第49話 Bloom

 玉藻にとっては、強は弱い存在だ。


 今のところ、強が出した攻撃は当たっていない。


 一方的に攻撃を喰らう様なアナウンスばかりが聞こえていた。


「なんで……強ちゃん……」


『玉藻、大丈夫だ』


 強はずっと幼馴染を心配させないように言葉を伝えてきた。


 涼宮強は戦うことを拒否していた。ずっと逃げてきた。


 ―—彼女という存在から。


『もう戦わない。けど、ちょっと行ってくる』


 ―—もう試合でないって言ってたのに……。


 離れる前に自分と約束をしたはずだ。


 ドンドンと膨れ上がる不安に胸が詰まる。長い試合時間の経過。戦う理由があることも分かっている。田中達との約束があることも。優勝しようと拳を重ねたことも。


 それでも、二キルに連れていかれる前に……


 自分を納得させるために言ったはずだ。


 ―—もう試合には出ないと。


『強ちゃん……もう無理して出なくてもいいんだよ』


 何度も彼女は心配を言葉に変えたはずだ。


『こんなの強ちゃんには向かないんだから』


 彼女は心配して幼馴染に言ったはずだ。戦わなくといいと。


 何度も何度も伝えてきた。彼が傷つくことが許せないから。


 彼女の問いに答えたはずだ。


『まぁ、危なくなったら棄権する……』


 控室でミカクロスフォードを泣かす前に彼は言った。


「約束したのに……」


 ―—そんなボロボロになるまで……やって……。


「いっぱい約束したのに……いっぱい、いっぱい」


 ——いっぱい………分かったって言ったのに……。


「っ――!」


 昴の横で強の血に気づいた玉藻は席から激しく立ちあがる。


 ―—ダメだよ……こんなの……。


 心を乱し、唇を噛みしめ、目にはうっすらと涙を浮かべ始める。


 心が耐えられなかった。防戦一方の幼馴染の闘いを。


 ——傷ついちゃダメだよ……。


 ふざけていてもどんどん傷が増えていく。血を流すほどに負傷している。


 ——強ちゃんは……


 仲間の為に戦っているとわかっていても心配で仕方がなかった。


 ―—弱いのに……。


 だって、彼は無能力なのだから。昴がきょとんと見ている。


 ——おねぃさん……さっきから……。


 どうしてなのかは分からない。


 玉藻は押し潰されそうになる気持ちで涙が抑えきれていない。


 わずかに溢れだしそうな彼女の心の痛み。





「強ちゃんんんんんんんんんんんんんんんんん!」





 眺めていた昴の横で玉藻は勢いよく声を上げる。

 

