第91話・落着とのこと


「あぁ、なるほどね。それは懸命な判断だ」


 バイトの休憩中、風遊にお願いしたことを出間に説明すると、彼は納得したようにうなずいてみせた。


「お前とセイエイがイベントで二度にわたって負けたっていうロクジビコウが所有しているVRギアに中国サーバーの不正アカウントIDが存在していたって話が本当なら、風遊が聞いたっていう噂の張本人は間違いなくそいつだろうさ。ほらVRギアのユーザー登録した時って住所や携帯の番号を詳しく記入しないと使えなかったじゃないか。ほんで最初に電話がかかってきて本人確認。住所に往復封筒が来てマイナンバーのコピーを送り返さないといけないっていう徹底ぶり」


 出間がそう言うように、VRギアの二重アカウント作成防止は徹底されている。VRギアをもう一台持っていればということにもならない。

 なぜなら当人でなければ登録できないという制度を前途で説明したとおり、存在していない人間を使うことはできないのだ。

 だからこそ電話で本人確認をしている。

 住所が日本のものならば日本のサーバーからしかプレイできないが、もちろんゲーム自体が他国からのアクセスを許可している場合もある。ソードブレイカーがその一例だ。

 だからこそ風遊に星天遊戯の中国サーバーでの調査をお願いできた。

 といっても、彼女の都合もあるだろうから、開いた時間や気が向いた時でもいいと伝えてある。



 星天遊戯は日本、アメリカ、中国、韓国それぞれのサーバーでのみ運営されている。これはメインサーバーとなる中国のデータを他の国のサーバーに送られるのだが、国それぞれのスタッフに任せて各自のみのイベントが存在しているのとシステムが違う。

 噂では日本とアメリカのサーバーでは下着までしか脱ぐことができないが、他の国では可能といった感じだ。



「そう考えると平仄を合わせられるんだよな。サクラさんが言っていた隠しダンジョンに現れたっていうスタッフがデータの干渉ができないヒャクガンマクンも中国からのデータらしいが」


「スタッフなのにデータ調整できないって、それってヤバイんじゃないか?」


 出間が怪訝な表情でオレを見据える。

 正直ヤバイってもんじゃない。スタッフが手を付けられていたヒャクガンマクンと対峙したことがあるから言えるが、弱点を集中攻撃できなかったらかなり厳しい状況だったからな。

