第16話 「涙目は、炭酸のせいにした」 妖怪「二番」登場

    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 恋は人を変える。私もそう思う。


 七限目の補習なんてダルイもの、誰が考えたんだろう。早く帰るか、親友のヨリ子とどこかでおしゃべりするかの二択にしたい。数学の樺島かばしまは、きょうも意味の分からない呪文を黒板に延々と書き続けている。女子に数学、いる? そもそも? もっと手加減してくれてもいいと思う。カバ島はモテないから、女子高生を補習という名目で集めて、匂いを嗅ぎたいだけなんじゃないか。この変態。

 私は窓際の席から、カバの話なんてちっとも聞かず、外のグラウンドを見ていた。籠の中の鳥のように。一年のクラスは一階だから、眺めなんて良くない。それでも外の空気が吹いていて、少しばかり私の心を救っていた。

 運動部たちが、とっくに柔軟とか基礎練みたいなのをはじめている。カバ島の甲高い声よりも、男子たちの低くてリズミカルな声のほうが落ち着く。私はこの瞬間までカバ島と自分の悪い成績を恨んでいたのだが、あと数秒後に、その両方と神様に、感謝の踊りを捧げることになる。

 朝比奈あさひな先輩が棒高跳びの自己記録、五メートルフラットを塗り替える瞬間を、目撃できたからである。


 大体、棒高跳びはそれ自体でかっこいい。あの白くて長い棒を構える瞬間の凛々しさったらないし、棒を突いてグイーンとありえないぐらい曲げてタメをつくる瞬間はぞくぞくする。なにより力を解放しきった頂点だ。我々一介の女子には決してたどりつけない、五メートルの上空で、彼は一体何を見ているのだろう。蒸し蒸した地べたの教室から、彼の背中に吹く風の形までくっきりと見えた。彼が頂点で見ているものを私も見てみたい。空は回るのだろうか。風はどんな匂いがするのだろう。永遠の一瞬のあと、鮮やかなブルーのマットから起き上がった先輩の汗と白い歯を見た瞬間、私は恋に落ちた。

 背が高くて、骨ばっていて、切れ長の目で鼻が高くて、乱れた髪すら奇跡的に神だった。


 恋は人を変える。

 私は親友ヨリ子とのおしゃべりなんてどうでも良くなり、毎日教室の窓から陸上部の練習を見てはため息をつく、恋する乙女になった。

奈々なな。目当ては朝比奈先輩なんでしょ?」とヨリ子はいきなり核心を突く。

 私は不意を突かれ、上手くごまかしきれなかった。

「な、なんで分かるのよ」

「一番人気だし、分かりやす過ぎ」

 ヨリ子は窓の外の陸上部を見ながら、前の席に座る。

「分かりやすい……の?」

「うん。でもやめとけ」

「なんで?」

「三年のカノジョいるし」

「え、年上と付き合ってんの?」

「一年の雑魚が勝てるわけないっしょ」

 朝比奈先輩は二年である。高三なんて、我々高一からすれば天地のひらきの大人に見えるものだ。

 私はヨリ子とグラウンドに出てみた。沢山いるファンクラブの女達が、フェンス越しにキャーキャー言っている。私はその輪に入りたくないので、彼女達と違うところから先輩の後姿を追おうと思った。私と同じ考えなのか、集団から距離を置いて一人佇む物凄い美人がいた。

「あの人がレイコ先輩。あの人から告ったんだって」と、ヨリ子が親切にも教えてくれる。

 負けた。というか、女としての勝負の土俵にも立てていない。私が男なら、いや今の女の状態でもレイコ先輩に告白されたらOKするだろう。風になびく長い栗色の髪、色白でハーフみたいな目鼻くっきり。美人を絵に描くとしたら、こういう顔。だって横顔だけで私倒れそうになったもん。おまけにやさしくて性格もいいんだって。勝てるところないじゃん。

「無理っしょ。朝比奈先輩がカッコイイのは認めるけど」

 ヨリ子はあくまでも冷静だ。時々あんたの冷静さが嫌になることもあるけど、それが私を客観的にしてくれることもある。しかし今言うか。親友としては、止めるべきは今なんだろうけどさ。

 朝比奈先輩がレイコさんのところへ走ってきた。彼女はタオルと、ペットボトル入りの炭酸水を渡した。先輩は汗をふき、サンキュ、と笑って、プシュっと勢いよく蓋を開けた。CMみたいにカッコ良かった。それだけなのに、レイコさんに猛烈に腹が立った。先輩はごくごくと殆ど一気飲みして、派手なゲップをした。それすら、男らしくて潔くてカッコ良かった。誰から貰った炭酸水だろうが、先輩はかっこいいのだ。残りの炭酸水を頭から被り、水もしたたるいい男になった。

