第34話 「乙女心は、儚い」 妖怪「信者」登場



    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 その朝のとんび野第四小学校、五年二組は、いつも以上にざわざわしていた。

「また転校生が来るぞ!」と、地獄耳の公次が聞きつけてきたからだ。

「また男子らしいぜ! 今度はどんな奴かな!」と、公次はわくわくしている。

「どんな奴でもいいよ!」と相変わらずシンイチはマイペース。

「初回は絶対失敗するから、何回かチャンスをやらないとな」と自分の経験を踏まえ、かつて転校生だった「おっちょこちょいの春馬」が言う。

「どうせミヨちゃんはイケメンがいいって言うんだろ?」とシンイチはミヨちゃんに聞いてみた。

「イケメンが増える分には、地球は良くなる」と彼女は自論を正当化し、おどけてみせる。

 シンイチは男子十八名を見渡して、それぞれのキャラを確認した。

「まあたしかに。オレはサッカー担当、ススムはゲーム担当、春馬はおっちょこちょい担当、大吉はケンカ担当で公次は情報担当で、面白い担当大沢、大食い担当相沢、イケメン担当はいないよねえ」

「そうよ。そのピースがはまることで、二組は最強になるのよ」

「転校生にプレッシャーかけたら、俺みたいに壊れるぞ!」と春馬は変な顔でおどける。


 そのざわざわの中に、内村先生が入ってきた。

「さて。転校生を紹介しよう。芹沢せりざわけいくんだ」

 ざわざわは、水をうったように静まった。とりわけ女子たちが全員声を失った。まるで、神の光臨をその目で見たかのようだった。期待通り、いや、期待を遥かに上回る、芹沢くんは輝ける美少年だった。

 芹沢くんが扉から入ってくるのは、誰の目にもスローモーションのように見えた。色白で線の細い、触れたら壊れるガラス細工のような瓜実顔。さらさらで長い栗色の髪と、透けるような茶色の瞳。我々がさつな庶民が触れたら壊れそうな、繊細という文字を人に現したようだ。

「はかなげ……」

 女子の黒谷くろたに千尋ちひろが吐息を漏らした。他の女子は、息をする余裕すらなかった。

「芹沢くん。自己紹介を」

「……芹沢……啓です。……あまり体が丈夫じゃないので、体育が苦手です……。あと、小説を読むのが好きです……」

 消え入るような声を、女子たちは必死で聞き取った。この瞬間、恐らく全女子が恋をした。

「芹沢くん! 食べものとか、好きなのありますか!」

 積極的に佐野さの美優みゆうが手を挙げて聞いた。

「あまり、多くを食べられないから、……コーヒーとかが好きです」

「大人ー! 砂糖とミルクはどれくらい入れますか?」と、美優に競うように千尋が聞く。

「……ブラックが好きです」

「大人ー!」

「あと……」

「?」

「……今日は疲れたので、ぼく……保健室……行きたい……です……」

 そう言って芹沢くんはふうと気を失い、スローモーションのように倒れた。内村先生が咄嗟に体を支える。女子の悲鳴があがった。

「私、保健委員なので連れて行きます!」と千尋が手を挙げた。

「私も!」と、美優も手を挙げた。

「私、保健委員じゃないけど協力します!」と、井出いでなつきも手を挙げた。

「私も!」「私も!」と、我先にと女子が次々手を挙げた。

「えーっと、……じゃ、みんなで責任を持って」

 内村先生は女子たちの勢いにたじろいだ。恋する乙女は象をも動かす。全女子が手を挙げていた。ミヨちゃんも勢い良く手を挙げているのを見て、シンイチはちょっと心が傷ついた。


 教室では、残り半分の男子が、居心地悪そうに待っている。保健室から全女子が帰ってきた。千尋はため息をついて、思わずつぶやいた。

「はかなげ……」

 美優もうなづき、ため息を漏らした。

「うん。はかなげ……」

「はかなげだわ……」と、なつきも目をウルウルさせた。

 「はかなげ」の一言が、これからこの教室で大ブームになることになる。そしてその度に漏らされる桃色のため息が、心の闇をブームになることになる。


    2


 その日は芹沢くんは早退した。内村先生の話によれば、彼は心臓が生まれつき弱く、体調が不安定なのだそうだ。だから走ることもできず、男子たちとサッカーをしたこともないのだという。その病弱さと、一瞬の自己紹介の記憶から、女子たちはやはり全員「はかなげ……」とため息をついた。

