第170話 ヒカリナキセカイ

 コマ割りの上でペンが激しく荒々しい音を立てる。締め切りが近いが今日は緊急事態の発令により万が一を考慮してアシスタントが来ることはない。それでも、彼女は義母と二人で一心不乱に書き殴っていく。


 力を入れて線を引いていく、頬にインクが飛び散り彼女の頬を黒く染める。


 ――リーダーがいなくなって、


 書き上げることに集中しながらも、氷彩美は火神のことを考えてしまう。書いている漫画の主人公と火神が重なる。リーダーを失くして窮地に立たされる主人公たち。


 ――目指すべき背中が見えなくなり、歩く方向も分からない闇が広がった。進む先の指示をくれる人はもう誰もいない。これからは主人公が自分で決めなくてはいけない。道しるべを失くした主人公の前にヒカリナキセカイが広がった。


 それでも、このシーンは


 ――それでも、主人公は仲間を無理矢理にでも引き連れて歩き出す。平凡な主人公ではいなくなったリーダーのようになど統率など出来るわけもなかった。耳に入る仲間たちから上がる反発の声。主人公の行く先を惑わすような他者の意見。


 この後、主人公をより輝かせるための布石でしかない。


 彼女ヒロインにとっての理想の主人公は他でもなく、


 ――それでも、主人公は黙って誰よりも先頭を歩き続けた。

  

 火神恭弥なのだから。

 

 ――迷いを押し殺し、躊躇いを押し殺し、そんな素振りを見せずに堂々と間違いなどないのだと、仲間が迷わない様にと亡きリーダーのように道しるべになると決意を胸に、彼が先頭を歩いていく。





『田岡……もしもの時は、お前に指揮をまかせる』

『火神……さん?』

『とぼけた顔をしてんじゃねぇぞッ!! オレが不安になんだろうがッッ!!』

『イタッ!?』


 この会話は京都での出撃時の一場面に過ぎない。いつものごとくバカな田岡の胸に衝撃が走った。その胸倉をつかんで引き寄せて、鋭い眼光で睨みつけて威嚇する火神。


『俺が指揮を取れなくなったら、テメェがやれつってんだよ……わかったか?』

『ハっ……イ……』


 ガチギレの眼光に怯えながらも田岡は了解の意を返した。殺されるかと思うぐらい怖かったことで、鮮明に田岡の記憶に刻まれている。


 忘れることなど出来ないように。目の前で異界の王の槍が光っている。


「コイツの槍はオレが抑える!! 攻撃はまかせたァアアッ!!」


 無意識に近かった。火神が最大の攻撃を用意している間、田岡は自分が指揮をしなければならないと自然と声を出していた。その槍の威力は先刻全滅直前まで追い込まれたのを見ている。


 それでも、恐怖を前にしてやるべきことが見えていた。


 ――最初の一撃ほど、光ってないか……どうにかいけるだろう、たぶん。


 光りは槍の全体に広がっていない。おおよそ四分の一程度。相手に主導権を握らせてはいけないと斧を構えて同じく気を溜めていく。それでも、槍を無視することは出来ない。これ以上、力を溜めさせてはいけない。


 そして、走馬灯のように駆け巡る恐怖の記憶。


『ずいぶんと余裕だな……田岡?』『お前の両目のソレは……片付け忘れた正月飾りか?』『いつになったらテメェは……俺の言葉を理解できるようになる?』『お前がやらなくて誰がやる?』『オマエは……何がしたいんだ?』『言ってもやらねぇってことは、俺に殺されてぇーのかー、それとも死ぬ一歩手前まで虐められたいって自虐願望か?』


 ――やべぇ……こぇぇー……火神さんの走馬灯が。

 

 幾度なく火神に罵倒された記憶。田岡にとって、目の前の槍よりよっぽど嫌なものだ。ここでしくじる方があとあとのダメージはデカいことは明白。そんなことを考えていたら、眼前で光る王の槍を見てかわいく見えてしまう田岡。


 ――あんまり溜めさせてくれるなよ……頼むぜ、みんな!!