「アレジュースじゃなくて、炭酸入りの単なる水だから、ベタベタしなくて気持ちいいらしいよ」と、ファンクラブの常識にもなっている基礎情報をヨリ子が教えてくれた。

 帰りのコンビニで、彼が飲んでいたものと同じ銘柄を見つけて飲んでみた。味もしないただの水で、キッツイ炭酸がウリだった。思わず涙が出た。

「全部飲めない。ヨリ子飲んで」

 ヨリ子もちょっと飲んで涙目になった。

「こんなキッツイの、飲んでるんだ」

「……やっぱ私が全部飲む」

 私はちょっとでも、先輩と同じ気持ちになりたかった。


 恋は人を変える。私はレイコさんに、勝たなければならない。


    2


 私はメガネをやめて、コンタクトにした。モテ女への階段を登るのだ。

 十六年間黒かった髪を、はじめて色を抜いて明るい茶色にした。なけなしの貯金はそこで尽きた。男子に引かれない程度の薄いピンクのリップを塗るテクニックを、ヨリ子の教えてくれたサイトで学んだ。

 やれることは全部やって、外見を変えて、私はその勢いで、朝比奈先輩を校舎の裏手に呼び出した。ていうかヨリ子にやって貰った。ヨリ子ありがとう。次のバイト代で、なんでもおごる。

 校舎裏に先輩の姿が見えて、私は心臓から喉が飛び出しそうだった。いや逆だ。落ちつけ私。

いつも豆粒ほどの大きさの先輩が、話せて、手を伸ばしたら触れる距離に来て、心臓から喉どころか目も鼻も飛び出そうだ。

「何?」

 先輩はいつものキッツイ炭酸水を持っていた。それ、私も飲んでます。

「あ、あのですね……」と、私はマンガみたいにもぞもぞしてしまった。

「あれ? これ、告白?」

 先輩は辺りを見回して、空気を読んだようだ。今思えば、こんなことにはしょっちゅう慣れっこなのかなあと。しかし今の私には、そんな余裕など埃の直径ほどもない。

「はいっ。……そ、そうです」

「俺、カノジョいるの知ってるよね?」

「はい」

「じゃなんで」

「だから、二番目の彼女にしてください」

「……は?」

「レイコ先輩に勝てないんなら、二番目の彼女にしてください」

 我ながら一体何を言ってしまったんだろう。これは敗北前提の告白ではないか。妥協案から先に提示して相手にノーと言わせない、小ずるい戦法ではないか。私は自分の器の小ささを呪った。

「いいよ」

「えっ」

 あまりにもあっさりと、先輩は返事した。薄いピンクのリップが効を奏したか、明るい茶色を選んでくれた美容師の力か。先輩は白いスマホを制服の尻ポケットから出した。

「ラインとか教えてよ」

「はっ、はい!」

「あ。ていうか、名前教えてよ」

「あ……すいません! 申し遅れました。一年C組の、斉藤さいとう奈々です」

「奈々ちゃん。よろしく」

 奈々ちゃんって呼ばれた。ヨリ子、一年分のバイト代で何かおごってもいいぞ。

「あ、勿論これは内緒だよね?」

 と、先輩は顔を近づけて確認してきた。断れるわけないし。ていうかばれたら大変だし。私と先輩だけの秘密って、倒れそうにドキドキするし。


 それから、先輩とは何回も「秘密の」デートをした。心臓から飛び出た喉はまだ帰ってきていないが、話はだんだん続くようになってきた。デートっていっても、陸上部の練習のない日に、マックに行ったりスタバに行くぐらいのカワイイものだ。しかし目撃されないようにふたつ隣の駅にわざわざ行く、という秘密感が毎回私をドキドキさせた。

 でも、先輩はいつもスマホを気にするのが嫌だった。レイコさんから連絡が来たら、私を置いて彼女の所へ行くからだ。そのスマホから私に連絡が来るから、それは大切なものなのだけれど、出来るなら私はそれをへし折ってしまいたかった。

 私の高校は海のそばにある。だから大抵のカップルは付き合い始めると海を歩く。それはカップルの証明のようだ。勿論先輩もレイコさんと歩いただろう。でもみんなに見つかるから、そこから東に行った河口が見つかりにくい。その桟橋の下で、カップルはキスしたり、それ以上のことをするらしい。

