TRACK 08;植え付け
江川が事務所に現れた。新しい依頼主である菜月ちゃんを、見つけ出して欲しいとの事だ。
昨日の今日だって言うのに、事務所に飛んで駆けつけた。
菜月ちゃんは弘之の指示で、藤井の親父と一緒に身を潜めている。
俺と拓司も隠れていた。客として出会った俺達が出ると、説明がややこしくなる。
(江川の頭の中を覗いて、気持ちを確認するんだ。)
『作戦が失敗しました。紀本さんは今、悪い人に捕まっています。』
「………。」
渡されたメモを見た弘之が、わざとらしく溜め息をつく。
「私達の下にも、情報は流れて来ました。紀本さんは早まって、悪名高い金融屋に手を出してしまったようです。…あそこは危険です。私達では、対応仕切れません。」
「!?」
「紀本さんを、説得するよう言われましたね?しかしお金を返したところで、紀本さんの無事は有り得ません。偽証を餌に、彼女を利用し続ける事でしょう。」
「!!」
「相手が悪過ぎます。私達は、目を付けられたくありません。残念ですが…今回の依頼はなかった事に…。」
「!?あー!」
「全てはご自身が撒いた種です。無責任でもなく、私達は辞退させて頂きます。」
弘之に依頼の辞退を突き付けられ、江川は腰を落として青い顔をした。
言葉が聞こえる。江川の思いが、俺の頭の中に入って来た。
(そんな…。良かれと思ってした事が…。紀本さんの幸せを願ってした事だったのに…。)
でも…まだ口を割らない。心の底を見せない。
『だったら、金融屋を紹介して下さい。お金を返しても足りないのなら、更にお金を差し上げます。』
それどころか、俺達が求める答えから遠ざかって行った。
「……。馬鹿馬鹿しい。それが解決策ですか?」
弘之が、演技ではない本音の溜め息をつく。
『私が撒いた種です。私が、全ての責任を負います。』
「…まだ気付かないんですか?あなたが撒いた種は、昨日今日に始まったものではない。」
「???」
「あなたが思っている以上に、紀本さんはあなたを好いています。そして…そこまで考えるあなただ。あなたも…紀本さんの事を好きなんでしょう?」
「………。」
「どうして言葉に出来ないのですか?どうして、自分が直接守ってやろうと思わないのですか?遠回りのやり方では、誤魔化したやり方では、本当の解決には至りません。お互い好意を持っていらっしゃるのなら、お互いが幸せにならなければ意味がありません。」
「………。」
すると江川は、またメモ用紙に何かを書き始めた。
目からは、いっぱいいっぱいの涙が流れ始めていた。
『私は、口も利けない障害者です。あの人を、幸せにする自信も資格もありません。』
頭の中でも同じ事を考えていた。
(…何処まで馬鹿な男なんだ!)
「兄ちゃん!好い加減にしろよ!?」
「!?」
もう我慢の限界だ。
俺は物陰から飛び出し、江川の前まで向かった。
「あ…?あう。」
「ああ。この前、サーカス見に行った客だよ。」
「あーあう。」
「そんな事はどうだって良いんだ。説明してる暇もねえ!」
「………?」
「さっきから聞いてりゃ…馬鹿馬鹿しい!話せないから何だってんだ!?あんたは、拓司を見ただろ!?こいつは目が見えないんだ!でも、他と何も変わらない。それどころか、何も出来ない普通の人間より、もっといっぱい良いところがあるんだよ!あんただって、口が利けないだけだろ!?たった1つ出来ない事で、全部を否定すんのかよ!?」
「………。」
「菜月ちゃんも優しい子だ。一緒にトランポリンで遊んでくれた。あんな優しい子を、これ以上可哀想な目に遭わすな!…全部分かってんだ!あの子は…あんたの正体を知ってんだ!どれだけ誤魔化したって、どれだけ余所余所しくしたって、あの子は兄ちゃんを諦めないぞ!?」
「………。」
「菜月ちゃんは、俺達が助けてやる。」
「!あう!?」
「但し!1つだけ条件ある!…菜月ちゃんを幸せにしろ。そうでもしないと、あの子は空回りし続けるぞ?いつか取り返しが着かなくなる前に、あんたが守ってやんだよ!」
「………。」
「『はい』って言えよ!それすら出来ねえのかよ!?」
久し振りに興奮した。こんな馬鹿は、これまで見た事がない。
「幸雄、そこまでだ。…言い過ぎだぞ?」
「何でだよ!?弘之だって、そう思ってんだろ!?」
弘之が俺を止めようとするけど、馬鹿には言って聞かせなければならない。
「菜月ちゃんは20年間、ずっとあんたの事が好きだったんだ!あんたが思ってる以上に、あの子はあんたが好きなんだ!…でもあの子は、あんたがピエロでいる事を望んじゃいねえ!ヒーローになってやれよ!?それが…あんたが撒いた種だろ!?」
「…………?」
「一緒にトランポリン跳んでる時、教えてくれたんだ。あんた、小学校の頃にクラスの女の子を、上級生から助けてやっただろ?」
「………。!?」
「思い出したな?あの子が菜月ちゃんだ。あの頃からあんたはピエロを演じてたけど…あの子には、あんたがヒーローにしか見えてないんだよ!」
「………。」
「自信持てって!菜月ちゃんには、あんたしかいねえんだ!あんたの素顔知ってるのは、あの子だけなんだ!いつまでも化粧して、素顔隠してんじゃねえぞ!?」
「………。」
「ヒーローになるんだ!あんたには…その資格がある。『なります!』って言えば、あんたはヒーローになれるんだよ!」
「………。」
昔の事を教えても、江川の反応は頗る悪い。
「ああ!うっとうしい!踏ん切り着かねえんなら…植え付けてやる!」
「!!?あぅ…!あぁ…。」
俺は江川の顔を睨み付け、頭の中に干渉してやった。
江川は頭を抱え、その場に倒れこんだ。
「………?」
「分かったか?それが声の出し方だ。あんたに必要な言葉を2つ…一生忘れられないように、頭の中に深く植え付けてやった。」
「………。」
「1つは…1度しか使わないけど物凄く大切な言葉だ。そしてもう1つは、毎日使える言葉だ。使い過ぎて大切さを忘れがちになるけど、それしか喋れねえあんたには、いつまで経っても大切な言葉になるはずだ。」
「………。」
「さぁ、声に出して言ってみろよ?」
江川は、耳が悪くて音が聞こえないだけだ。口が利けないのも、発音の仕方が分からない事が理由だ。
だから俺は、方法を江川に植え付けた。
「…『僕と、結婚して下さい』。あ…『愛しています』…。」
「…キチンと聞こえる。声として、ちゃんと耳に届くよ。だけどもっと大切な心は、とっくの昔に決まってんだろ?後は、もう少しの勇気だ。教えてやった言葉を使うかどうかは、兄ちゃんが決めろ。」
「………。」
「忘れんじゃねえぞ?その言葉さえ知ってりゃ…あんたはヒーローになれるんだ!」
(後は、兄ちゃん次第だ。菜月ちゃんを、失望させんなよ…。)
「皆、行こう!…弘之。藤井の親父に連絡入れてくれ!」
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