第68話・魔窟とのこと
「振り向かないんですね」
背中越しに星藍がそうたずねる。
「振り向きたいけどね。今お前がどんな顔をしているのか、正直言って見るのが怖い」
「周りは真っ暗ですよ? 私の顔が見えないじゃないですか」
オレは手に持った[緋炎の錫杖]を軽く掲げる。
「あぁ、そうですね。できれば私も見られたくないものです」
星藍は嘆息をつく。どうやら見える理由を理解したようだ。
「さっきの質問ですけど、どう応えたらいいんでしょうかね」
「応えたくなかったら応えなくてもいいけど、でも嫌な思い出なのになんであんなのが残ってたんだ?」
「嫌な思い出っていうのは、自分でもわからない場所においてあるものなんですよ」
星藍の視線を感じる。
「できれば他人には知られたくなかったんですけどね」
「別に他言する気はねぇし、喋りたくなかったら別にいいけど」
というより、かなり非現実的なことを想像してたしね。
「シャミセンさんは私の母親が日本人だと知ってますね」
ゾワッと、なにか冷たいものを感じた。
「あ、ああ、病室で愛理沙が説明してくれた」
でも、たしかあの時はどっちがどっちなのかは聞いてないけど。
それより、なんでそんな話をする?
別に応えたくないなら、応えなくてもいいんだぞ?
「私のムチン……母親はある中小企業の社長令嬢でした。その会社はあるゲームの部品を作っていたんです」
「ゲームの部品?」
「その部品というのが[魔獣演武]や[星天遊戯]に使われているVRギアのコアとなる『マインド・プランダー・プログラム』。通称『M/Pプログラム』というサブCPUコアです」
それを聞くや、オレは唖然とする。
「ちょ、ちょっと待て? それって直訳すると『精神の略奪』って意味になるぞ?」
オレは自分で言っていて、頭がおかしくなってきた。
「シャミセンさんはこのゲームのもうひとつの、隠しパラメータは知ってますよね?」
「あぁ、喜怒哀楽の――」
オレはそこまで口にして、咄嗟に言葉を閉じた。
つまりは……恋華があの時、まみまみの口車で恐怖値を振りきり、[凶神状態]に陥ったのは、その『マインド・プランダー』によるものだということだろう。
「で、でも……なんでそんなのが? それにボースさんはそれを知って」
オレは思わず星藍のほうへと振り向いてしまう。
その時、[緋炎の錫杖]による効果で、周りがぼんやりと光り、星藍の、悲痛の表情が闇に浮かび上がっていた。
「…………」
言葉が出なかった。
「私も最初、そんなでたらめなシステムがあるとは思わなかった。いいえ、自分の母親が、ましてやそのシステムを作るために――あんな豚以下の人間に身体をやってっ! 自分の身体を蔑ろにされてまでっ! そんな気狂いなことをしていたなんて……全然知りませんでしたよっ!」
感情のあまり、星藍はまるで子供のように泣き喚く。
そして、それが原因かどうか、まるでたがが外れたかのように、星藍は口を開いた。
「シャミセンさん、さっき、私が父親になにをされたのかって聞きましたよね?」
……やめろ。
「いいですよ。ほら、よく言うじゃないですか。心にモヤモヤがあるなら、いっその事喋ったほうがスッキリするって」
……やめろ。言うな。……
「聞くだけ聞いて、聴かないなんて、虫のいい考えしないでくださいよ。人の瘡蓋を無理矢理剥がして、自分だけなにも知らないで助かろうなんて思わないほうがいいですよ」
だったら、なんでそんな顔すんだよ。
なんて冗談ですよ。私だって秘密にしたいんですから。
とか、そんなちょっと舌を出して、イタズラっぽく笑えよ。
「私も、母親と一緒で、あの下衆に身体を陵辱されました」
そんなオレの気持ちを知っていたのか、星藍はオレが想像していたことを、それこそ他人事のように、淡々とした声で言い放った。
「正直言うとですね、さっさと死にたいんですよ」
「あ、あぁ……」
「あれ? なんでシャミセンさんがそんな顔をするんですか?」
「ぁ、あぁ……」