「もう、いいよぉおおおお! やめてよぉおおおおおお!!」


 自分の胸のあたりを強く掴み闘技場に向けて思いの丈を叫ぶ。


「えっ――!?」


 闘技場の中の強は玉藻に視線を移す。


 自分に浴びせられる試合中断を求める聞き慣れた、


「玉藻…………」


 泣き声にゆっくりと体を向けた。


 見渡す観客の中で一人だけ立ち上がっている幼馴染の姿。


「もういいよ。そんなに傷ついてまで頑張らなくても……」


 擦れそうな声でも凛とした声が静まり返っている会場に響き渡る。


 それは強の耳にも届いている。


 鈴木玉藻と言う少女が必死に涙を堪えながらも自分に訴えているのだと。


「これ以上やっても……無理だよぉおおおおおおおお!!」


 まるで舞台劇のように――。


 ヒロインは主人公の無事を願い叫ぶ。彼が戦う理由などない。


 彼が傷つく理由などもうないのだと。


 必要な戦いでもなければ傷つくのがふざけた戦いでしかない。


 彼女には見ているのが辛くて仕方がない戦いでしかないのだから。


「もうお願いだよっ……やめてよ……」


 鈴木玉藻という女の子にとっては――。




「強ちゃんに闘いなんて似合わないよぉおおおお!!」




 彼は守るべき存在なのだから。戦いから遠ざけるべき愛する人なのだから。


 二階の観客席から顔をクシャクシャにし大粒の涙を流すヒロイン。


 ——玉藻………………っ。


 一階の闘技場にいる主人公に叫びながら思いを伝えている。


 誰もが少女に注目した。その少女はどこまでも美しくて可憐だった。


 泣き顔ですら美しく慈愛に満ちていた。


 だから、その光景を観客は静まり返ってみていた。


 誰もがその光景を見守っていた。


「……玉藻おねいちゃん」


 対戦相手である如月さえも。その姿に櫻井の胸中がざわつく。


「恋は盲目だ」


 美咲がみたその横顔――表情はどこか影を落としている。


「せんぱい…………?」


「何も見えないんだ、」


 それは櫻井が体験したことだ。忘れることなどない。


 忘れるわけなどない彼のトラウマ。実体験に基づく言葉。


 少年も恋をしたのだ――ひとりの少女ヒロインに。


「盲目だから――」


 その思いが漏れて溢れ出た。自分もそうだったから。


「自分の都合のいい部分だけが」


 玉藻が強を信じるように櫻井もヒロインを信じた。


「温かく輝いて見えるんだ……」


 だがそのヒロインは彼が作り出した虚像でしかなかった。


 偽りの姿でしかないものだった。


 自分の理想を押し付けて見ていた偶像でしかなかった。


「近くにいるから相手のことを知った気になって」


 何も知らなかった少年。何も知らぬが故に、


 自分の都合良い部分だけを見て出した答えが、


 導いた残酷な結末を少年が忘れるわけがない。


 最悪の結末を――。


「何も本当のことが見えてないんだっ」


 櫻井が苦悶くもんの表情を浮かべ、


「相手の本当の姿も想いも心でさえも………ッ」


 やり切れない思いを吐き出す言葉は棘を出す。


「……………先輩」


 それは美咲に悟らせる。櫻井には好きな人がいたのだと。


 まだ名前をつけてないその痛みに少女の胸がわずかに痛む。


 隣の男が出す暗い影に惹かれながらもチクリと音を鳴らす。


 鈴木玉藻という少女の叫びが会場の空気を変えてしまった。


 誰もが少女の言葉に耳を傾けた。少女は愛されている世界から。


 そして一人の少年からも――。


 それが強の中で呪縛となる。


 力は誰かを脅えさせるものだと知っている。


 力は誰かを傷つけるものだと知っている。


 幼馴染に力が強いことを悟れたくないという、


 獣を抑える千切ちぎれない鎖のような呪縛。


 ——心配して……約束を破ちまって……


 玉藻の言葉が強の胸中に葛藤を生む。


 知られたくない力。嫌われる力。


 何度となくその力を嫌ってきた。


 この力が自分を孤独にしたものだと思っていたから。


 だから普通になりたかった。普通になりたいと願った。


 強の子供のころの記憶が蘇る。思い出したくもない記憶。


 誰かを意図せず傷つけてしまった日の幼い記憶。


 泣きじゃくる友達。悲痛な顔で泣き喚き苦痛を訴える姿。


 『痛い』という友達の声――。


 その中で呆然と立ち尽くす自分。


 どうすれば、どうすればどうすれば――と混乱するアタマ。


 周りの大人たちは慌てて倒れている子供に駆け寄っていく。


 頭から血を流している友達。大人達は動揺声を荒らげて叫び声を上げている。


 救急車、救急車と助けを求める声を上げている。


 胸を抑えて一人立ち尽くした。


 ——コワイ……コワイ……コワイ。


 大きなその声が怖かった。友達の声が苦しかった。


 子供でもわかった。

 

 ——全部……ボクが……やったんだ……。


 子供だからこそ想像以上に大きくその恐怖を、苦痛を、感じてしまった。


 何かとんでもないことが起きているのだと。


 自分が取り返しのできない何かをしてしまったのだと。


 ただ普通に遊んでいただけなのに――。


 騒ぎの中で何も出来ずに取り残される自分。


 赤いランプが不気味に揺れる。大人たちが少年を抱えて血相を変えて走っていく。次から次へと大人たちが動き回る。その子の両親が泣きながら呼びかけている。


 周囲の大人がパニックになっている。


 救急車と喚くような声が響き続けるなか、立ち尽くす元凶となるのは自身。


 不安と恐怖だけを抱え見つづける。


 目を逸らすことも出来ず、逃げることも出来ずに、


 何もできない自分が孤立して立っている。


 ——ごめんなさい……


 金切り声に――小さな存在が潰されていく。


 ——ごめんなさい……。


 聞こえる友達の声――『痛い』という小さな声。


 ——ごめんなさいッ!


