第227話・遅疑逡巡とのこと
午前十一時。約束通り里桜ちゃんの実家が経営しているカフェへと足を運ぶ。
「ここが里桜さんの実家かぁ」
ぼんやりと店を見上げる花愛。
あの一件以来二人で遊ぶことはあったみたいだが、この反応から察するに、里桜ちゃんの家に訪問することはなかったらしい。
友達の家がお店をしているなんてのは結構珍しいんだろうな。
オレはここにくるのは二度目だけども、そういえば他の店の裏口に入るのなんて実はこれがはじめてだったりする。
高校に入ってからはずっと烏鶏夫婦のところでバイトしていたからなぁ。
あそこは夜の十時くらいに店を閉めるし、そもそも伊酒屋というよりはファミレスに近い部分もあるから、高校生がバイトしているなんてことはザラだ。
オレがやっている事務の方でも商高にかよっている子もいたし。
「それじゃ中に入るか。いちおう鍵は開けているみたいだしな」
開店前は荷物やらなんやらを出し入れするのだから、いちいち鍵を閉めているところってのは少ない。
もちろん店を閉めれば、当然鍵も厳重に閉じているだろうけど。
「お待ちしておりました。わたしがこの店の店長である
店の中に入ると、まず目に入ったのは里桜ちゃんのお父さんがオレや花愛に頭を下げた。
「こちらこそ、今日は急なことで申し訳ございません」
「いえいえ、今日は土曜日ですので人がいつもより多くなるんですよ。それにシャミセンさんは伊酒屋で働いておられましたし」
「正確に言うと事務の方ですけどね。たまにヘルプでホールに呼ばれることはありますけど」
そんなことを剛さんと話をしていると、
「あぁシャミセンさんたちも来たんだ」
里桜ちゃんが店の奥にある、ちょうど家とお店の隔たりのドアから顔を覗かせるようにオレや花愛を見渡した。
「今日はよろしく」
「はいはい。それじゃ花愛はこっちに来て……衣装合わせするから」
ちょいちょいと花愛を手招きする里桜ちゃん。
「そういえば星藍たちは?」
「先に来て衣装合わせしてますよ」
里桜ちゃんはなにを思ったがクスクスと笑みを浮かべる。
なんかすごく嫌な予感がするのだけど?
「シャミセンさんも今日はウェイターとして手伝ってくれるとか」
「みたいですね。とりあえず確認だけでも、ここって普通の飲食店と同じで、いらっしゃいませだけでいいんですかね?」
「そうですね。ですが今日は紳士淑女の日でもありますので」
紳士淑女ってことは? あれかね、だんなさまとかそういうことだろうか?
「いちおう練習だけでもしておきましょうか」
うむ、まぁ知っていることの見様見真似だけど……。
「おかえりなさいませ旦那さま、お嬢さま」
ビシッと背筋を伸ばし、右手をお腹辺りに添え、それこそオレがイメージしている執事のような素振りでしっかりと頭を下げる。
深々とではなく、かるく一礼。
「うむ、まぁ誠意は見られますし、及第点と言っておきましょう。ですがまだまだ
うぅむ結構辛辣ですこと。
まぁあくまで見様見真似だったからなぁ。
それに羞恥心がないかといえば、あったのほうが正しいな。
「とりあえず周りを見渡すことが大事ですね。客に呼ばれる前にスッと歩み寄りお声をかける。あくまで主賓はお客さまですが、もし粗相ある客に対しては――お任せします」
うん、なんとなく昨夜星藍が言っていたことがわかってきた。
この店、普段は落ち着いた雰囲気の小洒落たカフェだけど、ヘタすると
「って、お任せなんですか?」
これでも柔道の心得は持っているからどうにかなるけど、素人にはあまり本気を出すなって祖父ちゃんから戒められているんだよなぁ。
なんでかって、経験者はそもそも受け身がしっかり取ることができるから、こっちも躊躇いなく技を仕掛けやすい。なにせ防御に徹する受け身は、柔術において基礎中の基礎だからだ。