 データ管理できるはずの制作スタッフが太刀打ちできないから、ダンジョンの入り口は現在ほんとうの意味で封鎖されている。


「まぁ、そっちはスタッフに任せるとして、出間に聞きたいんだけどさ、掲示板ってどうなってるの?」


「あぁそれか。とりあえず目撃された時にお前が装備していたアイテムなんだが、最悪盗まれた事自体が嘘みたいな事にはなってたぞ」


「うぅむ。それを言われるとなぁ」


 オレは片眉をしかめながら頭を抱える。

 実際盗まれたところや、セイエイが取り返したところも、ロクジビコウにやられてロスト……というか強奪されたところだって第三者が見たというわけではない。

 当事者以外はハッキリ言って藪の中で行われている口論だ。

 よくよく考えてみればモンスターにやられた場合、アイテムのロストはないことはオレ自身二度のデスペナで身をもって体験している。

 そうなるとセイエイが持っていた[紫雲の法衣]がロストしているということは、相手がプレイヤーだったというなによりの証拠だ。


「まぁイベントでお前と同じステージにいたっていうプレイヤーの何人かがお前の無実を証明してはくれているようだ。もちろん俺たちもお前の無実を信じてはいる」


「早々に犯人を捕まえないとな」


「と言っても、その犯人を捕まえることが容易じゃないんだろ?」


 そうだ。出間の言う通り、監視しているスタッフですら捕まえるどころか消息をつかむこと自体が難しい。

 だから運営は手をこまねいている。



「同じ会社なのにどうも情報の伝達ができてないというべきか」


「普通、なにか全体的にアップデートとかされたらなにかしらアクションがあるはずだよな?」


 まぁそれを探せっていうスタンスなら、それはそれで探索系RPGという売りとしてありだけど。


「今はビコウが言っていた『太陽と月』イベント以外はなにかあるのか?」


「とりあえず新しいフィールドの解放だな。はじまりの町から5キロほど離れた場所にちいさな村ができたみたいだぜ。それから第三陣営なんてのもできたみたいだ」


 それを聞いて、ホウとすこしばかり興味を持つオレ。



 ビコウやセイエイ、テンポウ、ケンレン、ナツカ、白水などレベル30以上のプレイヤーはサービス開始から始めている第一陣営と考えて間違いはないだろう。

 これはどうやらβ版が実施されていた三ヶ月も含まれているみたいで、今年の一月からベータ版を開始、三月から本格的にサービスが開始されている。

 魔獣演武はすれ違う形で三月末日にサービスが終了されていたことを、出間から改めて聞かされた。



 逆にオレやメイゲツ、セイフウは四月初めころから始めているから第二陣営となる。

 風遊も最近始めたと言っていたから、第二陣営になるのだろう。

 出間とハウルは魔獣演武からのコンバートなので、時期的には第二陣営になるってことか。



「まぁ最近またアカウント作成停止をしているらしいけどな」


「どういうこと?」


「あっとなぁ、この前セイエイと野良パーティーを組んだ時に聞いたんだが、運営会社の会合でボースさんと一緒に行った時、そこで韓国のサーバーが一度落ちたって話を聞いたんだと。なんでも妙な不特定多数参加の討伐イベントがあったみたいでさ」


 それを聞いて、オレはしかめっ面で出間を見る。

 サーバーが落ちるって、それ余程のプレイヤーがログインしたってことじゃないの?


「討伐イベントねぇ。大人数ってことはレイドボスとかそんなの?」


「だろうな。しかもそいつを倒したら日本円にして一万円相当のレアアイテムが手に入れられるなんて噂もあってか、そいつが出現する時間にプレイヤーが殺到したもんだからサーバーが対処できなくなって――」


 出間は両手をパンッと叩く。


「パンクしたってことか」


 そう聞き返すと、出間はうなずいてみせた。


「でも一万円相当か……かなり強いアイテムだったんだろうな」


「あくまで噂だからな。それを手に入れたって話はないそうだぜ」


「どうやら日本サーバーだけじゃなくて全体的におかしなことになっているってところか」


 オレは心当たりを色々と考える。



「……ちょっと気になることがあるな」


「なんだ? なにか思い出したのか」


「いや、思い出したっていうよりどうしていきなり出てきたのかって話だよ」


 オレは隠しダンジョンにある溜り池の中を裸で泳いでいるセイエイと遭遇している。

 その時の彼女はまったく傷が付けられていないし、ほとんどオフの雰囲気だった。

 もしあの場所にヒャクガンマクンがイベントモンスターとして出現するよう設定されていたのなら、セイエイは戦闘中に入っていてもおかしくはなかっただろう。

 セイエイが水に濡れて脱いだ服や下着類を焚き火で乾かしていたことだって、彼女が池に落ちて濡れたから服を乾かしているとオレに説明してくれた。

 もし戦闘中だったとしたら、そんな悠長なことは、いくら彼女とてしていなかったと思う。



 だけどヒャクガンマクンが現れたのはサクラさんとマサマル、鎌々に変身したマミマミが来てしばらく経ってからだ。

 それとダンジョンの調整中で、モンスターのステータス調整中だったとボースさんから連絡を受けている。



「もしかしてあれもマミマミが仕向けたってわけかよ」


 タイミングを考えるとそう考えられる。


「あぁまぁ俺が想像している以上のことが起こっていることはたしかだな」


 出間が勝手に納得する。


「とりあえず休憩終わりだ持ち場に行こうぜ。お前はこれからどうする?」


「これから?」


 首をかしげるオレの肩を、出間がカカカと笑いながら叩く。


「ゲームだよ。星天遊戯はアカウント停止でログインできないだろ?」


 そういうことね。正確に言うと魔宮庵で間借りしているホームから出られないだけで、実はセイエイとは会うことができる。

 メッセージのやりとりもできなければ、現在フレンド申請も禁止されている状態。

 だからといって、プレイヤースキルが恐ろしいほど関係しているソードブレイカーを今更攻略する気もないから、熱りが冷めるまで大学の勉強に集中しましょうかね。

 本心を言えば、『太陽と月』が始まる手前までには解放されたいものだけど……多分ムリだろうな。



 ――とある少女と少年の摩訶羅事――



 小学三年生ほどの背丈をした少女が、薄紫の雨合羽で身を包んでいながらも、腰まである長い黒髪を雨水で濡らしていた。

 彼女は傘をさしておらず、合羽のフードも頭に被せていない。

 雨宿りする場所があれど、ジッとその場から動かないでいた。

 その様子を、彼女の前を行き来する雲霞うんかがそれこそ物珍しそうに、場合によっては憐れんだような目で少女を横目に傍観しては過ぎ去っていく。

 雨はいつしか雪となり、濡れた身体を凍らせるほどに冷たく少女を虐める。



 少女は誰かを待っていた。

 何分も、何十分も……何時間も!