 恐怖に脅え、心が痛みながらも謝る――ごめんなさいと。


 泣き叫ぶ苦痛の大きい声に。心が殺されていく。


 不安で呼吸が激しくなっていく。胸が激しく揺れる。


 目から涙が溢れ零れ出る。


 力が強くても無力な自分が苦しかった。


 シャツとズボンを強く握りしめ涙を流すことしかできない、


 子供で無能な自分が。


 その痛みを一度ではない。何度なく味わう。


 幼い頃は遊ぶのが心から好きだったのに。


 みんなの笑い声を浴びて活躍する自分が好きだったのに。


 遊びという魅惑に負けて加減を忘れ繰り返す、懺悔と苦悩を。


『遊ぼう』


 それは明確な拒絶だった。笑顔を壊す様に嫌悪な表情が突き刺さる。


『もうお前とは遊ばない』


 ヒーローだった自分の誘いを拒まれた。


 何も言い返せなかった。何も言えなかった。


 何も考えられなかった。それを繰り返した果てに、


 気付いたら周りには誰もいなくなった。


 誰もが自分を恐れて怖がり拒絶した。


 いつも輪の中心にいたのに――


 その円から大きく外側に置かれ、仲間から外された。


 初めて知る裏切りの味。


 苦く苦しい胸の灼けるような苦み。


 普通の中から落ちていく。異常だから普通にはなれない。


 その力はどこまでも残酷に強くなっていくから。


 自分と云う存在の人生が消されたように感じた。


 ヒーロだった自分はもういないものとして扱われていた。


 笑いながら遊んだことなどなかったように。


 心通わせたことなど嘘の様に。


 ――友達だったはずなのに。


 周りは自分の心を傷つける敵となる。


 まだ何も知らぬが無知であるがゆえに酷く傷ついた。


 幼かったが為に人と繋がることが怖くなった。


 大人だったら、


 自分の中で言い訳を作って誤魔化すことも出来たかもしれない。


 けど、強はひどく幼かった。


 まだ何も出来ない子供。自分を守るすべなど一つしかない。


 他人と関わらないことだけだ――二度と傷つかないように。


 それから、その力を誰も近づけないために使う。


 自分の傍に誰も近づかない様に。


 もう二度と拒絶の恐怖を味わわない為に。


 誰かと繋がることを恐れて生きてきた。


 それでも残された繋がりがあった。


 家族だけ特別だった。家族だけは味方だったのもある。


 だからこそ強にとって家族だけは他人でない。


 家族だけはどんなことになっても自分の傍にいてくれる。


 だから、思い込んだ。


 血で繋がっていれば切られない――


 拒絶されることなどない――


 と少年は安心を覚えた。


 だから妹を溺愛した。大事にした。


 何よりもかけがえのないものとして扱った。


 ただ或る日、少年に誤算が生まれる。


 家族以外の唯一のつながりができてしまった。


『強ちゃーん、あそびまーしょ!』


 突き放しても突き放してもまとわりついてきた唯一のつながり。


『エヘヘ、強ちゃんつかまえーた♪』


 どれだけ遠ざけようとしても両手を握られ微笑まれた。


 その瞬間につながってしまった。何も言い返せなくなってしまった。


 少女に根負けしてしまった。


 それが鈴木玉藻という少女。


 だからこそ――強は玉藻にだけは力のことを知られたくなかった。


 いつ他人に拒絶されるかわからない恐怖。


 人を突き放すだけの巨大な力。


 言葉が過激なのは親の影響もあったが田中と似ている。


 それは弱い臆病な自分を隠すため。誰かと繋がる恐怖に怯える心を隠すため。


 その強の弱さを櫻井だけは知っている。


「キョウ——」


 ――お前は人一倍寂しがりやな癖に誰かと繋がることを恐れてる怯えている。拒絶を人一倍怖がっている。俺と同じように鈴木さんに本当の自分を見せて拒絶される恐怖に勝てないだろう。