そもそも受け身ができなきゃ絞め技が決まって呼吸困難で酸素が脳にいかないから、よくて失神。最悪窒息死も免れられない。
だからこそ最低限の受け身や技が決まった時の抜け技、最終的には生命ラインの見極めが肝心だな。
逆に素人はそういう基礎すら出来てない。
大体ケンカに明け暮れて腕っ節が強いだけだし、柔術の防御の基礎である受け身ができていないことも会ったりする。
まぁむりやり開放しようとするのもいるけど、そういうやつほど余計技が
だからあまり喧嘩をするなって小学校の時から言われてたんだよ。
そういえば中学の時か、柔道部にいけ好かないバカがいて、そいつがなんか空手部と居座古座を起こしやがって、どういうわけかオレがその仲裁に入ったことがある。
まぁいちゃもん付けられていた空手部の生徒は、仮にも基礎ができていて、一挙手一投足それこそ綺麗で、かつ疾くて捌いていくのに精一杯。こっちは胸座を掴まな……いかんわけでもないけど、なんかこう隙がなかった。
うん、上には上がいるものだな。
こういう客商売はどこの世界もお客様第一だが……勘違いの自惚れた客がいないわけでもない。クレーマーなんて特にそう。
あれだ、海外の話だけど電子レンジの中に濡れた猫を入れて乾かす……とかアホかと言いたくなるが本当のことだし、それいこう説明書に書かれた、レンジの中に入れてはいけないものの中に猫が入ったんだとか。
大岡越前の一両損みたいな精神はないのか?
「なぁにヘタな警告よりはまだいいでしょう。問題はそれをこちらの責任にされることですからね」
うぅむ、結構難しい注文。まぁ威圧くらいで出て行ってくれれば万々歳だけども。
オレも変な因縁付けられるよりはそっちのほうがいいし。
「さて、お店を開けるすこしのあいだ、私の方も仕込みがありますが……」
剛さんがその先を言おうとした時だった。
「煌兄ちゃんっ! ちょっとこっち来てぇっ!」
店の奥、おそらく更衣室の方だろうけど、なんか花愛が興奮気味にオレを呼び出した。
「えっと……着替え中じゃないの?」
「いいからいいから」
呼ばれている以上は行かないといけないけど、なんだろう、すごく嫌な予感しかしない。
「あ、ついでにキミも着替えてきなさい。男性用の更衣室は女子更衣室の隣で、制服は中にある椅子の上にたたんであるから」
うしろから剛さんの声が聞こえた。
花愛の用事がすんだらそのままオレも着替えようかね
「煌兄ちゃん連れてきたよ」
花愛は、以前このお店に来たさい里桜ちゃんが着ていた紺桔梗色のカートルに、白百合色のエプロンを身にまとい、頭にはボンネットをかぶせている。
その花愛は意気揚々と女子更衣室のドアを勢い良く開ける。
「ふぇぇっ? しゃ、シャミセンッ? だ、まだ着替えてる」
「あぁっと、それならオレは入ったら」
中から恋華の悲鳴に近い声が聞こえ、オレはドアからすこし離れた。
「だぁめ、みんな着替え終わってるんだし、そもそもこういうのはめったにないんだから」
オレのうしろに回った花愛が、更衣室の中へとオレを押し込んでいく。
「おっ、おいっ?」
「大丈夫大丈夫。ほらちゃんとセイエイさんを見てあげないと」
ったく、いったいなんだって……。
恋華を一瞥すると、言葉を失った。
恋華は花愛や里桜ちゃん、星藍と違い、一人だけアンミラ系のコスチュームだった。
ブラウスの胸元は、吊りスカートタイプのドレススカートでもち上げられていて、ただでさえ大きい胸がさらに強調されている。
もちろんこれだけでも恋華のチャームポイントをおさえていて、客付きは十二分にあっただろう。
これをこの娘が自分からすすんで着ていたのならな。
「シャ、シャミセン……」
