番外編

紫陽花

 雨が傘に跳ね返って、ぱたぱたと音が鳴る。雨は静かに降っていて止みそうもない。きっと夕方になっても止まないだろう。

 紫陽は基地の隅にひっそりと植えられている紫陽花の前に立っていた。その場所は他の場所と比べて、山のように土が積まれている。その横に紫陽花が植えてあるのだ。この紫陽花は何年か前、入隊した年に紫陽が植えたものだ。

 紫陽花は雨に打たれて時々しなる。その度に雨粒が跳ねた。

 この紫陽花は普通の紫陽花ではない。花びらが血のように赤いのだ。それは気味が悪いようで、研究者はここを通る度に嫌な顔をする。紫陽も最初は驚いた。なぜ藍色や、桃色にならないのだろう、なぜこんな赤い花が咲くのだろう、と。

 作之助なら何か知っているだろうと思って、理由を尋ねたことがあった。すると、こう言われた。

「生き物の死骸を植えたとこの側に植えるとな、赤い花が咲くんだ」

 細かい理由も教えてもらったが、科学とか、紫陽の苦手な分野の話だったため、よく分からなかった。結局分からないまま理由を忘れてしまった。

(今日も、真っ赤だわ)

 ここには死んだ隊員たちの亡骸が埋まっている。だからこの場所は「墓地」だ。墓石が置いてあるわけではないけれど、ここは確かに墓地だ。

 いったいどれだけの亡骸が埋まっているのかは想像がつかない。紫陽が隊に入る前からここは墓地だった。きっと紫陽がここに埋めてきた人数以上の亡骸がすでにあったに違いない。

 死んだ隊員の亡骸は、大抵捨てられる。それはどこかの海かもしれないし、奥深い山かもしれない。方法はどうであれ、ちゃんと埋葬されることは少ないのだ。元々卍部隊兵は「死んだ」人間だ。今更死んだからどうこうというわけでもないのだろう。

 ここに埋葬された隊員たちは、本当に運が良かったのだ。例えば、たまたまこの基地の中やその周辺で死んでしまって、「処分」するのも手間がかかるから、この基地の中で片付けようとなった、とか。間違えなく戦地で死んだら、死体はここへ帰ってこない。途中で捨てられる。卍部隊は秘密組織だ。戦地の死体は、人に見つかると困るため、回収される。でも、人目に付かない場所に捨てられるのだ。

 ここに埋めてもらえるだけ、きっと運が良い。そのはずだ。少なくとも紫陽はそう思っている。

 この紫陽花は、この墓場に花があったら、死んだ隊員も心が洗われるかもしれない、と思ったから植えた。彼らがどう思うかは分からないし、それを聞く手段も無い。それに、死んでしまえば見ることを叶わない。だから、紫陽の自己満足でしかない。それを分かっていても、植えずにはいられなかった。何にしようか、と思ったとき、真っ先に思いついたのは紫陽花だった。「紫陽」という名前は紫陽花から来ているものだからだが、じめじめとしたこの時期でも、鮮やかな色を見せる紫陽花が好きだったから、という理由の方が大きい。真っ赤な花が咲くとは思っても見なかったが、紫陽はこれを気味悪がることはしなかった。

(だって、これだってきれいじゃない)

 これは、きっと隊員たちの生きた証。隊員たちがするひそかな主張。自分たちが生きていた、忘れて欲しくないとう主張。ならば、その思いを形にする紫陽花は隊員の心。

 心は美しいと思う。理由を説明することは難しいけれど、そう思うことがたびたびある。

「紫陽花さん」

 答えはない。でも、きっと。

「副隊長」

 呼ばれて振り返る。すると、そこには千歳がいた。

「隊長が呼んでいます」

「今行くわ」

 歩きだしてすぐ、千歳の白い髪や、肩が濡れていることに気がつく。

「傘をさしているのに、どうして濡れているの?」

「いえ。ただ、雨は止むのか、と空を見ただけです」

「そう」

「副隊長」

「何かしら」

「雨は止みますか」

 紫陽は微笑んだ。

「もちろん止むわ」

「ならいいです」

 紫陽は最後に一度だけ後ろを見た。紫陽花は赤かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る