TRACK 06; お名前は?

 幸雄に頼まれ、久し振りに弘之と輩を演じる事になった。


(しかし…こいつのアレルギーも相変わらずだな…。)


 前回と同様、輩を演じているのに締りがない。…弘之の鼻には、いつもの詰め物が刺さっている。


「おい姉ちゃん、可愛いじゃねえ?俺とカフェ行こうぜ?」


 脅した声を出しても、キーが高い。


(いや、むしろ迫力が増したか?)


 よくよく考えれば、そんな輩はもっと危険に見える。


「!?止めて下さい!誰か!助けて下さい!」


 …効果覿面。人が少ない駅ではあるが、長谷川の声に反応する連中はいなかった。


(全く…情けない世の中だ。)




「その人に手を出すな!放せ!」


 物陰で金本が来るのを待った。その間をどう繋ごうか…悩む前に現れた。


(凄い形相だな…?弘之と同じくらい人相が悪い…。)


「誰だ、お前は?正義の味方か?」

「誰だって良いだろ?その手を放せ!さもないと…。」

「…何だ?人の楽しみを邪魔しやがって…。さもないと、何だって言うんだ!?」


 弘之…。やはり声に迫力がない。


(えっ!?)


 甲高い声に呆れた瞬間だ。弘之が金本を殴り飛ばした。


『相手を殴って良いのか?』

『そっちの方がリアル感あるな?程々にだぞ?』

『………。』


 幸雄に確認を取りはしたが…弘之は、程々でない力で襲い掛かった。


「!誰か~!助けて下さ…」

「!?大きな声を出すな!2人が争ってる間に、俺が相手してやっても良いんだぞ?」

「………!」


(違う…。この展開は考えもしなかった。)


 本当なら、相手から1発良いのを貰ったら退散するつもりだった。長谷川を、こんなに驚かすつもりもなかった。

 何故か、弘之が本気になっている。俺は焦って長谷川の腕を掴み、仕方なく脅した。ここで逃げられたら、それこそ意味がない。



「どうした!?掛かって来ないのか?人相と体格でビビらせたら、俺が逃げるとでも思ったのか!?」


(いや、弘之…。お前の人相を見て喧嘩を売ったんだ。それだけで金本は立派だ。そして本気だ。)


 なんて冗談を考えている場合ではない。喧嘩の結末が訪れない。金本は殴られる一方で、弘之に手を出さない。


「僕は手を出さない!そんな野蛮な事はしない!その人に手を出すな!約束してくれたら許してやる!」


 だが、喧嘩に弱い訳ではなさそうだ。ひょっとすると弘之よりも強い。人相は同じく凶悪だが、体格差がある。

 遂には弘之の腕を固め、身動きを執れなくした。


「その人を放せ!これ以上…長谷川さんを怖がらせるな!」

「えっ?」


(今しかねえな。)


「わっ、分かった!許してくれ!もう、この女には手を出さない!」


 本来ならこの台詞は、弘之が言うべきものだった。役が変わり言いたくもない台詞を吐いた俺は、弘之を操ってこの場から去った。操ったのは弘之が、まだやる気だったからだ。


(どうしてだ?どうして本気を出した?)




「馬鹿!どうして本気出したんだ!?」


 落ち合う場所で待っていた幸雄が、弘之に向かって怒鳴り散らす。


「俺のやり方でやるって言っただろ?こんなの…フェアじゃない。百派譲って、金本の本気を確かめたかった。」

「はっ!?」

「…………。」


(そう言う事だったのか…。)


「何言ってんのか分かんねえけど、言った通りにしてくれれば良かったんだ。見てみろ!奈緒美ちゃんが泣いてんじゃねえか!?金本も戸惑ってる!これじゃ、気持ち良く知り合いになる事も出来ねえ!」

「幸雄、もう良いじゃないか?少なくとも、インパクトある出会いになったと思うぞ?」

「あり過ぎだ!金本はボロボロじゃねえか!?明日は卒業式なんだぞ!?学生らしく、爽やかな出会いをさせてやれよ!」

「………。ボロボロになっても、守りたい女を守り抜く。それが男じゃないのか?爽やかな出会いなんて、映画の世界にしか出て来ない。」


 怒鳴る幸雄に、まだ興奮が冷めない弘之がそう呟いた。


(……岡本の事を言ってるのか?)




 そこから10分が経っても、俺達は物陰から動けなかった。長谷川が泣くのを止めない。側には、声も掛けられない金本がいた。


「大丈夫ですか?」

「ご免なさい。泣いてしまって…。」

「怖い思いをしたんです。泣いて当然です。」


 どうにか泣き止んだ長谷川が立ち上がった。顔は、弘之に殴られた金本みたいに赤く腫れている。



 2人が交わす言葉を、俺達は耳を澄まして聞いた。


「………。もっと…普通に過ごしたい…。」

「???」

「あっ、ご免なさい。お礼が遅れました。危ないところを助けて頂き、本当にありがとうございました。」

「頭を上げて下さい。当然の事をしただけです。」

「ところで…どうして私の名前を?」

「……えっ?」

「何処かでお会いしま…したっけ…?あの……お名前は?」

「………。」


 そこまでを聞き取ると、幸雄が肩を落とした。


「あの言葉は…禁句だったのに…。」

「???」


 事情がよく分からない。とにかく幸雄は残念がり、金本は呆然としている。


「僕は…」

「???」

「僕の名前は…金本弘樹です!長谷川さんと、同じ大学に通う者です!ラグビー部に所属していました。3人兄弟の長男で…カレーライスとハンバーグが大好物です!」

「???」

「留学、頑張って下さい!応援しています!……失礼します!」

「あっ…!」


 何もかもが分からない内に、金本はそれだけを言い残すと走り去って行った。

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