ADHDとアスペルガーよもやま話

第37話 「ビョウキ」とカタカナで書いたわけ

 ここからはADHDとアスペルガー両方についての総合的な話、および当事者や周りの人はどう接すればいいのかを述べていきたいと思います。


まず、アスペルガーやADHDというのは本当のところは、病気ではないと思っております。突き詰めて言えば「考え方のクセの違い」だと思っております。


 分かりやすく言えば視点が違うもので円柱は横から見れば長方形に見えますが上から見れば円に見える。というだけなんです。

 そして他の人が真横視点しか無いのに常に上からの視点を持っている。そんな人なんだと思います。


 しかし、世の中は常に大多数の味方であり大多数の居心地がよくなるように作られています。

 少数派の意見を全部聞いてたら例外だらけで社会が破たんしてしまうのです。

 ですので残念ながら少数派は常に切り捨てられていく運命にあります。



 例えば、映画を鑑賞する人口は国内では2000万人から3000万人とされていますが、ざっと1億人いる日本の人口からすれば少数派となります。


 そのため7000万人から8000万人に受けるようなプロモーション、たとえば

 大して有名でもない=ギャラのかからない中途半端な有名人が映画吹き替えに初挑戦などというお題目で作られ

 映画ファンはいつもいつもないがしろにされてしまうわけです。

(この辺は「瞬きて、視覚」:洋画プロモーションはなぜ炎上するのか http://ocnis.petit.cc/lime/2442016をご参照ください)



 別の例をあげると自動改札の投入口や自販機の投入口も大多数である右利きの人が使いやすいようにできており、左利きの人には大変不便に出来ています。

 そのためかつては無理矢理矯正して右利きにするという教育まであった位、左利きはないがしろにされ、保護されませんでした。

(今では禁止されているそうです)



 それと同じで少数派であるアスペルガーやADHDは「落ち着いて話を聞くことが出来ないなんて変だ」「相手の気持ちが分からないなんておかしいことだ」と大多数の健常者から思われており、

 「大多数の人間から見ればおかしい事なので病気としよう」という理由で病気とされてしまいました。ただ「少数派」であるというだけで。



 さっき述べた円柱の話で言えば

「みんな長方形だと言ってるのにお前は円だと言ってる。だからおかしい。お前みたいな人間はアスペルガー症候群と呼ぶことにする」と言われるようなものです。


ですので納得「できない」ものの圧倒的多数という名の暴力の下で納得「しなくてはいけない」のでせめてもと言う意味でカタカナで「ビョウキ」と表記いたしました。ただ「少数派である」というだけで病気と「されてしまった」からなんです。


 もう一度言います。私たちは何にも悪い事をしていません。ただ「少数派である」という事だけで「ビョウキ」に「されてしまった」のです。

別に健常者を恨んでいるわけではありません。ただ社会システムを回す上ではこうしたほうが都合がいいんだろうなと思って発言したにすぎません。健常者許すまじ。と思ったことはありません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る