とのこと
「おらぁっ! はよせきよういせんかいわりゃ」
うん、来たよこういうバカ。
ロン毛のチーマー(さすがに古いか)と、すこし無精髭を伸ばしたようなサングラスの二人組。
「い、いらっしゃいませ、旦那さま」
オレや里桜ちゃん、星藍、恋華、花愛以外にも接客をしているウェイトレスがおり、そのウチの一人が入ってきた二人組にちいさく頭を下げる。
「あっと……旦那さま、本日は天気もよろしいので外を行き交う雲霞の流れを見ながらお茶を嗜んではよろしいかと」
スッと、対応しているウェイトレスの前に、それこそ割って入る。
「んだぁてめぇ? 見ねぇ顔だな」
「本日限定でお手伝いをしております」
チーマーがオレを睨むがね。うちの祖父さんのほうが怖い。
いまだに道場に通っていた時、教えられていた時は殺されるレベルに鍛えられていたトラウマ持ってるからなぁ。
真鈴や花愛には厳しいけど甘かったし、香憐は喘息持ちだったから特に気を使っていた。
うん、オレもいちおう愛孫なんですけどねぇ、鞭しかなかったよ。
いまだに正月とか盆の集まりで祖父ちゃんの家に行くと、道場で投げられるしなぁ。
というか身長が若干オレより低い。
首痛くならない?
「うわぁ、なんだろう残念な未来しか見えない」
ちかくで花愛が苦笑を浮かべた声が聞こえてきた。
「っていうか止めなくていいの?」
「あぁ大丈夫です。いちおうパパがこっちを窺っていますから」
星藍と里桜ちゃんの話に従うかのように、チラリと厨房のカウンターに視線が向いた。
剛さんが身を乗り出すみたいな不躾なことはしていないが、様子は見ているようだ。
「あんだぁてめぇっ? オレはなぁ明るいところは
「あんちゃんよぉ、こいつを怒らせるとたちわるいぜぇ? 怪我したくなかったら、おとなしく――」
メガネのほうが、オレのうしろに視線を送った。
「うひょぉ、なんだよきょうまじかわいい子いるじゃん?」
んっ? 星藍に視線が向かったか。
「おいちょっとそこのちびっ子ッ! こんな野郎よりあんたに世話になったほうがいいにきまってらぁあなぁ」
ちょいちょいと、星藍に向かってこっちにこいと手招きするメガネ。
「……
星藍の声が不機嫌を通り越して、厳かに空気を震わせていた。
なんだろう。今すごく星藍を直視できない。
「えっと、あれ? 星藍さん怒ってません? いつも愛理沙さんとじゃれあうってのは可笑しいけど、いつも自分がちいさいことからかわれているけど笑って反応しているっていうか」
「え、っと……おねえちゃんケンレンとは台湾にいたころからネットとかで知り合いだったし、旧正月の時に
恋華が震えている。
「旦那さまぁ、すみませんが本日席が埋まりつつありまして、ただいま窓側の席しか空いておりません」
星藍がこちらへと歩み寄り、メガネにそういう。
「あぁ? そこのちんたら食べているガキを連れたババァあたりの席を片付ければいいだろうがよぉ」
うーん、素直に従ってくれればいいんだけどなぁ。
まぁそういうわけにもいかないでしょうよ。
「旦那さま、気をお鎮めくださいませ」
穏便な声でチーマーやメガネをなだめる。
「んだぁてめぇ? テメェに要はねぇんだよ」
チーマーが睨むというか胸座掴んできた。
うん、はっきり言えばこっちもお前らみたいな客に用はない。
が、ここでヘタに動けばってことになる。
「おらぁさっさとこっちに――」
その時、幼稚園児くらいの女の子が、パッと飛び出すかのようにチーマーにぶつかった。
「きゃっ!」
その子供は吹き飛ばされるように尻もちをついた。
「ってぇなぁ? げぇオレのズボンにチョコが付きやがったぁ」
その言葉通り、チーマーのズボンには女の子が持っていたのだろうチョコレートアイスがついていた。
「おいてめぇなにしやがる? これ何万したと思ってんだぁ?」
チーマーは左足を、それこそ倒れている女の子目がけて下ろした。
「旦那さま……すこしばかり礼儀がお粗末となっておりますよ」
それは多分だれも、いや――フレンド以外の誰もが自分の目を疑うような光景だっただろう。
なにせこの中で小学生くらいの身長しかない星藍が、それこそ自分の身長が相手の胸のところまでしかない五尺ほどのちいさな身体とそれ相応の華奢な右腕でチーマーの足を受け止めている。
「んなぁ? てめぇはなし……いや? ちょっともうすこし強めに」
あ、こいつドサクサに紛れて自分の足に伝わっている星藍の胸の感触を堪能してない?