「ちくしょう! 倒れる手があったか!」と、春馬は新手の出現に悔しがった。

「アンタじゃインパクトないでしょ! あの美少年にふさわしいからはかなげなの!」とすっかり恋に落ちた千尋がたしなめた。

 次の日の朝からは、女子は全員芹沢くんの話でもちきりだ。小説ってどんな本読むんだろうかとか、前の学校でもモテたのかとか、彼女いたのかとか、あの美しく繊細な瞳はどこを見ているんだろうかとか。

 青いメガネのススムは、なんだかムカついて女子たちに言ってみた。

「芹沢だって男だぜ! めしも食えばトイレも行くんだぜ! アイドルじゃないんだからさ!」

 しかし恋する千尋は反論する。

「芹沢くんはトイレに行かない」

「行くだろ!」

「行かない。仮に行っても、なにもせずに出てくる」

「じゃ、何しに行くんだよ!」

 話を聞いていた天然キャラの赤坂あかさか七瀬ななせが言った。

「知らないの? マシュマロを出しにいくのよ?」

「ハア?」

「それだわ七瀬! 芹沢くんのイメージにぴったり!」

「アイドルはそうだってテレビで言ってたの」

「マシュマロかあ。はかなげ……」

「うん。はかなげ……」

「馬鹿らしい!」とススムは、瞳を潤ませる女子たちに付き合いきれない。


 そこへ、芹沢くんが教室に現れた。神の再臨である。

「おはよう!」と、ワントーン高い声で千尋が叫んだ。

「おはよう芹沢くん!」と、ツートーン高い声で美優が叫ぶ。

「おはよう啓くん」と、なつきがしなを作る。

 全女子の視線が、教室の扉のほうへ注がれた。

「お……おはよう」

 芹沢くんは、入りづらそうに笑った。

「芹沢くんカバン重くない? 持ったげる!」

「ズルイ! 私も持つ!」

 千尋と美優が芹沢くんのカバンを奪い合う。

「芹沢くんの席はここよ」と、なつきは先回りして待っている。

 女子たちは砂糖に群がる蟻のように、芹沢くんを囲むことになった。教室に入って席につくだけで大事件だ。

「きのうは大変だった? みんな心配したのよ!」と美優が積極的にしゃべった。

「あ、……ああ。ぼく、時々、ああなるんだ」

「先生から聞いたわ! 心臓が悪いんですって? でも大丈夫! きっと治るわよ! このクラスはみんな仲良しで、元気いっぱいだもん!」と千尋が一気にまくしたてる。

「う……うん」

「大丈夫。芹沢くんはウェルカムなのよ」と、なつきはセクシーにしなを作る。

 本好きなミヨちゃんが質問した。

「ねえ芹沢くん! 小説が好きって言ってたわよね! どんなの読むの?」

「最近はSFかな。少年向けの、ジュブナイルSFってのがあって」

「カッコイイ!」と千尋が合いの手。

「SFは、座ったままで銀河のスケールが体験できるんだ」

「ロマンチック!」と美優も合いの手。

「はかなげ……」

 乙女たちはまたため息をつく。

 そこへシンイチが遅刻ぎりぎりにやって来て、思わず声を失った。芹沢くんに群がる女子全員に、「心の闇」が取り憑いていたからである。

「妖怪……『信者』」


 その名は妖怪「信者」。体こそ小ぶりだが、目だけはキラキラ大きく、教祖を憧れのまなざしで見つめる少女そのものの顔をしていた。黒谷千尋、佐野美優、井出なつき、昨日積極的に話しかけ、今日も積極的にアピールしている子の「信者」がとくに大きい。ミヨちゃんにも七瀬にも、ピアノ教室を辞めた鈴木すずき有加里あかりにも取り憑いている。

 クラス全員の女子に、まるで集団心理のように心の闇が蔓延していたのである。


    3


 女子たちは常に集団で芹沢くんを囲み、休み時間の移動にも集団でついてゆく。集団でトイレにもだ。「マシュマロ待ち」である。信者集団全員で行動するため、シンイチはミヨちゃんに事情を話して切り崩そうにもチャンスがなかった。

