第136話 もうちょっとだけなら……いいよなッ!!
数刻前に
ソレが動いた時――世界が大きく動き出す合図になる。
爆発が起きた。
星が悲鳴を上げるように唸り声を上げて、表面の地形を変える。爆炎と噴煙が巻き上がる景色にただ一人牙を剥き出しにする黒い影。半径数キロに及ぶ爆発。
その中に立つの人間だった。
たった一人の高校生。
神々は口を緩め、人類は顔を
自衛隊は爆炎で赤く染まる空を茫然と眺める。
雪原という表皮は剥かれて大地が剥き出しの顔を出す。
「ははははは」
黒い影の獣が楽しそうに嗤っていた。まだ炎が消えない大地に一人で立ち、嗤いを抑えきれない様子を見せつけてくる。その光景に杉崎莉緒の体から力が抜けていく。現実だとしたら、これはなんなのだと。
――まさか……地獄って、やつ?
苦笑いを浮かべて嗤う獣を眺め、イヤになる気分で頭を垂れる。
――なんなのよ……ほんと。
獣の背景で黒い異界の門は肥大を続ける。空の景色すら遮るように大きく、大きく、次元に穴を拡大させる。そこから飛び出してくる卵のような魔物。ソレはマウスヘッダーたちの移動形態。
ゴロゴロと大地に転がり援軍が増えていく。
杉崎莉緒がソレを眼にうつしながらも、脅威を感じる気持ちがなかった。
異界の軍団の数は数百に到達する。マウスヘッダーは頑強な魔物の部類。打撃の吸収が厄介なことは自分の拳が知っている。おまけに自爆という攻撃手段も持ち合わせている。
それなのに、杉崎の脅威を感じる心が死んでいた。
頭痛でため息のような声が零れ落ちる。
「ああぁ…………」
――アタマ、いたいっての……。
マウスヘッダーどころではなかった。敵の中に異物が混じった景色。ソレが自分たちと同じ形をしている、うら若き男子高校生。戦闘を生業としていても見たことがない次元の話。だらんと垂れている手に力が入らない。
終焉につながる
杉崎と同じように心ここにあらずとなっている黒服の手からダイスが転げ落ちる。
三つのダイスが大地に落ち、跳ねて、クルクルと混乱する。
「ありゃ……」
一流の賭博士である肝の据わった男でも事態を受け入れることなど出来なかった。
「新種の悪魔か……?」
救世主などではない。どこからどう見ても厄災の類だ。
【悪魔は人の形をしているからね】
炎の中で嗤っている姿に正義など存在しない。涼宮強が来てから魔物の無残な光景を無数に見続けている。世界を救うなどという行為とは口が裂けても出てこない。あまりに強すぎる力による遊び。
【いくつも見てきているから分かるよ……】
ソレは、勇者がやることではない。
【力が強ければ強いほど、そうならざる得ない】
どちらかというと――
【理解を追い越し、理屈をねじ伏せ、常識を破壊する】
魔王サイドのやることであるのだから。
【
ヘルメスはニタニタと嗤う。
涼宮強の中で何かが変わり始めている。
【まだまだ、こんなもんじゃないだろ?】
嗤いが漏れるほどに何を感じている。感情が抑えきれないほどに。
――やっべぇ……な………
「はは、はは、ははは」
自分の拳を見て、幾度か握り直す。口元が嗤いを抑えようとするが、抵抗むなしく引くついてしまう。言いしれない解放感がその身を襲ってくる。解放感が漏れ出して嗤いを誘う。
――抑えなきゃ……抑えなきゃ……
右手首を左手で握って抑制しようとするが自然と手が震えた。
「くぅぅぅ……っ」
抑圧しなければという理性と反対に本能が反応して唸り声を上げさせた。敵が自分を目掛けて迫ってきている
――もうちょっとだけ……っ。
ダメだとわかっているのに涼宮強は抑えきれなかった。
力は怖いものだと知っている。自分を他人と隔てるモノだと知っている。
――もうちょっとだけ……。
なのに、涼宮強の感情は懐かしき幼い頃に抱いた高揚感を思い出していく。
心と体が、理性を超えて、伝えてくる――出してみろと。
涼宮強はずっと抑圧してきた。自分で抑えつけてきた。
力を出さないようにと――死んだ魚の目と呼ばれる
日常生活などまともに送れるわけもない強大な力。最初は鉄棒を握るだけで曲げた。いつもと変わらない力で握っただけだった。いつしか物に触れることが怖くなった。
幼い頃に必須となる力の制御。本来、小さく弱い手が覚えることではなかった。
自分の
誰もが力の使い方・鍛え方を学ぶ時間に、
涼宮強だけは力の抜き方を必死に探していた。
どうすれば壊すことなく、触れることが出来るのかと。
鉛筆を持つと砕けた。消しゴムは当然のごとく折れた。五百円硬貨を握り丸めた。ボールを蹴ったらその場で弾け飛んだ。飛び跳ねたら地面が沈んだ。壁に寄りかかったら亀裂が入る。
異常だとわかっていても、どうすることも出来なかった幼少期。
他人とは共有など出来ない感覚。
常人の感覚との誤差が生んだ、調整の難易度は想像を絶した。
持って生まれたものを放棄など出来なかった。
それでも生きていくしかないのだから。
涼宮強は力を極限まで抜いた。常人には理解できない領域だった。鉛筆を持つとき砂粒ひとつを掴み持ち上げる感覚に近い。消しゴムをこする時は一円玉の上に一円玉をのせるような感覚だった。硬貨を持つとき、箸で卵の黄身を割らずに持ち上げるほどの感覚を要した。
抑圧に抑圧を重ねる生活。常人なら気が狂うだろう。
それでも、涼宮強は狂わなかった。
なぜなら、その感覚しか知らなかったから。
一生付き合うことになる自分の持って生まれたモノ。
やる気がないように見えるのは必然だった。常に脱力している状態を保たなければならないから。机に頭を乗せて寝むるように力を抜いているのだから。だからこそ、寝ていることが一番楽だった。
力がいらない行為をこよなく、愛した。
それで忘れたフリをしていた。忘れることなど出来るはずもないのに。
――少しだけなら……いけるか。
幼い頃に一度覚えてしまったあの感覚を忘れ去ることなど出来るはずもない。
――いいよな……ちょっとだけなら、
全力で走った爽快感、力いっぱいこれでもかと腕を振るってボールを遠くに投げた高揚感、体力が切れるまで遊びつくした解放感、そのどれもを忘れることなどないはずだ。
自分本来の力を使って、本気で遊ぶ感覚を――
楽しいという感覚を捨て去ることなど、抑制することなど出来るはずもない。
ずっと抑えつけてきた状態なら、尚の事なのだから。
――いいよなッ!!
《つづく》
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