「変に狂人の真似事なんてしないでくださいよ。それって逃げているのと一緒ですよ。それにあの映像は[魔獣演武]のサービスが終了してちょっと経ったあたりだったかな? まぁあの男は未だに生きてますけどね」
「うぅあぁ」
「聞きたくもない、知りたくもないって顔してますけど、生きていれば、理解できないことなんて手に余るくらい体験するものです。ちょっと自分が想像していたことでも、理解できないことがあるとそうやって逃げようとする……あの時もそうでしたよね?」
オレは星藍の顔を見る。
「あ、あの時?」
オレはなにを言っているのかわからず、怪訝な表情で星藍を見た。
「覚えていない……まぁそうですよね――だって顔も名前も知らない。でも私は違う。ハッキリと覚えてるんですよ――三年前くらいでしたっけ? まだ私が中学卒業するかしないくらいの時、シャミセンさんが私がムリヤリ連れて行かれそうで困っているところを目撃していたのに、助けようとせず、目の前を通りすぎているところを」
オレはそれを聞くと、背中から真剣で切られたように、背中に熱いものを感じた。
「あ、あぁ……星藍、お前……最初から――最初からオレのこと知ってたのか? 知っていてオレに近付いたってのか?」
「疑心暗鬼でしたけどね。でもシャミセンさんのIDを調べてすぐ分かりました。いつかこの人を、どうして助けてくれなかったのかって……」
オレは目の前の星藍を見据える。
その星藍の目は生気を感じない。
「シャミセンさん、孫悟空が死なない理由って知ってます?」
「……えっ?」
「孫悟空は一度寿命がなくなり、地獄に送られたんです。ですが孫悟空はそれに納得がいかず、閻魔帳……点鬼簿に書かれた自分の名前や他のサルたちの名前を墨で消した。それにより不老不死の状態になったんです」
星藍……お前、なにを――オレはハッとする。
どうしてそんな話題を出したのか。
「死ねないんですよ。中途半端に意識を失ったくらいじゃ……」
星藍はちいさく薄ら笑いをする。
「あの事故以来、恋華は自分が早く救急車を呼べば、助かっていたかもしれないって、いまだに思ってるみたいですけど、本当はあの時、川に落ちて死んでもよかったと思ったんですよ。なにも生きていて面白いと思ったことなんてなかったんですから」
そう口にする星藍はせせら笑っている。
その態度に、オレはどこか違和感を覚えていた。
オレが、高校生くらいの子がナンパされているところを見過ごしていた。
それはなんとなく覚えている。
だけど、具体的に覚えていたわけじゃない。
だが、目の前にいる星藍の、まるで吐露するような物言いが、どうも腑に落ちなかった。
あの時、オレは病室で[星天遊戯]のサーバーの中にいる星藍に『つまらなくないか』と質問した。
その時、彼女は
『わたしはつまらないってできるだけ思わないようにしているし、つまらないならおもしろくすればいいんじゃないかなって思ってます』
と応えてくれている。
それにメイゲツとセイフウがラプシンによって襲われた時だって、本当は助けてはいけないのに、大丈夫だと言うような、人を安心させるような笑みを見せてくれている。
だからこそ違和感に思える。
目の前で、自分の瘡蓋を爪で剥がし、さらに血を出すような……。
そんな無意味なことを彼女がするとは思えない。
「お前……誰だよ?」
オレはゆっくりと言葉を発する。
「はぁ?」
突然そう聞かれ、星藍は怪訝な表情を向ける。
「オレが知ってる星藍っていうトッププレイヤーはなぁ、どんなことでも笑って済ませるような心が強いやつなんだよ。人をバカにしたような態度でも、その人を心配するあまりに見せる態度なんだ。だからオレはアイツが嫌いにならない。それを知っているからこそ、誰もアイツが嫌いにならないんだ」
「ちょ、ちょっと? なにを言ってるんですか? もしかしてあまりに聞きたくないことを言われ続けて頭がおかしくなりました?」
星藍はケラケラと頭を抱える。