「失礼ですが旦那さま……『天地無用』の言葉の意味をご存知で?」
星藍がちいさく、それこそ子供のような無邪気な笑みを浮かべながらチーマーに問いかけた。
はて、なにを……と思った刹那、
「はっ?」
チーマーの身体がぐるりと横向きにもんどりうった。
ドシンと地響きのような騒音が店内に響き渡る。
「くぅあぁぁあああっ?」
チーマーが床に打ち付けられた後頭部を、それこそ呻くようにじたばたとのたうち回っている。
っていうか一瞬なにが起きた?
「お、おいしっかりしろっ?」
メガネもなにが起きたのかわからずしまいで、あたふたとしている。
「星藍、いったいなにしたの?」
「へっ? 別に特別なことはしてないわよ。意識が完全にわたしの胸にいっていたし、足元お留守だったから蹴り弾いただけだけど?」
まぁ理論的にそうなるんだろうけど、あのチーマーっていちおうオレくらいの身丈をしているんだけどもねぇ?
「なんか腑に落ちないみたいだけどね、あれよ? 柔よく剛を制すみたいなものよ。別に掴んだ足を押し返すくらいだったいいけどね、それをするとさぁ……」
星藍は、本来チーマーが倒れていたかもしれないうしろを一瞥する。
そこにはガラス窓を施したドア。
「そういうことか……」
星藍が一番冷静だったな。
このまま身体を押してなんてしていたら、ドアにチーマーの身体がぶつかって、その衝撃で最悪ガラスが割れてしまい大惨事になっていたかもしれない。
そう考えると、横に倒したほうが得策だわな。
「おいてめぇ……ふっさげんなよ」
激情したメガネが折りたたみ式のサバイバルナイフを取り出す。
うん、そういうやつを出すのは結構小物臭いんだけどなぁ。
「きゃぁああああっ!」
そのナイフに対して、様子を見ていた紳士淑女の悲鳴が響きわたっていく。
「すみません、ウチの心猿が旦那さまのご友人に粗忽なことをしてしまいまして」
「あぁそうだな? 詫びとしてここでその服を脱ぐくらいのことはしねぇとなぁ」
星藍を見ながらケラケラ笑うなよ。犬畜生以下の下衆が。
「すみません旦那さま、こちらはそのようなものを振り回すような方をだんなだとは思いませんし、そもそも本来の目的以外での刃物の持ち運びは銃刀法違反でございます」
「るっせぇんだよっ! おらぁッ」
メガネは右手に持ったナイフをオレに振り下ろされた。
「よっ、はぁっ!」
左手で右手首を弾いて、その勢いのままメガネの首元を狙っての牙突(人差し指と中指を猛禽類の爪のように関節を曲げて相手を穿く)。
「ぐぅ、ふぇ?」
メガネはドサリとオレの目の前でひざまずく。
うん喉を刺激されたからね、しかもちょうどのどぼとけが当たったかな?
まぁ感触的には上にいってないから死にはしないでしょ。
「旦那さま……、これに懲りましたら、こちらの指示にお従いくださいませ」
「て、てめぇ……客にこんなことをして許されると?」
ブルブルと震えながら、メガネはオレを睨む。
おっ? 自分で巻いた種をこっちはいやいや摘んでいるのに、なんとまぁ聞き分けのない。
「旦那さまの粗忽な態度を正すのもまた執事の役目にございます」
ギロリと睨む。
「…………ひゃ、ひゃい……お、おい起きろ、この二人やべぇ、まじでやばい――ここはおとなしく従ったほうがいいぞ」
メガネはフラフラと立ち上がり、いまだにのたうち回っているチーマーを起こす。
「く、くそぉ……てめぇ覚え……」
チーマーに対しても、ひと睨み。
うん、すこし黙ろうか?