 少女はジッとその場で待っていた。



 少女が待っていたのは母親だった。

 女手ひとつで自分を育ててくれている母親。

 少女と同じく漆を塗ったような光沢のある綺麗な黒髪の女性。

 少女と同じく腰まである長い髪の女性。

 少女は母親が戻ってくるのをジッと待っていた。



「なにやってるの?」


 一人の少年が少女に声をかける。少女と同じくらいの年齢の少年だった。

 少女はその少年を見て、同い年の子だとも思ったし、小学生特有の、身元証明にもなる学校の名札を付けていたため、少年の名前がわかった。

 少女とは違って、少年は傘を差している。


「誰か待ってるの?」


「うん、ムチン待ってる」


 少女の言葉に、少年は首をかしげる。

 なにせ少年の拙い頭で、中国語で母親をそう呼ぶのだということが知識としてなかったのだ。



 知識というのは見聞によってつちかわれていく。

 昔の知識は今の人間にとって当然の知識であったとしても、今の知識を昔の人間に話したところで荒唐無稽の狂言でしかない。

 それこそ固執した知識ほど狂気とも言え、柔軟な発想はかえって失敗をもたらす。



「でも雪降ってるよ」


 少年は少女のうしろを見やる。


「お店の中で待たないの?」


 少女のうしろにはケーキ屋があった。


「ここで待っていてって言われた」


「そうか……でも濡れちゃってる。そうだこれ貸してあげる」


 少年は手に持っていた傘を少女に手渡す。


「でも、これがないとあなたが濡れちゃう」


 困惑した表情で少女は少年の厚意を断ろうとしたが、


「あぁ、大丈夫。また傘なくしたって言えばいいよ。オレ結構忘れっぽいからさ。それにそれ安物のビニール傘だからさ」


 少年はキシシと歯を見せるように笑い、傘を少女にムリヤリ渡した。


「…………」


 少女はジッと手渡された傘を見つめ、少年を一瞥する。

 これで少女は雨雪にさらされることはなくなった。

 しかし逆に今度は少年が雨雪に虐げられる。



「やっぱりこれ……」


 返すと言おうとした時、少年の姿はなかった。

 少女は我が目を疑う。

 目の前には今までと同じように傘を差したり、慌てた様子ですれ違っていく雲霞の波。

 その中にさきほどの少年の姿を見つけることができず、少女は途方に暮れた。

 終いには少年が夢か幻だったのかと考える始末である。

 だが手に持った傘がなによりの、少年がいたという証拠でもあった。



「ねーねっ!」


 聞き覚えのある声が聞こえ、少女はそちらを振り返る。

 そこには少女より六つも歳の離れた姪っ子の姿があった。

 その横には姪っ子の父親の姿があり、申し訳ないと言った表情で少女を見つめていた。


「いやいやまさか用事が長引いてしまうとはな。安心しろ霧花さんは俺の車に乗ってるから星藍・・も早く来なさい」


 そう言われ、少女はジッと兄を見つめる。


「ねーね、早く行こう」


 姪っ子が少女の手を引っ張る。


「ははは、恋華・・は早くレストランでお子様ランチが食べたいだけだな」


 からかわれるように言われ、姪っ子は頬をふくらませる。

 だが本心ではその通りであった。

 早くレストランに行って、旗の刺さった昔ながらのお子様ランチが食べたい。それが姪っ子の本心である。



「んっ? そういえば星藍、お前傘なんて持っていたのか?」


「あっと、これ……男の子から」


「まさかお前、ここでジッと待っていたのか? 合羽のフードもかぶらないで?」


 少女はキョトンとし、言われて初めて気付く。

 少女は母親から言われた通り、ジッとその場から動かなかった。

 そう動かなかった。

 ジッと道祖神として祀られているお地蔵さんのように、ジッと動かなかったのだ。



 少女は傘を借りた経緯を兄に説明する。


「傘、ここにおいてたらいいかな?」


「お前に傘をやったという少年がもしかしたら戻ってくるかもしれないが……ビニール傘じゃそれはないんじゃないか」


 と星藍の腹違いの兄である孫丑仁は言った。


「ビニール傘なんて所詮は使い捨てだからな。なくしたとしても気にも掛けないだろうさ」


 その言葉に、星藍はそうなのだろうと思った。

 少年もそんな風に言っていたことを星藍は思い出したからだ。



 星藍は孫丑仁の手を握り、彼の車へと姪っ子と一緒に歩いて行く。

 そんな中、彼女は不意に少年の名前を頭の中でつぶやいていた。



 なずなこうだい、、、、、、、



 ……と――――


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