エスカレーターこそは至高の乗り物

 エスカレーターやエレベーターが乗り物であると意識している人は案外少ない。スカイツリーのような特別な場所に設置されたもの以外は大抵無料で乗ることが出来るのだから、公共交通機関の最たるものであると言ってもいいかもしれない。言い過ぎかもしれない。


 今なんとなく二つを一緒くたに、エスカレーターとエレベーターを並列させたがこの二つにも乗り物として大きな違いがある。名前が似ているからと言って同列だと思ってはならない。


 しかも大方の予想に反して、エスカレーターの方が上等な乗り物である。


 エレベーターにも席次があるというのは割と有名な話だが、席次のある乗り物と言えば他にタクシー、新幹線、飛行機などが挙げられる。年少者はタクシーの助手席に座って行先を伝達するのが原則だが、状況を見て座りの悪い後部席の真ん中で畏まらなければならなかったりもする。新幹線や飛行機では年長者を窓際に座らせる原則だが、通路への出やすさを考えると当人へお伺いを立てる方がよろしいとも言われる。


 それなら最初から希望を聞いたらいいのにと思う。


 しかしエレベーターの場合、私のような下っ端のやることは決まっている。まず上役に先んじてエレベーターを呼び出し、扉を手で押さえる。ボタンを押して開けていても同じなのになぜだか必ず手で押さえなければならない。ここでボタンを使った場合、「不届き者」「殿中にて何たる狼藉」「であえ!であえ!」ということになってたちまち捕えられてしまうと聞く。上役から見れば、ボタンを押しているとゲームで遊んでいる様に感ぜられるに違いない。


 上役が乗り込むのを確認したら素早く身を翻して操作盤の前に立つ。全員の行先階を暗証番号よろしく素早く打ち、扉を閉じねばならない。重々しい空気の中で上昇していく箱の中で、下っ端たる自分は何をすることも出来ず階層表示を見上げているしかない。何となく「無念」という感じになる。「いっそ先のところで討ち死にすべきだった」と落ち延びた武士の気持ちになることもしばしばである。


 スピードを緩めた箱が目的階に到着するとなんとなくほっとする。逃げ果せた、と思うが油断してはならない。開いた扉を押さえる役目は未だ残っているし、ここで上役を残して自分も降りねばならない。この階で降りる上役は全て先に降り、自分も箱から抜け出す際には一言、「失礼します」と言ってから閉ボタンを押さねばならない。何しろ操作盤を上役に操作させるとなれば打ち首獄門は避けられないので、体は箱から抜け出しながらも腕だけ操作盤に伸ばして閉ボタンを押す。


 しかしその刹那、素早く引き抜いたはずの腕が扉に当り、閉まりかけた扉が再び開く。瞬間の焦燥は尋常でない。慌てて箱に駆け戻り再び閉ボタンを押して身を抜くも無情な扉は二度体に当る。上役はこちらをじろりと睨み、もういい、と言って操作盤へ近づく。項垂れた私はすごすごと引き下がり今日限りとなった命を惜しみガタガタと震えるのであった……


 多少誇張が入ったが、エレベーターは斯くも残酷な乗り物であり、楽しんで乗っている人というのを見たことがない。そもそもあの閉鎖環境が良くない。古いマンションの狭いエレベーターなど見知らぬ人と乗れば発狂ものである。


 それに比してエスカレーターのなんと素晴らしいことか。まず乗客一人一人に個室が与えられるところが良い。黄色い線に囲まれたステップに一人、偶に混雑していれば二人で乗り込むわけだし、見知らぬ人と相部屋になることは殆どない。列車のコンパートメントみたいなものだ。


 ただ、時より部屋を沢山の人が急ぎ足で通過していく。せわしない。


 エスカレーターにも席次があるらしい。下っ端は上役の上に立ってはいけない、というルールだ。したがって上りの時は上役の後から、下りの時は上役に先んじて乗り込まねばならない。なにせ上役というのは往々にして頭髪が自信喪失していることが多いため、上から眺めては即刻車裂きの刑に処されてしまうことは想像に難くない。


 守るべきルールはこれだけ、頭髪を覗きこんではならない。単純である。大抵のエスカレーターは開放空間にあるため気詰まりな空気もないし、空いているときはステップ二つを独占できるため大変気持ちが良い。


 余談だが、今言ったようにステップを一つ空けずに乗り込むとなんだか前の人との距離が近すぎる気がするのは私だけではないだろう。その証拠に大抵の人は余程せっつかされない限りステップを一つ空ける。無駄であるのでステップをもう少し拡張してしまえばよいのにと思うことが多々ある。


 家族や友人であってもこのステップ二つに一人の法則は乱れないにも拘らず、世の恋人たちは必ずステップ二つに二人で並ぶ。高さもちょうどよいと見え、なんだか公衆の眼前で愛を確かめ始める者たちまでいる。エスカレーターのステップはちょうど恋人の距離なのであろう。降り口で裾を巻き込まれてズボンだけ食いちぎられて欲しい。


 しかもエスカレーターはわくわくする。待ち時間もないからイライラしないし、自分の体が上昇していく期待感、エレベーターよりゆっくりと斜めに上っていくじれったさが良い。時折見かける「動く歩道」は近未来の象徴だし、マンションや公共施設などには設置されていないおかげで生活感から無縁の存在として居られることも大きい。エスカレーターは乗り物としてエレベーターを遥かに上回る。


 時々宇宙エレベーター開発、ということを聞いたりするが、宇宙まで上るとなれば操作盤の操作責任も増すだろうし、箱の中で階層表示を見上げて唇と無念を噛み締める時間は高層タワーの比ではないだろう。


 頼むからエスカレーターにしてほしい。宇宙服があれば頭髪も見えまいて。

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