恥ずかしさが入り混じった恋華の声。
今にも零れそうなほどに、目尻に涙を浮かばせながらオレに助けを求めるような視線を恋華は上目遣いに向けてきていた。
恋華の性格は素直なほうだから嫌だとかはっきりと言うんだろうけど、なんか言えない空気みたいなものがあったんだろうな。
だからなんとなくわかる。
この表情は本気で嫌がっている目だということが。
「すごい似合っているけど……、なんで恋華だけみんなと違ってこんなこれ見よがしなやつなんだ?」
「あぁ、ちょっとテンポウにアンミラ系の制服はないかなってお願いしていたのよ。そしたら案の定恋華に似合いそうだなって思って着せてみたら、まぁ本当に似合っていて」
星藍が、それこそ悪びれた様子もなしに笑っていた。
「そうかそうか……、なぁ星藍――」
星藍の頭に左手を添える。
「あっ、
花愛はオレが星藍の頭に左手を乗せたことの意味に気付いたようだ。
その声には恐怖が混じり込んでいた。
星藍の頭をしかと掴み上げ、ギリギリギリギリと締め付けていく。
「あがががががががぁっ? 割れる? ちょ? 割れる割れる本気で割れるるるるるるぅっ!」
星藍はその痛みから逃れようと、両手でオレの左手から頭を離そうと必死の抵抗。
「ちょ、ちょっとシャミセンさん、いくらなんでもやり過ぎですよ?」
里桜ちゃんが止めに入るが、キミも同罪だからね。
ただ罰を受けるのは一人で十分。
大岡越前とか遠山金四郎捕物帳のようなおしらすものでも、一味の組頭が一番重い罰を受けて、手下がそれより低い罰を受けるって流れがある。それと一緒。
「まぁ恋華のことだから、星藍にそそのかされて着てみたんだろうけど、思った以上に胸が目立つから恥ずかしくなったってところだろうな」
オレのうしろへとささっと隠れる恋華を一瞥し、星藍たちにそうたずねる。
恋華が星藍に見せたのは軽蔑の視線。
この子がこういう目を、それこそ大好きな叔母に向けた時点で察しろよ。
「えっと、それは間違ってはいないけど、だからってすごく痛……」
ズイッと星藍の顔に自分の顔を近づける。
「ちょ、ちょっと? 煌乃くん? 顔が近いって」
「あのなぁ星藍。恋華はお前を信頼しているし、家族だからこそ味方をしてくれているとしんじているからあんまり反抗しなかったんだろうけどな――相手が本気で嫌がっていることを面白可笑しく嗤うな!」
目を大きく見開き、幼い顔立ちをした星藍を睨み黙らせる。
「……っ」
一瞬にして星藍の顔は蒼白していく。
これで嫌われるならそれでも構わない。
でもね、さすがにこれはやり過ぎだろ。
反抗しなかった恋華も悪いけど、そもそも気付いてやるべきやつが律旋してからかうなよ。
「しゃ、シャミセン……べ、別におねえちゃんが悪かったわけじゃないし、嫌だって言えなかったわたしが悪いのも」
オレが星藍を戒めているのが気に入らないのか、恋華が自分も悪いと申し開きをしてきた。
あぁこの娘……多分ストレスとか悩み事とかを自分の中で閉じ込めるだけ閉じ込めて絶対外にださないタイプだ。
はじめてリアルで会った時、恋華の左腕に包帯が巻いてあったことだって、たぶんストレスからなる間違った行為だったんだろうな。
まぁジンリンから聞いた、妙な記憶の欠如があった時に起きていたっていうクリーズとの対峙しに恋華が見せた、クリーズに対する嫌悪感からしてもそうだろうなとは思ってた。
あの時もクリーズから受けていた嫌がらせによるストレスを、それこそ風船みたいにパンパンに膨れ上がっていたんだろうな。
それでとうとう
別に仲間内なんだし良い子ぶらなくてもいいんだけど、多分周りに迷惑をかけたくないとかそんなもんだろう。
根が素直だから余計にか……。
まぁ、関わった時点で迷惑だとか思わんて。
