とある、芸人について
死者の眠る棺の前で、一人の男が泣いていた。
「兄さん、兄さんはまだこれからやったのに……」
すすり泣きががらんとした通夜の席に響く。
死んだ男の名前は、ヨシダ・ザ・ユニバース。本名、吉田照雄。
五十五歳で不運にも事故に遭い、こうして死んでしまうまで売れない芸人をしていた男だった。
彼が売れないのには理由があった。
それは第一に、持ちギャグである「ヨシダ、ユニバースへ行きますよ!」が全くの意味不明で面白くなかったこと。
それから第二に、男には全くと言っていいほど人望がなかった。
曲がりなりにも、芸人を貫いてきたというのに、通夜の席に現れたのはたった一人の後輩だけだ。
しかも、その後輩の男も三年前に芸人を諦め、いまはテレビスタッフとして働いている一般人であった。
「兄さんは絶対にテレビに出たるわ、ゆうてたのに……」
男がぐずぐずと鼻を啜る。
「一度もテレビに出られんままじゃ、あの世へだって行かれんでしょう……僕が出世して偉くなったら、ガンガン兄さんにオファー振るって話、どうなったんですか……」
そのとき、ポケットの携帯がやかましい音を立てた。
こんなときではあるが、彼は下っ端も下っ端のしがないADである。
どんなときでさえ、電話を取らないなど、許されることではない。
「はい――」
男が声を振り絞って電話に出ると、
「おい、てめえ、どこ行ったんだ?! 明日の『ビックリドッキリ大運動会スペシャル』の小道具、見つかったんだろうな?!」
怒鳴り声が鼓膜を貫いた。
「す、すいません、まだ……」
「まだだと?! てめえ、用意できなかったらわかってるだろうな?! 明日は生放送なんだぞ、生放送! わかったらさっさと探して持って来いや!」
怒鳴るだけ怒鳴ると、相手はぶつりと通話を切る。
「……こんなときにも仕事って、ほんま、笑かしますわ。でも、僕、もうええんです」
男は、棺から覗く白い顔につぶやいた。
「兄さんをテレビで見るって夢、叶えられんのやったら、この仕事やってる意味ないですもん。それだったら僕、こんな仕事辞めて……」
男の目を涙が覆ったそのときだった。
彼にある考えがひらめいた。その考えを確かめるようにぶつぶつとつぶやく。
「いける……これ、いけるんちゃうん?」
男の手が期待にわなわなと震える。彼はその手を棺のヨシダの肩に置いた。
「兄さん、僕と兄さんの夢、いまこそ叶えに行きましょ!」
その翌日に行われた『ビックリドッキリ大運動会スペシャル』の生放送、お化け屋敷の攻略タイムをアイドルたちが競うという企画で、めでたくヨシダ・ザ・ユニバースはテレビデビューを飾ることができた。
しかし、それが本物の死体だと気づいた関係者や視聴者から、彼らがバッシングの嵐に遭うのは、またこの翌日の話である――。
(タイトル「とある、芸人について」はcomsickさんから提案いただきました)
1分で読める超短編小説集 黒澤伊織 @yamanoneko
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