 突然、朝比奈先輩は海岸には降りず堤防沿いにずんずん進み、桟橋が見えてきて、私はどうしようどうしようと内心猛烈に焦りながら、掴まれた手は離したくないので離さなかった。

 ところが、桟橋まであと一歩の所で先輩のスマホが鳴ったのだ。私は泣きそうになったけど、ここで我儘を言って嫌われるのは唯の馬鹿だと思って言葉を飲んだ。一番だいじなのは私ではなく、先輩の気持ちだ。

「レイコさん?」

 なるべくとげとげしくないように、私は聞いた。

「ごめん。行かなきゃ」

「うん。わかった。……私は、二番だし」

「またね」

 一瞬だった。先輩は私に覆いかぶさってきた。状況を理解するより早く、私は唇を奪われた。心の準備なんて全然出来ていなかった。風が吹いた。その匂いが、先輩が五メートル上空で嗅ぐ匂いと、同じだと思った。

 二番なんて関係ない。今私は幸せで、それが一番だ。


    3


「お前さ、朝比奈先輩にレイコさんがいると知ってて、あんなことしてんのかよ?」

 同じクラスの和田わだが、放課後私を呼び出して突然こんなことを言い出してきた。先輩と同じ陸上部で、専門は、えっと、何だっけ。

「あんなことって何」

「俺、見たんだよ。桟橋のとこでキスしてたの」

 さっさと帰ろうと思っていた私は、足が止まった。

「……だから何なの? アンタには関係ないでしょ? ……それとも、脅すつもりなの?」

「逆だよ。やめとけって言いに来たんだよ」

「はあ? 何それ。何様。私がどうしようと私の勝手でしょ。私は二番目の彼女に満足してんだから、どうでもいいでしょ」

「よくねえよ! そんなのやめとけよ!」

「関係ないでしょ!」

「あるよ! 俺、お前が好きだからさ!」

「ハア?」

「…………!」

 和田はしまった、という顔をした。私でももうちょっとましな告白の仕方を考えるだろう。

「意味わかんない」

「わ、分かんなくてもいいよ。俺、メガネやめて茶髪にした斉藤見て気づいたんだよ。結構カワイイってさ」

「あんたの為じゃないし」

「朝比奈先輩なんてやめとけよ。俺と付き合えよ」

「何でよ」

「俺お前が好きなんだよ」

「……」

「二番目の彼氏でいいからさ」

「…………何言ってんの?」

 恋は人を変える。どうでもいいと思っていた和田が急に真剣になって、ちょっとびっくりした。「二番でいい」という気持ちは、目から血が出るくらい、よく分かる。


 その後マックに寄って、少し喋った。和田は中距離の選手らしい。中距離って何? 短距離が百、二百、四百。長距離がマラソンと駅伝、一万、五千。中距離ってその間。八百、千、千五百、二千、三千。聞いたこともない。マラソンと駅伝と百ぐらいしか知らないし。ていうかただ走るのにそんなに種目ってあるんだ。でもやっぱ微妙なポジションだよね。

 私のケータイが鳴った。朝比奈先輩からだった。

「ごめん。先輩に呼び出された」

「……。おう。……俺、二番だしな」

「……ごめん」

 私は席を立った。私は、自分が一番傷ついたことを和田にした。和田の顔は、見れなかった。


 その夜、私は朝比奈先輩とは会えたけど、やっぱり先輩のスマホが鳴って、途中で終わった。「つづき」はレイコさんとしたのかも知れない。

 家に帰って、色々考えて、私は泣いた。


 私の高校は、神奈川県の西のほうにある。交流試合ということで、県境を越えて東京の高校まで陸上部が遠征することになり、私もその試合を見に行くことにした。鞄には先輩が飲むだろう炭酸水を準備しているけど、レイコさんがいるから出番はないと思う。

 ファンクラブの女子どもは既にいい席を陣取っていて、黄色い声援をあげている。私は彼女たちから距離を置き、レイコさんとも距離を置き、フェンス越しに陰ながら先輩の勇姿を見守ることにした。ポール(あの白い棒のことをそう呼ぶのだと先輩に教えて貰った)を構える先輩の姿は、いつ見ても美しい。風になびく髪もだ。いつかあの髪に触れたい。助走し、力を貯め、いよいよ五メートルの高さにテイクオフした瞬間、ヘンテコな子が隣に座って話しかけてきた。

「あなた、妖怪に取り憑かれてますよ」

「は?」

 天狗? その子は真っ赤な天狗の面を被っていて、あまりのインパクトでびっくりして、朝比奈先輩の美しい着地を見逃したのに気づいたのは、ファンクラブたちの黄色い歓声を聞いてからだった。

