#008-第2話「しょうもない、姉と弟」

 俺は空になった皿を見ながら言った。


「黒井姉弟はさ、プライベートなんてないんだって」

「うん、そんな感じはするね」


 姉は静かに頷くと「ごちそうさま」と手を合わせた。俺も同じようにしてから、食器を持ち上げる。


「俺たちの関係をめんどくさいねって」

「あは、そうかもね」


 二人でシンクの前に立つ。姉は食器を洗いはじめ、俺はその様子をぼんやり眺める。広いキッチンと居間の中に、水音だけが響いている。


「どうしたの、ハルちゃん」


 洗いながら、姉が俺をちらりと見た。俺はなんだか適当な返事をしたと思う。


「あたし、彼とはやっぱり付き合わないから」

「え、でも……」

「酔った勢い。そういうことにしたから」


 それはこの一週間、俺にとっては曖昧なままだった事柄だった。

 

 その答えが純粋に嬉しかった――などということはなかったと思う。でも、確かに嬉しかったし、それと同時に哀しくもあった。酔っていたとはいえ、姉が身体を許したということは、きちんとした相手だったんだと思う。


 だから、姉が俺を完全に切って捨てて行くのなら、それくらいの相手であるなら、それはそれでもいいかもしれない――そんな漠然とした覚悟が、俺にもなかったわけではないのだ。


「もし、将来彼とお付き合いする事になるとしても、それは今じゃない。二番手にしていていい人じゃないから」

「ああ……」


 姉のきゅっと引き結んだ唇に、決意のようなものを見た――気がした。


 俺は衝動的に姉を後ろから抱き締めていた。手を拭いていた姉は、小さく声を上げた。


「どうしたの?」

「姉ちゃん、しょうもない弟で、ごめん」


 衝動だ。俺の言葉は衝動で生まれていた。姉は俺に後ろから抱きすくめられたまま、答えた。


「だいじょうぶだよ、ハルちゃん。あたしも、しょうもないお姉ちゃんだから」


 その言葉は衝動だったのだろうか。


 俺たちは暫くそうして立ち尽くしていた。


 父が玄関の鍵を開けた音が聞こえてきて、ようやく俺たちは距離を取る。


 俺は掠れた声で言った。


「明日の準備、してくるから」

「うん。勉強、がんばって♡」


 姉は小さく手を振った。

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