「ご、ごめん恋華……ちょっと調子に乗りすぎてた」
オレの左手から開放された星藍が、その場で土下座をする。
「ちょ、ちょっとおねえちゃん? 別に怒ってないし」
「恋華、そういうふうに相手を許したらろくなことがないし、逆に余計調子に乗るぞ。【
「……で、でもおねえちゃんが全体的に悪いわけじゃないし」
オレに対して、めずらしく食い下がる恋華。
あぁもう……ほんとにこの叔母さんっ子はぁ……。
「うし、だったら今度NODにログインした時、星藍は自分の所持金の七割を恋華に譲渡でいいな? 拒否権はなし」
オレが下した判決に、
「わかりました。慎んでその罰をお受けいたします」
星藍は頭を深く下げていく。
星藍も性格は捻くれてはいないし、間違っていることを素直に認めるあたりまだ話しやすいんだよな。
言い訳とかしてこないってのもあるが。
「恋華も……それでいいな?」
「う、うん――」
まぁ本人は納得していないだろうけど、それくらいのこと安いものだろ。
「それから――里桜ちゃん」
ぐるりと横で見ていた里桜ちゃんに首をむけて声をかけるや、
「えっ? ふぁ、ふぁい?」
里桜ちゃんはオレから名前を呼ばれると思っていなかったのか、素っ頓狂な声を上げる。
キミだって同罪なんだから、懲罰があるに決まってるでしょ?
「里桜ちゃんもこれに関しては同罪同然のことをしたんだから、罰があるのはわかってるよね?」
「で、ですよねぇ……。それでどんな罰を?」
「そうだな。休憩の時にでも恋華にケーキをひとつご馳走するってことでいいかな? もちろんキミのおごりでね」
左手をグッパしながら言葉を発していく。
「すごい目が怖い……あ、あと左手をニギニギしないでくださいよ」
里桜ちゃんは手を口元に添えながら、
「わかりました。うぅーん、ちょっとやり過ぎたかなぁ」
愚痴をこぼすようにつぶやいた。
ちょっとどころかかなりやり過ぎなんだよ。
「で、そんな二人を止めるどころか、加わっていた花愛だがなぁ」
「えっ? 私も? ちょっと煌兄ちゃん、さすがに――」
「傍観も立派なイジメなり。もしかして対岸の火事だとか思ったか? 残念、イジメの対象が明日は我が身と思いけり」
花愛の青褪めた顔を更に青くなっていく。
「花愛は罰としてオレがバイトとかで忙しい時は、まぁ学業優先だけどNODにログインしたときは恋華の相手をしてあげること。それくらい簡単だろ? お互いレベル上げになるし、テイマーとしての指導もできるだろうからな。嫌なら嫌で別にいいが……」
「え、えっと努力します」
花愛がスッと、深々と頭を下げる。
まぁこの子も悪いと素直に認めているだろうからなぁ。
言い訳のひとつくらいは言ってこないし。
「っていうか、えっとなに? なにこれ? まだ身体の震えが止まらないっていうか……本気で殺されると思った」
星藍がすこしばかりオレを警戒する視線を向けていた。
だから左手でお仕置きするの嫌なんだよなぁ。できれば避けたいことではあるんだけど。
「で、でも煌兄ちゃんが本気で怒っているなによりの証拠ですよ。ホント滅多なことじゃ左手でしてきませんから」
あれだな、右手は結構力入れてないから、犬とかが飼い主や自分の子供に対する甘咬み程度に使っているから、怒っているけどそんなにって時に使っている。
ただ花愛の言葉に、里桜ちゃんと星藍の表情は血の色を失っていく。
「それって、シャミセンさんの逆鱗に触れるくらいのことをしたってことだよね……」
「悟空が追い剥ぎを殺したり、悪いことをしたら三蔵が緊箍呪で戒めていたけど、その時の痛みが身に沁みた」
これに
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