「もう、お前は十分頑張った。みんながお前を認めたよ」


 観客席から声援が送られた。それだけで十分じゃないかと。


「あの時、みんなが同じ仕草をしたときにちゃんとお前は認められたんだ」


 それだけでも大きな進歩だと。


「お前なりに十分頑張ったじゃねえか……」


 櫻井の口から終わりを告げる答えがついて出る。


「一番大切な人との絆を壊して迄することじゃねぇよ……」


 強にとって繋がりは数少ない。少なくともそれは強く繋がれている。


 だからこそ失うことの痛みは分かる。


 その痛みを抱えてそうまでして貫くものではないと分かっているから。


「……もう、やめていいんだ」


 ―—本当の自分なんて見せなくていいんだ。




「ギブアップしろ――キョウ」




 櫻井にはわかっている。能力ゆえに誰よりも分かっている。


 ——その先には絶望しか生まないのだから。


 誰もが何かしらを偽って生きている。それと同じことだ。


 ――俺とオマエは似ている。


 偽ることの意味なんてものはヒロインを殺して分かっている。


 ——本当の自分を拒絶されるという絶望を知っているんだ、

 

 だからこそ櫻井は逃げた。もう気づかないために。


 ——あの最悪の絶望の痛みを。


 あの苦い味をもう二度と味わわないために。


 ――だから、俺はあの人から、あの幸せな暮らしから、逃げたんだ。


 それは彼にとって恩人だった。絶望の淵から救いあげてくれた英雄。


 ――俺の命を救ってくれた優しい銀翔さんに嫌われることが怖くて。


「ねぇ、もう試合なんかやめて帰ろうぉ……強ちゃん」


 それは彼女の泣き顔を無理やり歪めた強がりの笑顔と震える甘い声。


「これ以上傷つかなくていいよ、一緒に帰ろうよ」


 両手を下にいる幼馴染に伸ばして涙を流しながら、


 精一杯笑顔を作った彼女の甘美な囁き。


「ねぇ、帰ろう――」


 強の動きを完全に止めてしまうほどの安らぎの慈愛に満ちた言葉と仕草。


「——————」


 遠くにいても強はただ一人を見つめる。ヒロインの目を見つめた。


『そんなに傷ついてまで頑張らなくても……』


 ―—頑張らなくてもいいか。だよな。その通りだ。頑張っても意味なんてないよな。本気を出すことに意味なんてなんもない。汗臭くて醜いよな。かっこわりぃよな……無理なことに本気を出すのって。

 

 見つめながらも恐怖と戦っていた。彼女の言葉を反芻し自問自答を繰り返す。


『これ以上やっても無理だよぉおおおおおおおお!!』


 ——確かにどうやっても無理なことってあると思う。俺が普通になろうとしても無理なんだって分かっている。異常な力を持つ俺は普通になることはないんだって。


 誰よりもやる気から遠いからこそわかる。


 本気など出したいとも思わない。


 出せばどうなるかわかっているから。


 ——どうせ、力を出しても、


 櫻井と同じように心で実体験で分かっている。


 ―—本当の自分を出しても、怖がられて、

 