ちょうど店内でオレが好きなジャズの名盤『
他の客だって落ち着いて茶会を堪能したいものだろう?
オレだって仕事をしながら店内に流れる曲を堪能するくらいはしたいんだよ。
そのまま貨物列車にでも入れて、ドナドナしたろうか?
「は、はい……どこの席が空いているのか案内してもらってもよろしいでしょうか?」
「ありがとうございます。ではこちらにどうぞ」
スッと頭を下げ、チーマーとメガネを、見晴らしのいい外から店がはっきりと見せる絶景の席へと案内する。
道中連れ回しの刑……もとい見世物小屋の刑だ。
♭ ♯ ♭ ♯ ♭ ♯ ♭ ♯ ♭ ♯ ♭ ♯
「ありがとうございました」
夕方四時にさしかかろうとした頃、最後の客が帰っていくのを見送ると、オレたちの職場体験は終了を迎えた。。
「みなさんおつかれさま、はいこれ……」
真優さんが星藍や恋華、花愛に茶封筒を手渡していく。
「あ、あの真優さん、今日はちょっと手伝うって里桜に話しただけですし、わたしたちもいい経験ができたので」
星藍が封筒の中身を察したのか、断ろうとするのだけど、
「いえ、働いてもらった以上は給金を支払わないとね。さすがにみんなと同じようにはできないけど」
「まぁ気持ちだと思えばいいんじゃないか? 客もあれ以来妙なのは出てこなかったし、あのふたりも始終おとなしかったしさ。料金もしっかり払ってったしな」
あぁ言うタイプはなにか悪いことを考えて何かしてくると思ったけど、まったくしてこなかったしなぁ。
「えっと……」
それでも悩んでいる星藍に、
「ビコウさん、私のほうからも受け取って欲しいんですよ。さすがに今日みたいな人が頻繁に出入りする日なんてそんなにありませんし、その……受け取ってもらわないと示しがつかないといいますか、セイエイちゃんや花愛は職場体験っていう名目でウェイトレスをやっていたって言えばまだいいわけができるんですけど、シャミセンさんやビコウさんの場合はそういうことにはできないんです」
里桜ちゃんが片眉をしかめながら問い質した。
「でもなぁそもそもわたしが里桜にむりやりお願いしたことでもあるし」
まだ悩むか。もらえるもんは病気以外なんでももらっとけ。
っていうのは無粋だな。
「うむ、それではこれでどうだろうか」
優柔不断な星藍に痺れを切らしたのか、剛さんがレジカウンターに足を運び、レジの中から四枚ほどのチケットをとりだした。
「この店で提供している料理の無料券だ。今度来た時の足しにでもしてくれ」
剛さんは里桜ちゃんを除いたオレたち四人に、そのチケットを手渡していく。
「あ、ありがとうございます」
さすがにこれにはなにも言えないらしく、星藍は観念したように頭を下げた。
まぁなんにせよ、丸く収まってよかった。
「あ、そういえばさっきの封筒の中身、多分今日の駄賃だったんでしょうけど、いくらだったんですか?」
星藍たちが着替えているなか、男子更衣室へと向かう前にすこし剛さんに確認を取る。
結局根が真面目だったからか、オレもそうだけど恋華や花愛も結局は用意されていた茶封筒を受け取ることはしなかった。
だがいくら入っていたのかくらいは聞きたくなるものだ。
まぁもうほしいとは思わないけど、いちおう……。
「えっと二千五百円ですね」
茶封筒に入れられた金額を応えるや、剛さんは
「もしかして断ったことを後悔してます?」
と聞き返してきた。
「いえ、すこし興味があっただけです」
それにこれから本当のバイトだしね。
「あははは、しかし今日は本当に助かりました」
「っていうか、オレもそうですけど星藍も結構客を甚振って」
「客に迷惑をかけるようなクレーマーなど、そもそも客とは思っておりませんが?」
剛さんがズイッとオレに顔を近づける。
その目は獣のように獰猛で、一瞬で人を黙らせるほどの迫力があった。
「あ、はい……」
おもわず縮みこんでしまった。
あ、これ多分本当にヤバかったら剛さんが粛清に入っていたかもしれん。
そんなことを想う、貴重な経験をした
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