「ミヨちゃん、話があるんだけど」

「今芹沢くんをみんなで校内案内してあげてるから、あとで!」

「そんなの、俺の時にはなかったぞ……」と春馬はちょっと凹んでいる。


 体育の時間、芹沢くんは心臓の持病の為見学だ。女子も全員集団で見学を申し出た。

「なんなんだお前ら、おかしいぞ!」と内村先生は言う。

 シンイチは、内村先生に「心の闇」だと耳打ちした。

「なんだって! どうするんだ」と、内村先生は他の生徒にばれないように小声で話した。

「分かんないから、まだ様子を見てる」

「……奴らの大きさは?」

「まだ、拳大」とシンイチは大きさを手で示す。

「……じゃ、まだ気づかない振りして体育を続けるか」

 芹沢くんは体育座りのまま、跳ね回る男子をうらやましそうに見ている。その美しい横顔に、女子たちはあらためてため息をつく。

「はかなげ……」

 給食でも女子たちは、先を争って芹沢くんに牛乳やらデザートやらを持ってくる。喜捨を戴く仏陀のように、芹沢くんはアルカイックな笑顔で応対する。



 事件は給食後、芹沢くんが再び病院へ早退したあと、起こった。

「アンタさっきの体育、芹沢くんに近づきすぎ!」と、千尋が美優に文句をつけたのだ。

「アンタこそ、真っ先にゼリーあげた癖に!」と美優も返す。

「隣に座ってポイント稼ごうとしてんじゃないわよ泥棒猫!」

「ゼリーで芹沢くんが釣れるとでも思ってんの?」


 五年二組の女子十八名は、大小さまざまなグループの人間関係を持っている。

 言い合いう黒谷千尋と佐野美優は、女子二大派閥の、それぞれリーダーである。

 黒谷千尋は、松本まつもと友香ともか、赤坂七瀬と仲が良く、佐野美優は岡田おかだ香織かおり遠藤えんどう里奈りな川原かわはらリリアと仲が良い。人数としては美優派に属する女子が多いが、千尋のほうが体格が大きく迫力がある。千尋は美優派を烏合の衆と呼び、美優は千尋派をでくの坊集団と陰口を叩く。ちなみにミヨちゃんは、公文くもんじゅんと赤坂七瀬とよく遊ぶので、間接的に千尋派に属することになる。

「大体ね、朝、席に案内するとか、なつきも抜け駆けしてんじゃないわよ! 色仕掛けで芹沢くんを引っかけようとしてさ!」

 と、千尋がなつきにも文句を言い始めた。井出なつき、澤田さわだ涼子りょうこなど、派閥に属するのが嫌いで、独立愚連隊を貫く子もいる。

「何が言いたいの?」となつきはカチンと来た。

「みんな! みんなは芹沢くんのことが好きなんでしょ?」と、千尋は「みんな」という集団を味方につけようとした。女子たちは恋する目でうなづく。

「芹沢くんはみんなのもの! 私たちの争いで、心臓に負担かけさせないほうがいいと思うの! そうよね?」

 美優もうなづく。

「たしかに。芹沢くんがずっといてくれた方がいい。芹沢くんが早退しない方がいい」

 女子たちは恋する瞳で同意した。

「だから芹沢くんはみんなのものよ! 抜け駆け禁止!」と千尋が言う。

「それが皆一番幸せかも!」と千尋派の友香が叫んだ。

 これはすなわち煽動である。千尋が女子たちを一枚岩にまとめたところで、水筒を持ってきた。


「これから芹沢くんへの愛を試すから。誰が一番思いが強いか」

 美優も意図を察知して、自分の水筒を持ってきた。

「美優も持ってきたの?」

「もちろん。芹沢くんの好きなブラックコーヒーよね?」

 と美優はコップに黒い液体を注ぎ、皆に見せた。千尋も同じことをした。

「芹沢くんの好きなものをどれだけ愛せるか、それが一番思いが強いってこと」

 と宣言し、千尋はブラックコーヒーを一気飲みした。

 苦い。苦い。苦い。小学生女子にとっての快楽とは、カスタードシュークリーム砂糖まぶし、チェリージュース添えである。その真逆の極北、ブラックコーヒーの苦さは修行の味だ。それは肉体的苦痛の超克以外の、何物でもない。千尋は鼻水を流し、涙を流し、それでも一杯を飲みきった。帰依の心である。

 それを見た美優も同じく一気飲みし、顔の中心に皺を寄せ「米」の字の顔になり、目をしばらく開けられなかった。吐き気と涙は自分の意志で止められないのだと、彼女は人生ではじめて知った。