 傷つくだけだと。自分の力は絶望しか生まないのだと。


 ——嫌われるだけなんだもんな。


 子供の時に幾度となく味わった拒絶。初めての苦々しい裏切り。


『ねぇ、もう試合なんかやめて帰ろう……強ちゃん……』


 ―—全て投げ出して、帰れたら楽だよな。


『これ以上傷つかなくていいよ……一緒に帰ろう』


 ―—自分から傷つくことなんて馬鹿げてるよな。


 ただ、強は目を静かに閉じ笑いながら首を横に振った。


 ――けど、ちげぇんだよ。玉藻、


 自分の中に起こる思いを迷いを断ち切りたいと思いながら。


 ——昔の俺だったらそう思ってた。けど、今は違うんだ……


 強は静かに目を開き、視線を田中たちの方に移した。


 ——無理だとわかっていても戦う馬鹿達がいた。


 ——アホなことを考えて約束してもないのに……。

 

 自分のジャージを持って静かな瞳で自分を見ている二人。ソレは別に戦えと言う意志を持っているわけでもなく、ここで止めていいというモノでもなかった。


 ——ボロボロになってまで戦うやつらがいたんだ。


 田中と小泉の視線は全部を自分に委ねているのだと分かる。此処から先は涼宮強の判断に任せると。ソレは信頼というよりも、どの行動をとっても強を受け入れてくれるという安心感を与えているものだ。


 ――俺と仲間になりたいって、友達になりたいって。


「………………」


 ――この力があっても友達になりたいって、なってくれるって。


 田中と小泉が信じ続けてくれた。幾度となく乱暴な言葉を使おうとも諦めずに手を伸ばし続けてくれた。自分が普通でなくとも、それでも理解をしてくれて認めてくれた。


 ここに立っているのも二人との約束があるから。


 ここでやめてしまえば楽かもしれない。


 それでも友達になってくれるのかもしれない。


 だとしても――。


『勝ってくる――――三人で優勝しようぜ』


 拳を三人で合わせた時に力を貰った。


 過去の悪事を気にしないように田中が気持ちよく送り出してくれた。


 それをしてしまったら、ここで諦めてしまったら、


 二人の頑張りが無意味になってしまう気がした。


 だからこそ強は首を静かに横に振るう。違うんだと。


『チームで勝てればなんか変わる気がするんでふ』


 それではいけないと。変わろうと。


『仲間になれるっていうか……なんというか。思い出ができるという』


 これからの自分を変えようと。


 ―—憧れくれてるってやつがいた。この力を認めてくれて受け入れて信じてくれるやつらがいる。この嫌われる力があっても友達になりたいって言ってくれたあいつらがいる。


「アイツらが俺に教えてくれたんだ……」


 強の体に自然に力が漲っていく。支えてくれる存在が力をくれる。


 自分の力を受け止められない弱い自分を信じてくれるものがいる。


『『——友達になりたい』』


 だからこそ、全てをなかったことになどできない。


「だから、俺はそうありたい……」


 田中が願ってくれたような存在でありたい。


 田中という男に認められている自分でありたい。


 願いが想いが体を動かしていく。


「強い自分で在りたい――」


 それは少年にとっての大きな願いだ。


 小泉と田中と『友達になりたい』という、普通の人にとってはどうということもない願いなのかもしれない。友達になるというただそれだけのこと。


 ——――それだけの小さなひとつの願いも叶えられないなら、たったひとつのちっぽけな願いも叶えられないなら、


 それを涼宮強という男が強く願っただけのことでしかない。


 ―—たったひとつの願いすらも叶えられないなら、俺の未来この先はどうなっちまうんだッ!!


 それは呪縛の鎖を解き放つ決意。


 他人を拒絶し続けてきた男が一歩踏み出そうとしただけのこと。

 

 強は目を見開き強い意思を告げる。



 口を大きく開いて出す声を





「玉藻ォオオオオオオオオオオォオオオオオオオオオオオ!!」





 一人の少女に向かって叫ぶ。


「強……ちゃん?」


 玉藻は強の力強い叫び声に呆気あっけにとられた。


「……強?」


 櫻井も出した答えと違う反応に驚き顔を上げた。


「安心しろぉおォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 それは少年が少女に対してひた隠そうとしてきたことだった。


