街で働くな。農業をせよ。

まず、検索しても上手く引っ掛からないので適当に援用することを許していただきたい。なにせそれを聞いた(と思われる)のは10年以上前なので、全て私のでっちあげであり、それを実在の偉人に喋らせて論を補強している、という可能性もあるのである。


それはプロサッカー選手の中山雅史選手のお父様が、中山雅史選手のプロ入りに際して諭して言った言葉と記憶している。


「ちょっと人より玉を蹴るのが上手いだけで調子に乗ってはいかん。」


こんなに厳めしい調子だったかどうかは分からないが内容はこれで間違っていないはずだ。上につらつらと言い訳を書き並べたが、なんなら自分の言葉に仕立て上げたい程に気に入っている言葉である。しかしそれはこの含意そのまま、ということではない。


当時私は中学生で、『13歳のハローワーク』を読みながら世の中にたくさんある仕事を平淡に眺めていた時期だったと思う。男の子にありがちな「スポーツ選手になりたい」という競争には早々に敗退し、「宇宙にいきたい、宇宙飛行士になりたい」と手段と目的をごった煮にしたような夢をなんとなく見ていた。


私はスポーツ選手を諦めたが、スポーツ選手というのは神聖で選ばれし人間であるため私の憧れではあった。今でもそうだが。新聞に踊る9桁の推定年俸を見て、なんの疑問も持っていなかった。当然だろうと考えていたのである。


そんな考えの中、なんの気に無しに眺めていたテレビから先の言葉が聞こえた。その時私の脳内にやっと、しかし一瞬で疑問がはためいた。なんでちょっと玉を蹴るのが上手いだけでたくさんお金がもらえるんだ?と。


今でこそ事業の仕組みなどが多少わかっているから高給の理由も一応納得しているが、当時はどうにもわからなかった。私は当時石を蹴りながら下校するのが誰より上手かったが、それが高給に繋がるとは到底思えなかったし、石とボールに何の差異があるのかなどと考える阿呆であった。


当然中山選手の父上は「サッカー選手になったからといって浮かれずに人間として精進しなさい」くらいの意味で上の言葉を言ったはずだ。


しかしこの「ちょっと~が上手いだけで」理論は少年におかしな思想を植え付けてしまったようだった。まず私は、これを世の中一般の職業に当て嵌めて考えてみた。


営業職は「ちょっと口が上手いだけで」

製作職は「人よりちょっと工作が出来るだけで」


という次第である。どうも給料もさしてもらえそうにない。なにか、これだけでご飯を食べているのはおかしいのではないか、不正だ。という気持ちが湧いてくる。


今白々しく「ご飯を食べている」と書き、タイトルと絡めて「ははーん、誘導だな」となる方もいらっしゃるだろうが、職に就くということの目的は十中八九がご飯を食べるためである。お手上げ状態のことを「おまんまの食い上げ」と言うのは人間がご飯を食べずにはやっていけないからである。言い訳を挿入してしまったが論を続けよう。


そして私はあらゆる職業を「ちょっと~が上手いだけで」理論でやり込めていった。どんな高給の仕事でも、というか高給の仕事こそこの理論が映える。中山選手の父上は自分の言葉がこんな歪んだ使途を辿るとは思っていなかっただろう。非常に申し訳ないが思春期の少年の妄念だと思い見逃していただければ幸いである。


しかし、どうしてもこの理論が通用しない職業があった。それが農業である。


正確に言えば漁業や畜産業もそうなのだが当時は農業という強敵の登場に恐れ戦いて全く気づいていなかった。


なぜ農業はエライのか。それは「ちょっと野菜が取るのが上手いくらいで」などと言ったところで、人間にそれ以上の目的はないためである。これほど結果と目的が密接に結び付いた職業は他にない。


サッカー選手の高給は世の中でそれだけの価値が認められ、価値が貨幣(つまり野菜のことである)に変換されるというプロセスを踏んで成り立っている。つまり世の中の承認が必要となるのである。


これが中学生の私には非常に不安定に見えた。なにせみんなが急にサッカーに飽きてペタンクに嵌まり出したら彼らの給料は取り上げられ、ペタンク選手に支払われることになるのである。


更に言えば、貨幣を介するところも不安定だ。お金が信用によって成り立っているというのは中学生も習う内容である。皆が1万円を1万円と認めているから価値を持つ。1万円札は食えない。


承認欲求の高まる中学生らしい、認められることへの不安がよく現れた考えだが一応言いたいことはわかっていただけると思う。この点から言えば農家は土から出てきた野菜(価値)をそのまま食べて生きることが出来る。それが私に非常に頼もしく見えたのである。


そうして、人間一度は農業をせねばならないと考えるようになったのである。農家は大変だという。休みもなければ収入も安定しない。私のような軟弱者は半日で逃げ出すと言われる。


それでもやってみたいと思うのである。実家が農業をやっているという友人にこれを言うと、「どれだけ厳しいかと言うと、お前が今考えている『これくらいかな、でもどうせもっと厳しいって言われるからこれくらいに見積もって置こう』って厳しさの3倍は厳しい」と言われたがやってみたいのである。


今年中の体験を目論んでいる。ご期待いただきたい。

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