 その変な子を無視していると、向こうから話しかけてきた。

「あなたは二番でいいや、って思ってるでしょ。二番のポジションに安心して、それを言い訳にしてるでしょ。でも本心は苦しくてしょうがない。ちがう?」

「なんなのよ。占い師か何か?」

「いいや。妖怪『二番』に取り憑かれてるって、警告しに来たんだ」

 なにこいつ。気味悪い。私は席を立ち、朝比奈先輩の次の試技を目に焼き付けるためにフェンス際まで歩いた。天狗面の子はその私についてくる。

「なんなのよ。ついて来ないでよ」

「妖怪『心の闇』が、お姉さんの心に取り憑いてる。あなたの闇はあなたのせいじゃない。妖怪の仕業なんだ」

 思い当たる節がありすぎて、思わず耳を傾けてしまった。古ぼけて傷だらけの、ちょっと恐くて間抜けな天狗の面が気になり、またも黄色い歓声に気づいて、マットから起き上がる朝比奈先輩しか見れなかった。

「なんなのよあんた?」

「オレは妖怪『心の闇』を退治する、てんぐ探偵」

「妖怪退治? それで壺とか水晶とかラッセンの絵とか買わされるんでしょ?」

 その子は突然鏡を見せた。

「なにこれ」

 鏡の中の私の肩に、奇妙な全身ピンク色の生き物が乗っかっていた。自分の肩には何もない。鏡の中だけに見えている。

「なんなのよこれ!」

よく見ると、額に何か書いてある。鏡にうつっているから左右反対で、それは「2」のようである。

「それが、妖怪『二番』」


    4


 話を聞けば聞くほど、私は混乱してきた。ちょっと待ってちょっと待って。これは女子高生によくある三角関係や四角関係の青春ストーリーであり、妖怪とかオカルト話ではないはずだ。

「じゃ、いつからこいつに取り憑かれてたってのよ?」

「それは分からないよ。最初に好きになったあたりからか、告白のときか」

なんだよ。妖怪「片思い」に取り憑かれて、それが「二番」に格下げしたとでも言うのかよ。この胸の苦しみが、恋じゃなくて妖怪のせいだって?

「大体あんた、その天狗の面なんなのよ。インパクトありすぎるんだけど」

「あ、ごめん、取るの忘れてた」

 面を取ったその子は、ごく普通の、大きな黒い瞳が印象的な小学生だった。年は高学年か中学年か。

「天狗の面をつけてると天狗の力がパワーアップするんだ。遠くからでも取り憑かれてるのが見える。あと、インパクトあるからとりあえず話聞いてくれるし!」

「結局インパクト重視かよ」

「あはは。まあね。でも天狗の力はホントだよ!」

 その子はどこから出したのか、昔の農家の人が被るような大きな蓑を出して被った。

「天狗のかくれみのって、聞いたことあるでしょ」

 その瞬間、その子は透明になった。

「え? 何? 何?」

 すぐ脱いで、また現れた。

「これで信じてくれる?」

「いや、トリックとかCG使ってるかも知れない。私の心を読んだのだって、メンタリズムとかそういう奴かも」

「疑い深いなあ」

 私はこれ以上関わりあいになるのも面倒だと、帰り支度を整えていた。朝比奈先輩素敵でしたって、感想送らなきゃ。

「えっ帰るの?」

「私地元神奈川の奥のほうだから。今から電車で一時間半かかって帰るの」

「ええー。そんな遠くじゃ監視も出来ない。ネムカケ、頼まれて」

 さっきからその辺で寝ていたデブ猫が、急にどたどたと走ってきた。なにこの子ちょーかわいいんですけど。

「その猫預けるよ。なにかあったらオレの所に知らせが届くシステム。あ、電車乗るならこの猫キャリア使ってね。餌は勝手にとるから世話とかいらないし、屋根の上に待機するから、親とかにも迷惑かからないよ」

 私は鏡を出してもう一度自分を見た。妖怪「二番」とやらは、手品や気のせいではなく、どうやら本当にいて、醜い顔をして笑っていた。



 次の日は朝比奈先輩と会えた。とってもカッコ良かったと褒めたら、ありがとうとはにかんでくれた。それがあまりにも素敵で私は貧血を起こしそうだ。

 その時、またも忌々しいスマホが鳴った。

「あ。……ごめん、行くわ」

「うん。また今度ゆっくり」

 私はまた「二番」の彼女を演じ、心が痛くなった。これはほんとの恋の苦しみ? これが妖怪のせいだって?