 田岡茂一の役割はタンカーに近い。だが盾で守るのではなく攻撃を攻撃に相殺する超攻撃的防御。仲間へとその光る槍が届くことを阻止することにより、黒服たちは攻撃だけに集中が出来る。


『おい……朝倉アサクラ。テメェは弓兵ゆみへいだよな?』

『そうですけど、イッタッッ!!』


 答えたことにモモへとローキックが見舞われる。問いに正直に答えるのは小学生で卒業して来いと言わん威圧の視線。そうですじゃねぇーだろと言葉を続ける火神。


『移動中に矢を作れ、位置についてからチンタラ錬成やってんじゃねぇ!!』

『イッツ……でも、火神さん! 落ち着いて錬成しないと、イイ矢が――いっっうっ!!』


 口答えに対するペナルティで逆の腿へと再び見事なローキック炸裂。


『出来ねぇとか戯言はどうでもいい、出来るまでやれ』

『…………』

『やれないとか言ってる暇があったら、やれ。出来なきゃ死ぬまでやれ』

『ハ……イ……』


 ――形状変化……材質補強、追撃機能搭載。


 京都の戦場で弓兵は走りながらも錬成に挑む。当時、口答えなど一切挟ませない火神恭弥にどれほどの脅威を抱いたか。内心できるわけがないと思っていた。


 ――あの時、ぜったい出来ないって思ってたけど……


 それでもトレーニングルームでいつも目を光らせている恐怖の象徴。


 手を抜くことなどできなかった。


 ――出来ちゃってんだよな……いまとなっては。


 その手に矢が生成されていた。以前は止まって集中してしか出来なかったことが骨身に染み付いたかの如く出来ていた。弓兵の極意は動き続けることにある。安全圏から矢を放って、放ち終わったら補充が通例だ。

 

 ――ソレに……


 あの時の火神により引き延ばされた実力。走りながら感じる以前出来なかったことが出来てしまっていることへの感動。泣き言を言っていた自分の不甲斐なさ。そんなものが押し寄せつつも射撃位置へと着いた。


 ――ぜったい、火神さんは……サボってないか……


 サボっていれば一瞬で見抜かれる。弱音や拒否などは火神の前で意味がない。求めることをやれといつも通り要求だけしてくる。それに答えなかったものの末路は見てきている。


射貫けシュート射貫けシュート射貫けシュートォオオオオオオオオオオオ!!」


 ――どこかで、今もチェックしている!!

 

 異界の王に刺さり爆発する大量の矢。気が抜けない戦場。そこに加算されるように火神恭弥の恐怖が団員たちの能力を底上げしていた。一度ならず何度となく日常的に植え付けられた草薙総司にはない恐怖が戦場を駆け巡っていく。


『僧侶だったよな……菊田きくた?』

『そうですけど……』

『おうおう、そうか……おらッ!!』

『ダ、ァアア!?』


 日常の中でのいきなりの急襲だった。トレーニングルームでもないのに顔面に撃ち込まれる拳。咄嗟のことに反応が出来るわけもなく壁に思いっきり叫んで頭を打ち付ける。


『な、な、なにするんです……か?』


 菊田の鼻頭と後頭部に走る痛み。

 

 鼻血を出してるところ押さえて脅えてる自分を訝し気に見下ろす狂気の視線。


『緊張感がねぇんだよなー?』

『緊張……か、ん?』

『おまえ、常に補助をかけて置け。オレがいきなり殴るから補助魔法かけてねぇと、いてぇぞ』

 

 ――暴力反対!? 通り魔的体罰!?


『集中してねぇとケガするからな、今日から開始だ』

『…………』


 ――ひどい……この人、まじで酷い……っ。


 無慈悲で一方的な暴力宣言。それから菊田は日常的にビクビクしていた。いつ何時あの男が襲い掛かってくるかという恐怖でノイローゼになりそうだった。初日は全開で補助をかけていたが長くは続かない。業務をこなしながらと戦闘中では話が違う。

 

 だが、いつの間にか補助をかけた状態を持続する時間は飛躍的に伸びていた。


 魔法は計算に近い。何度も計算を行うことによって素早く答えを出せるようになる。ソレに近い感覚だった。決まった法則で作られる補助。マナがあればあるだけ作れる。


「主の怒りだァアアアアアアアアアアア!!」


 棍棒が力強く異界の王の足を叩きつけた。ぐらつく躰。仲間への補助はかけたまま、なんなく戦闘へと参加できている。恐怖で永続的になった補助魔法。その根本は陰湿な願い。


 ――早く……殴られる日々を終わらせて。火神さん、見てますよねッ!??