「あの映像は星藍の記憶だろうさ、でもいくらなんでも触れられたくないことを話したくないし、話さないのが筋ってもんだろ? それにお前――星藍が今どこにいるのか知ってるのか?」
「はははは……知ってるもなにも――今目の前にいるのがそうじゃないですか? 私はビコウですよ」
オレはちいさく笑みを浮かべる。
「だったらさぁ、どうしてお前の名前がログアウト状態になってるんだ?」
その一言で、すべてはひっくり返った。
「くぅ……っ!」
悲痛に満ちたビコウの表情。
「おかしいよな? あぁちゃんちゃらおかしい。目の前にいるのがビコウで、フレンドリストの名前が光っていたら、正直お前をそうだと信じていただろうさ」
オレはビシッと指さした。
「正直、演技でしたか?」
「演技……ねぇ、まぁ実際そんなことがあったのかわからないけど……でも騙るにはもうすこし演技した方がいいぜ。ビコウっていうプレイヤーは、オレの知るかぎり『|我旧悪不思(われ、きゅうあくをおもわず)』を地で行くような子だろうからな」
オレは片目を瞑る。
目の前に、ビコウの背後に火眼金睛の少女が現れなければ、お前の勝ちだっただろうからな。
「シャミセン」
声が聞こえ、オレはちいさく笑みを浮かべる。
逆に、ビコウは唖然としていた。
その表情は恐怖に満ちている。
知らないわけないよな? 彼女だってこのステージにいるってことくらい。
「ど、どうしてセイエイがここに?」
「……誰? この人?」
モノクロでよく見えなかったとしても、ビコウの顔は脂汗でびっしょりだっただろう。
それだけ想像していなかったんだと思う。
本物だったら、あまりそういった表情を見せなさそうだ。
「セイエイ、誰かに化けるとか――そういうモンスターって出てくるの?」
物語のお決まり。主人公の偽物が出る。
「うん。ロクジビコウってのが出る」
いつもどおり、淡々と応えるあたり、目の前のセイエイは本物だろう。
「な、なぜだ? どうやってここに?」
偽のビコウが慌てふためく。
たしかにどうやってここに来たんだろう。
「上でメイゲツとセイフウ……コウマさんがいたから、シャミセンはって聞いたら、穴に落ちたって」
うん、説明するあたり、想像できた。
転移アイテムとか使わないところが彼女らしい。
「つまりオレを探しにここまで来たと?」
その問いにセイエイはうなずいてみせた。
たぶん火眼金睛を使っていたんだろうけど、どうやってオレがいる場所がわかったんだろうか?
たまに恐ろしく思えてしまう。
「でも、なんでこの人おねえちゃんの真似なんてしてる?」
「それはこっちが聞きたい。とりあえず聞くけどさ、ビコウの父親ってどんな人?」
「……バカとしかいえない」
どう言うこと? とりあえずキミの祖父でもあるわけですが?
「人が困った顔を見るのが好き。だからバカとしかいえない。わたしも二月の旧正月の時の休みで日本に来たズウフから何回もいたずらにあったことがある」
あぁ、そういう意味で言ったのね。
「ビコウが嫌いになるとか」
「はないと思う。一番なついてたのおねえちゃんだったから」
「変なことをしていたとかは?」
「へんなこと?」
キョトンとした顔で聞き返された。
「あ……っとだな、その嫌悪感をというか、嫌いになるというか」
「それはないと……思う。おねえちゃんのお母さんが、お祖父ちゃんのことを優しい人だって言っていたから」
それを聞いて一安心。セイエイがそう思ってるのなら、そうなのだろう。
この子、嘘がつけない性格だろうからな。
「セイエイ。とりあえずお前の感想を一言でどうぞ」
「感想って?」
「あぁ、まぁ要するにあれだ。目の前のビコウの完成度はってことだよ」
セイエイはジッとビコウを見据える。
そして一言、ハッキリと言い放った。
「雰囲気がぜんぜん違う。おねえちゃんはもっと、太陽みたいに暖かいよ」
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