 去り行く先輩の後姿を見ながら、私の中に意地悪の神様が舞い降りた。いや、それこそ妖怪のせいなのかも知れない。私は、先輩がどんな顔してレイコさんに会うのか見てみたくて、あとをつけることにしたのだ。

 電車に乗って向かった先は、ラブホ街。えっいきなり。それはちょっと見るの嫌、と思ったら、待ってたのはレイコ先輩ではなく、別の女だった。どういうこと?

 それから、デートのたびに、先輩が呼び出しを受けるたびに毎回あとをつけた。別の女、別の女、別の女。確認しただけで五人、別の女がいた。私は、二番でもなんでもなかったらしい。

「ねえ。二番の女って、他に何人いるの?」

 唐突に、朝比奈先輩に聞いてみた。

「なんのことだよ。お前だけだよ」

「私見たの。B組の吉永、C組の曽根。この二人はファンクラブ。あとは多分二年の人。私を含めて、レイコさん以外に六人いる」

「みんな、二番なんだよ。奈々はその中で一番」

「何いってんの? 私七番なんでしょどうせ。名前も奈々だしさ」

 そんなときまたスマホが鳴った。

「レイコさんの所へでも、二番から六番の所へでも、どこでも行けば?」

 知らなきゃ良かった。あの日あとをつけたりしなけりゃ、ずっと二番の私で満足したり、傷ついたりし続けられたのに。

 家に帰って、屋根の上のデブ猫ちゃんに頼んでみた。あの天狗の子を呼んでと。


 どういう魔法だか知らないけれど、十分も経たないうちに彼はやって来た。

「ひとつお願いがあるんだけど」

「何?」

「あの透明になるやつ、私でも使える?」

「被るだけだから大丈夫」

「ちょっと、貸してよ」

 私は透明人間になって、ささやかなる復讐をすることにした。



 深夜になるまで待ち、朝比奈先輩の部屋に忍び込んだ。侵入には天狗の面の少年が協力してくれた。私はすやすや眠る彼の横の、充電中のにっくきスマホを取り上げた。暗証番号は、いつも見ていた彼の指の動きで覚えている。色々なフォルダを開け、女の連絡先を見つけた。私の名前は「奈々ちゃん(7)」と、ご丁寧に数字つきで登録されていてちょっと凹んだ。全部の連絡先に、ラインとかメールとか、全部の女とのやり取りをコピーして送ってやった。無論、「一番」のレイコ先輩にも。

 壁際に座り、少し待った。

 彼のスマホは鳴りまくった。直電が色んな女から入った。ねぼけたまま叩き起こされた先輩は、おろおろと対応した。それは夜明けまでかかり、私は透明のままずっとその彼を見ていた。

 あの時五メートルの空に飛んだ彼と、今目の前にいる男が同じ人間だとはとても思えなかった。その男は、どの女にも「君が一番」って言っていた。私には「二番の一番」って言った癖に。

 朝日が差し込んできた。つまらない、有意義な徹夜だった。

「二番はもういいや」

 そう呟いた瞬間、耳鳴りのような音がして、部屋の中の時が止まった。彼も、登りかけた太陽もぴたりと動きを止めた。それは金縛りみたいな不思議な光景だった。

「ドントハレ!」

 という、あの子の声だけがこだました。赤い炎を見たような気がしたけど、それは夢だったのかも知れない。

 気づくと私は家で寝ていた。あの猫も見当たらず、かくれみのも少年の姿も消えていた。鏡を見ても、妖怪もいなかった。あれは幻だったのか。狐につままれたみたいだ。鞄に入ったままの炭酸水だけが、あとに残されていた。



 私たちは海を見ていた。

 流木に座って、親友のヨリ子に今までの顛末を全部白状した。ヨリ子は笑って全部聞いてくれた。ありがとうヨリ子。お前には色々借りが出来た。一生かけて返すからな。

「だからやめとけって言ったじゃんよう」

「あとさ、和田とも別れる」

「なんで? フツー君が好きだって言ってくれる男とくっついて、ハッピーエンドでしょうが」

「二番でいい、なんてさ、ずるい男に興味ない」

 私はローファーも靴下も脱いで裸足になり、海まで砂浜を走っていった。波に触れた素足が、思ったより水温が冷たいことを伝えてくる。


 恋は人を変える。恋で人は狂い、真実をひとつ知る。

「私さ、馬鹿な子供だわ」

 鞄から出した炭酸水をあけて、一気飲みした。キツくてキツくて涙が出た。


「もっと大人になりたい」

 海が冷たくて、波も風も強かった。



 涙目は、炭酸のせいにした。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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