ポケットの中にはビスケットがひとつ

「ポケットを叩くとビスケットが増えるって、あれ、ビスケットが割れてるだけだよな」

「お前、今頃それに気づいたの? そんなの最早定説だよ、定説」

「え、マジで? 俺、いままで気づかなかったよ」

「嘘だろ、小学校の時にはもう言われてただろ。『森のくまさん』はヤバいやつだとか、『あわてんぼうのサンタクロース』がただのダメなおっさんだとか、そういうのに気づくやつっていたよなあ。大人びてるっていうか、何ていうか」

「大人びてるねえ……ま、俺たちは純粋だったからなあ」

「純粋じゃなくて、馬鹿の間違いじゃないのか?」


 下校途中、保育園から流れてきた歌を聞いた男子高生が楽しげに会話をしている。と、その背後から、「待て!」と叫ぶ声がした。


「何だ?」


 振り向くとそこには制服こそ違えど、同じ高校生らしき男子が肩で息を切らし、立っていた。


「お前、誰だ……?」


 首をかしげる二人に構わず、その男子高生は真剣そのものといった顔で、


「ポケットを叩くとビスケットが2つ……当時の俺は確かに『ビスケットは割れている』と、そう結論づけた。けど、違うんだ、ビスケットは割れてなんかいなかった。!」

「えっと……」

「頼むから黙って聞いててくれ!」


 男子高生は広げた片手を前に突き出した。そして、


「……ビスケットは増えていたんだ――――そう、政府がその力に目をつけるまでは……。ポケットを叩くだけでビスケットが増える。それは無から有を創り出す、まさに錬金術! その力があれば、世界の均衡は破られるだろう。彼がポケットを叩くだけで、世界の食糧難は一気に解決、すべての力は彼に集約される。そう、彼はまさに救世主! ビスケットで世界を救う神となりえるのだ! 各国政府はこぞって彼の力を求めた。しかし、そこには盲点が存在したのだ……。それは……何だと思う?」

「え、俺たち?」


 突然振られて、二人組は驚いた。と、その一人が、


「ってか、お前……石崎じゃないか? ビスケットは割れてるとか、森のクマさんとか、サンタクロースがオッサンだとか言い出した、石崎じゃないのか? 小学校以来だな、元気にしてたか――」

「俺が何者かなんて今はどうでもいいだろ!」


 石崎は激しくかぶりを振った。そして、ぽつりと、「栄養素……」とつぶやいた。


「栄養素?」

「そうだ」


 石崎が重々しく頷く。


「よくわかったな」

「よくわかった、ってか、いま、お前が……」

「その通り、栄養素の問題だ」


 彼はぐっとこぶしを握りしめた。


「ビスケットは何から出来ているか、君たちならわかるだろう。小麦粉に油脂に砂糖……そう、それだけだ。ビスケットにはカロリーがあってもビタミン類の栄養に乏しいんだ! つまり、ユーグレナのような次世代食にはなり得ないんだ……」

「……ユーグレナ?」


 二人組が顔を見合わせると、


「そうだ。いま話題のユーグレナは藻類ながら、植物と動物の特性を併せ持つ非常に珍しい素材なんだ。ミドリムシって聞いたことあるだろう? ユーグレナとはミドリムシの別名。それからつくられた食品は人間に必要な栄養素に富んだ自然栄養食材であり、これからの食糧難が予想される世界にとっての次世代食といっても過言ではない存在なんだ! ちなみに、ユーグレナは資料や燃料にも使え、地球温暖化の原因と言われるCO2削減にも役に立つ! これはその無料サンプルだ!」


 石崎は二人に小さな箱と大量のチラシを押しつけると、最高のスマイルをつくって見せた。


「君たちはまだ未成年だから契約は出来ないが、それを是非親御さんに見せてみてくれ! 契約するときにはその番号に電話をかければOKだが、紹介者は『石崎守』だって言うのを、くれぐれも忘れないでくれよ! じゃ、俺はまだ他に回るところがあるから!」


 そう言うと、石崎は全速力で走り去っていく。残された二人組は唖然とした後、押しつけられた商品とチラシを見つめた。そして、


「……ビスケットは割れてたって気づいたあいつのことを、俺はずっと大人びてたんだなって思ってたけど……。……これはどうなんだ? 大人びてるのか?」

「……まあ、高校生がやることじゃないけどな……大人びてるか、と聞かれると、ちょっと違うような……」

「だよな……。大人ではあるけどな……」

「そうだな……。大人ではあるな……」


 道の真ん中で立ち尽くす二人に、再び、保育園から流れる「不思議なポケット」の童謡が聞こえてきた。

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