「一杯だけ?」

 と千尋は挑発し二杯目を注いだ。

 美優は応じ、二杯目を注いだ。

「甘いジュースなんじゃないの?」となつきが二人のコーヒーを毒見して、苦さに顔をしかめた。これはまさしく苦行味である。罰ゲームだ。神は、罰と試練を民に与えるのだ。

「あんたもやる? 先に音をあげたほうが負け」

 なつきは高速に首を振る。かくして千尋と美優の、ブラックコーヒーサドンデスがはじまった。

 二杯目。三杯目。

 全身から嫌な汗が出て、体が震えはじめる。

 シンイチが止めようと試みた。

「お前らやめろよ! そんなことしたって芹沢は喜ばねえだろ?」

「男子は黙ってて!」と、千尋派の里奈が制した。

 これはメスの猿山のボス争いだ。信心帰依の度合いを試す、聖なる克己の試練である。

 四杯。五杯。六杯。

 七杯目で、ついに美優は気分が悪くなりトイレへ駆け込んだ。愛の深さより、千尋の体格の大きさが有利に働いたのかも知れない。

 千尋は胸を張り、周りを見渡した。

「挑戦者はいる?」

 誰も挑まず、ボスは大柄な千尋に決まった。集団は千尋を中心に、まとまることとなった。

「以後、私が芹沢くんと一番に話す権利があるから」

 ええっ、と声を上げた友香を、千尋は睨んで黙らせた。

「綾辺。芹沢くんが言ってた本、どれ?」と、千尋はミヨに尋ねた。

「学級文庫の、男子のコーナーの右上は全部そう」とミヨは答えた。

 千尋はそのうち一番大きな本を取り、席に座って読み始めた。

「あんたたちも読んでいいよ。芹沢くんの世界」

 ボスにそう許可を出され、女子達はジュブナイルSFを次々に手にとって読み始めた。「タイムマシン」「海底二万里」などの古典から、「まぼろしのペンフレンド」「『希望』という名の船に乗って」などの中期作、近作まで。これが芹沢くんのいる世界。彼女達の肩の妖怪「信者」は、さらに大きさを増してゆく。


「ミヨちゃんちょっと!」とシンイチは、この隙にミヨを廊下へと連れ出した。

「なによ?」とミヨはいつもよりよそよそしい。好きじゃない男への態度は、女はかくも冷たいものである。

 シンイチは腰のひょうたんから鏡を出し、ミヨに見せた。

「妖怪『信者』が取り憑いてるんだ! しかも女子全員に!」

「なにこれ!」

 ミヨはようやく目が覚めた。「心の闇」退治は、「自覚」がなにより第一歩だ。

「じゃなに? 私が芹沢くんが好き、って思ったり、芹沢くんの為に何かしたいって思うのは、この妖怪の仕業なの? ていうか、私はまた心の闇に取り憑かれたの? バッカじゃないの私!」

 これまで「弱気」「みにくい」に取り憑かれたり、兄の哲男が「上から目線」に取り憑かれたりしてきたミヨは、事態を飲み込むのが早かった。心の深くまで根が達していなかったからだろう。途端に彼女の肩から「信者」が外れた。シンイチは周囲に不動金縛りをかけ、火の剣で斬り伏せた。

「でもさ、ミヨちゃんだから今なんとかなったけど、他の女子はどうすればいいんだ? リーダーの黒谷とか、もはや異常信者だよ」

「うーん」とミヨは考えこんだ。

「芹沢くんカッコイイからね。『実は嫌な奴』とかでもなさそうだし、優しそうだし、多分女の子はみんな好きになるよ。その気持ちはどうしようもないでしょ」

「だからってさあ」

 シンイチの中には、軽く嫉妬の成分が入っている。

「……みんなに、取り憑いてるのね?」

「うん」

「一人ならただの恋でも、『集団で恋すること』が闇だとしたら……」

「どういうこと?」

 と、教室内から悲鳴が上がった。千尋が胃の中のものを、ブラックコーヒーごと戻したのだ。体に無理をさせた故か、「ウラシマ効果」や「スイングバイ」という耳慣れぬ概念に触れたせいか。千尋は保健室に運ばれた。信者たちの実権は、トイレから帰還した美優へスイッチした。