 力が誰かを脅えさせるものだと知っていた。ただ違った。


 今日それが誰かの憧れにもなることを知った。


 今日から変わろうと踏み出した。


「玉藻、俺は――——」


 恐怖に顔が歪む。躊躇いが先の言葉を口から奪う。


 呪縛という鎖がきつく心を締め付ける。


 嫌われるかもしれない恐怖と不安。拒絶に怯える弱い心。


「お前が思ってるよりっ……」


 力を貸してくれる言葉があった。ひとりの力では決して切れなかった。


 切ることができなかった。


 幾度となく断ち切ることを諦めた拒絶で作り上げられた恐怖の鎖。


『涼宮と友達になりたい』『涼宮と友達になりたいんでふ』


 一人では断ち切れなかった鎖――。


 仲間の二人が力をくれる。だからこそ鎖に挑むことが出来る。


 ——小泉と田中と、


 鎖という檻に閉じ込めてきた想いを解き放つように、


 ——友達になり……たいッ!


 先の言葉の躊躇いを振り払うように、


 体を前に倒しめいいっぱい声を張り上げる。


「遥かにツエェエエエから!! ちゃんとツエェエエから!!」


 心の呪縛の鎖は獣に引き千切られる――。


 強いことが怖いと思うことを振り払った。


 強さを一番見られたくない者に見せつけた。


 怯える弱い心は打ち消された。


「ゼッテェ、勝つから!! 目玉かっぽじってッ!!」


 握りしめられ高く掲げられた拳は友との約束をのせた強さ誇示する旗。


「しっかり、そこで――」


 折れない心の武器。強はそれを少女に向かって突き挙げる。


「見とけぇェエエエエエエエエエエエエエエ!!」


 説教のような言葉。少年の母は笑う。


 父親も同じように嗤った。


 試合を中断して行われた幼馴染の寸劇に観客は巻き込まれた。


 とても下らないがどこか笑えてしまう。



 少年は叫び終えると



「——にっ」





 心配すんなと屈託のない笑顔でニカッと笑う。


 少年の叫びは少女にしっかり届いた。そして会場にいたすべての者にも。


「卑怯だよ…………」


 玉藻は力が抜けてへたり込むように座った。


 過去に幾度となく振り回された。


「あんな、顔されたら……」


 大好きな人の純粋な笑顔。純真無垢な笑顔。


 好きな男の子の子供のような、


 輝いていた子供の時のような、


 眩しい笑顔を向けられた恋する少女に、


「何も言えないよ……」


 いう言葉は見つからない。


 それを前にして彼女は何もできない。


 その表情はかつて知っていた無邪気に遊んでいた時のヒーローの笑顔。


 少女が大好きだった笑顔に他ならないのだから。


「大丈夫です、おねぃさん」


 呆然としている玉藻の手を隣に座っていた昴は、


「師匠は鬼つよで」


 安心してくださいと想いを込めて優しく握った。


「神つよですから! しっかり嫁として見といてあげてください!!」

「……木下さん」


 昴の声に一切の迷いはない。心から師匠を信じているから。


「なんたって、涼宮強のは――」


 学園でそれを知らない者はいない。




「最強のですから!!」





 櫻井にも強の声は決意の声はしっかり届いていた。


「はっ……」


 自分が出した答えを超える予想を裏切った決意こたえ


 ――俺とオマエは違うのか……強。


 拒絶の痛みから逃げた自分とは違う。


 それをどこまでも不器用なヤツがやってのけた。


 それは櫻井の心の中で風となり過去の苦悩を吹き飛ばした。


「やっぱおもしれぇよ……」


 自分が出した答えと真逆の結末を告げてくる。


「強……おまえは」


 いつも自分の期待を超えてくる男に、


 ピエロは愛おしそうに微笑む。


 その視線の先にいる強の手が動き出す。


 高く掲げた拳を広げ親指を中に入れ人差し指と中指をくっつける。


 薬指と小指をくっつけて二つに分かれている。


「V……サイン?」


 大きくVの字に開けた。それに美咲は首を傾げる。


「どっちかというと……」


 それに櫻井も首を傾げる。


「豚足っぽいような……」


 ――さぁ、出番だ豚さん!!


 強はVサインならぬブゥーサインを力強く掲げる。



《つづく》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る