 どこかでチェックしているはずだと思い込んでいる。突然、襲ってくる悪魔の上司。安心して日常を過ごしていたいという切なる願い。だからこそ、菊田は激しい口調の裏で心でアピールしていた。


 ――開戦時からずっと補助魔法保ってますよ、オレ!!


 仲間への補助も付属されたままだということを恐怖で忘れている。内心とは別にその偉業は黒服にふさわしいものだった。敵を殲滅しながら仲間へ能力上昇の恩恵をふりまける僧侶などトップクラスに他ならないのだから。


捕縛の演鎖プリズンロッキンチェインンンンンン!!」


 一度は外れた鎖を再び王へと巻き付けていく。王から振り回され鎖を握る手はボロボロになっていた。それでも、再度強く握り外れないように腕へと自分の体へと鎖を巻き付ける。


 だが、案の定だった――


「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 王は束縛を嫌う。以前よりも激しく動きまわっている。怒りも乗ってなのか全開の比ではなかった。強く瓦礫と叩きつけられる鎖使いの体。瓦礫を砕きなお勢いは収まらない。


 ――離すかよ……


 全身を瓦礫に幾度も打ち付けられる。

 

 ――離すかってんだよ……。


 鎖を巻き付けた腕が締め上げられる。それでも、意識は強く保たれていた。


 この鎖は離してはダメだと。


『アッツ!!』


 トレーニングの際に鎖を手放してしまった。熱伝導により鎖が高温になり手の皮膚が焼けた。それもそのはず、日本一の炎術使いが相手だったのだ。想像をはるかに超えた熱量だった。


 その自分へ向けて、漆黒の静かな足音が近づいてくる。


『なに……離してんだよ?』

『……すいません』


 怒られたことに委縮しながら頭を下げた。完全に怒っていることは分かっていた。視線で分かる。威圧感がサングラスの下からでも漏れている。


『テメェの武器はなんだ?』

『……鎖です』

『だよな……鎖だよな』


 恐る恐る答えたがまだ嵐は来ない。いつ爆発するのかと冷や冷やしながら、真綿で首を絞められているような感覚が襲ってくる。殺すなら早くしてくれと願いたくなるほどに恐かった。


『武器を手放して、お前は何が出来る?』

『…………』

『鎖がないお前になにが出来る?』

『………何も、です』


 淡々と攻めてくるような言葉。どれだけのことを仕出かしたかは本人は分からない。だが、火神恭弥という男の中に答えはあるということはハッキリわかる。


 落ちている鎖を静かに拾う火神の姿が怖くてしかたがない。


『何もできなくなって、オレと素手でやりあうか?』

『…………』

『俺の能力は素手で困らねぇからいいけど、お前は焼け死ぬぞ』

『…………はい』

『どうする? お前はここから、どーうする?』


 ――あぁ…………死にたい…………。


 手に鎖が返されているが目の前で火神が視線を同じ高さにして睨んでくる。自然と呼吸が震えて涙目になりかけた。完全なパワハラ。それも良質なパワハラ。淡々と事実で精神を壊れるまでぶん殴ってくる。


 素手でやりますと答えれば素手で撲殺される。


『鎖をぜったいに離しちゃだめだよな…………』

『ハァイ!! スイマセンでした!!』

『次、離したら…………』


 爆発する怒りよりこういうほうが効くときもある。これは完全なる脅しだった。




『テメェの手と鎖を俺の炎で離れない様に溶接してやるよ』



 やくざ顔負けの迫力、実力は日本有数。逆らうことなど出来ない。それから鎖使いの斎藤サイトウは二度と鎖を離さない。鎖使いという稀有な存在である。


 ――武器コレを離したら…………


 だからこそ、己の武器は死んでも手放すなと。


「俺は終わりだァアアアアアアアアアアアア!!」



《つづく》

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