    4


「飲み物はブラックコーヒー」と美優が先に言い、残りの女子が唱和した。

「飲み物はブラックコーヒー!」

「体育は休む」

「体育は休む!」

「趣味は小説」

「趣味は小説!」

「抜け駆けは禁止」

「抜け駆けは禁止!」

 まるで軍隊教育のような思想統制だ。

 信者の新リーダーとなった小柄な美優は、放課後、女子を集めていた。千尋派閥だった友香と七瀬、純は、美優派に寝返った。


「独立派のなつきと涼子を千尋派と組ませて、美優派と対抗させるのはどうかしら」とミヨは思案する。

「そんなことで妖怪が外れるの?」とシンイチは言う。

「わかんない。でも一枚岩になってると、思考停止しちゃうと思うのよね」

「思考停止?」

「『私たちは一枚岩』っていう安心よ」

「だから、争いを起こして一枚岩を割るのか」

「……とりあえずは。『私は何でも芹沢くんの喜ぶことをしたい』って思うのはね、一種の思考停止だと思う。だって、脳がしびれて気持ちいいんだもん。『私は神のしもべ』ってことに、酔ってるのよ」

「信者の気持ちがよく分らないけどさ、『自分が何かのしもべだ』って気持ちで、自分をループさせて、安定させてるんだよね多分」

「うん」

「人の心は、ループに陥った時に、心の闇に取り憑かれるんだと思う。今回のループは、『自分たちがしもべ』ってループ。それが、集団の中でぐるぐる回ってる。そのぐるぐるを、妖怪たちが吸うんだ」

「……吸い尽くして、みんな死んじゃうの?」

「多分。このループを断ち切らないと……。女の子は、どうしたら好きじゃなくなるの?」

「次の人を好きになるとか?」

「それじゃ次の教祖が生まれるだけだよ」

「嫌いになるとか?」

「芹沢は転校生だぜ! 嫌われるのは可哀想だろ。普通につきあうって出来ねえのかよ?」

「わかんない……どうやったら好きな人と『普通』に戻れるのか」


 男子たちはそんな緊急事態も知らず、校庭で放課後サッカーに夢中だ。そこへ芹沢が病院から帰って来た。シンイチは走っていった。女子がいない今、芹沢と話せるチャンスだ。

「芹沢! お前どうしたの? 病院大丈夫?」

「うん。……ぼく、男子と遊んでないのが……なんか嫌で」

「そっか!」

「ごめんな。……ぼく、女子に人気出ちゃうんだ。前の学校でもそうだった。でも本当は、男子とサッカーとかしたいんだ。……でも、体のせいで……出来なくて」

「ススム! ボール貸して!」

 シンイチはススムからサッカーボールを奪って来た。

「リフティング、出来る?」

「二回……」

「そっか! じゃ、手でボール触ってみ!」

「? 手で触ったら駄目でしょ?」

「試合中はね! でも手でボール触るの大事だぜ! 足より手の方が器用だろ?」

「そりゃそうだよ」

「ボールに触ってさ、ボールと仲良くなるんだ。友達を足で触って仲良くなる奴はいないだろ?」

「はは。たしかに」

 芹沢はサッカーボールを抱えて、はじめて笑った。

「なんだ、話しにくいと思ったけど、お前普通の奴じゃん!」

 と、シンイチも笑った。

「女子たちに囲まれて得意になってる、嫌な奴かと思ったよ!」

「正直……ぼく、女の人に囲まれるのが嫌なんだ」

「なんで?」

「緊張するし、みんなに平等に接しないと怒るし」

「平等?」

「そうだよ。○○ちゃんにひいきした、とか、あとあとうるさいんだ」

「イケメンはイケメンなりに苦労してんだな!」

「イケメンとか言わないでよ」

「嫌なの?」

「うん。女子って集団……正直めんどくさい」

 背後に、水筒の落ちる音がした。

 シンイチと芹沢は振り返った。美優が、女子を引き連れて話しかけるタイミングをはかっていたのだ。シンイチはそれに気づいてなかった。

「私たち……めんどくさいのね?」

 女子全員の顔がひきつった。美優たちを尾行していた千尋一派も、「めんどくさい」という一言を聞いていたようだ。

 美優は発作的に走り出した。皆も美優の後を追う。それは妖怪「信者」のなせる集団心理か。人間という群れに備わった同調圧力か。

「ちょっと! どこ行くの!」

 「信者」の全女子は屋上へ走ってゆく。シンイチは走って追いかけた。芹沢くんも走れないがゆっくり歩いて追う。

 全女子は屋上にたどり着き、フェンスを上りはじめた。

「私たち、死ぬ! それが芹沢くんの為になるなら!」

 美優は号泣していた。殉教者の気分か、妖怪「信者」はさらに巨大に膨れ上がった。千尋も、なつきも、我先にフェンスに上りはじめた。

「芹沢くんの為!」

「芹沢くんの為!」

「死んで、芹沢くんへの愛を示す!」

「私は芹沢くんが好き! 芹沢くんはすごい! すごい芹沢くんが好きな私はすごい! すごい私が私は好き!」

「殉・愛・一直線!」

 たとえ不動金縛りで止めても、解いたらまたフェンスを上りはじめる。そう判断したシンイチは、腰のひょうたんから天狗のかくれみのを出して被り、教祖・芹沢に変身した。

「きみたち、やめたまえ! それは僕が悲しむ。教祖が悲しむのはダメだ」

 女子たちはぴたりと止まった。千尋が尋ねた。

「じゃあ教えて! 私たちの中で、誰が一番好き?」

「はい?」

「一番弟子を決めて!」

「あ、……えっと、みんなを好きだよ」

「私が一番じゃないなら、死んで一番になる!」

「私も!」

「私も!」

「ちきしょう! 不動金縛り!」

 シンイチは急いで芹沢くんを連れて来て、本人に止めさせることにした。不動金縛りを解くと同時に、芹沢くんに話しかけてもらう。

「君たち、下りてよ。……下りたら誰が一番か言うよ」

 なるほどそうやって誘導するのか。慣れてるな、とシンイチは感心した。

 と、振り向いた美優の表情が急に変わった。フェンスの一番上に手をかけていた千尋も驚愕した。なつきもショックのあまり、顔が固まった。

「?」

 シンイチは女子たちの異変に気づいた。涼子も、友香も、香織も七瀬も純も里奈も、皆顎が外れる顔になった。何が起こったのか、シンイチには理解出来なかった。芹沢本人もだ。自分の言葉の何が悪かったのか反芻し、笑顔で女子たちを見る。

 シンイチは芹沢を見て、すべてを理解した。

「ああああああ!」

「?」

 シンイチは指さした。

「鼻毛!」

 繊細でガラス細工のような色白の肌。栗色の細い髪と透き通る茶色の瞳。美しい笑顔の教祖、美少年の鼻の穴(右)から、黒くてぶっとい鼻毛が一本、ハミ出しあそばされている。

 屋上に風が吹いた。

 鼻毛が風にそよいだ。

 その瞬間、乙女達の恋心が冷める音がして、妖怪「信者」は全員から外れた。

 呆気ない幕切れだった。

「不動金縛り!」

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

 まさか鼻毛一本で恋が終わるなんて思ってもいなかった。女心はかくも残酷か。納得行かない気持ちでシンイチは火の剣・小鴉を抜いた。黒曜石の短い刀身から、天狗の炎が燃えさかる。

「ねじる力!」

 十七匹の「信者」を、竜巻の力で一気にまとめあげた。

「一刀両断! ドントハレ!」

 妖怪「信者」たちは、幻滅の表情のまま、炎に包まれて清めの塩へと化した。



「『女心と秋の空』と言ってなあ。変わり易いもののツートップなのだよ」

 全てをシンイチから聞いた内村先生は、空を見上げて解説した。

 変わり易いものだから、熱狂が起こるのか。変わらないものは、熱狂にはならないのだろうか。シンイチは女心を分かるには、まだまだ経験の足りない子供である。

「まあ、秋はだいぶん先だがね」

「鼻毛一本で幻滅だなんて、乙女として修行が足りない」と、ミヨはぷんぷんしながら辛口の意見を述べた。

「でもミヨちゃんからあんな豪快な鼻毛出てたら、オレも幻滅する自信ある」

 と、シンイチはミヨちゃんを見た。

「え? 出てる?」とミヨはあたふたとし、出てないと分るとシンイチを何度も叩いた。



 それから。


 転校生同士、芹沢と春馬が仲良くなった。シンイチのアイデアで、キーパー役を芹沢がすることになった。


 そして、鼻毛のことを「はかな毛」と呼ぶのがしばらく流行った。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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