第300話 進路の先は未だ見えず涙の嵐が待ち受ける

 一人の少年は犬のように息を切らして山を駆け下りていく。


 ——銀翔さん……


 ただ、一心不乱に体が動いていた。どこに向かえばいいのかも分からないが、ただ追いかけたかった。考えるよりも先に足が動きだして止まらなかった。


 ——会ってなんて言えばいいのかもわからない……


 頭が良くても言葉が出てこない。それは感情のままに足を動かしているから。顔を歪めて白い吐息を吐き坂道を下っていく。銀髪の男の背中を探して、早く、速くと。


 ——それでも……俺は……


「何あれ……はっや……」


 通り過ぎる彼を見た人は零した。その足は逞しく速く走れるようになった。マカダミアという異世界エリートの学園に認められるほどに。常人のスピードではなくなっていた。


「うわっ……なんだよ、あれ?」


 猛スピードの前に、少年の前に、横に連なる人の群れが現れても、軽々と上空を飛び越えていくほどに。どこまでも遠くへ行けるくらいに強くなった。それでも少年は走り続ける。


 ——貴方に伝えたい……どう言えばいいのかもわからないけど……


「銀翔さん……」


 息が切れそうになりながらも名前を呼んだ。どうするべきかではなく、どうしたいかという想いが勝った。それは自ら別れることを願ったことだとしても、それが間違えた選択の結果であったとしても櫻井は走り続ける。

 

 ——貴方がいたから……俺は……俺は……


 どうしようもない絶望から救ってくれた。いつも傍で支えてくれた。その触れた手が覚えている。その安心するぬくもりを、そのどこまで優しい音を。それを手放す選択をしたのは自分だと分かっていても。

 

 ——貴方に俺は何も返せてないけど、俺は何も返せないけど……


 返せるものなど何もない。それでも会いたくてしょうがなかった。一度は何もかもを失った。それでも彼が傍に居てくれた。彼の音が少年を絶望から救い上げた。もう一度歩くきっかけをくれたのは紛れもなく銀翔だ。


 だからこそ、伝えたくてしょうがない。


 ——生意気で迷惑ばかりかけてた、俺だけど……


 幾度となく小ばかにするように言葉でからかって来た。それでも少年の言葉に怒るでもなく、ただ優しく受け止めてくれた。倒れそうになる時はいつも支えてくれた。


 ——強がっていただけで、弱い俺は……本当は貴方にいつも頼っていた。貴方の優しさに甘えていた。


 昔を思い出すと胸が痛む。愚かにもその温かさに甘えていたのだと。巣立つときになって初めて理解した。どれだけ大事な存在だったのか。どれだけ優しい存在だったのか。どれだけ大切に思われていたのか。


「ハァハァ、ハァ――」


 ——貴方はいつも俺に騙されてくれて、俺を騙さなかった。俺が欺いていようとも俺を欺かなかった。俺は貴方を裏切っているのに、貴方は俺を裏切らなかった。


 櫻井は自分の本心を隠して過ごしてきた。それでも銀髪の男は優しく騙された。それでも銀髪の男は欺かれようとも気にしなかった。一度として少年を裏切ることなどなかった。どこまで優しく包み込むように、微笑んだ。


 その微笑みに救われた。汚い世界だと思っていたのに、どこまでも綺麗な音が鳴り響くから少年は救われた。


 ——それなのに……


 どこまでも偽り続ける生活を繰り返した。それは家族というにはあまりに遠い、ただの同居というにはあまりに寂しい関係。どこかで距離が生まれていた。


 信じてしまえば楽だったのに、それが櫻井は怖かった。


 ——俺は本当の自分を知られて嫌われることが怖くて…………


 どこまでも底抜けに優しい彼を信じ切れなかった自分が嫌いになる。それでも叶えたい願いだったから一歩を踏み出した。そして、それは叶う。だからこそ先にある別れが訪れた。


 身勝手な願いだと分かりつつも、


 ——俺は今まで一度として……貴方に……


 少年は強く思った。


 銀髪の男に伝えたい想いがあるから。どうしようもなく自分がバカだとも分かっている。だけど足が止まることない。会って何をすべきかも分からない。それでもただ会いたいと願ってしまう。一度願いを叶えたからかもしれない。諦めないことを知ってしまって変わってしまったからもしれない。


 ——伝えていない……俺の本当の気持ちをッ!


 気が付けば駅まで休まずに走り続けていた。慌てて銀髪の姿を探すがすぐに見つからなかった。人はまばらに見えるが広々として駅。必死に首を振るう。どこにいると探す。


「あっ……」

 

 フェンスの向こう側――遠くのホームにいる銀髪の姿を目にした。少年は走る。改札の中に入るのではなく、櫻井はフェンスの金網を掴んで泣きそうな顔をぶつけた。その少年と銀髪の男を遮るように列車が到着し姿を隠す。


 列車が通過して二人の再開を引き裂くように大きい音を鳴らす。アナウンスがけたたましく鳴り響く。銀髪の男の足が列車に向かう。少年がそこに居るとも知らずに。



「銀翔さぁああんんんんんんんんんんんんん!」

 


 少年は雑音に負けないように腹の底から恩人の名前を叫ぶ。いまこの想いを届けたいと願う。それでも電車は扉を閉めた。発車ベルが鳴る。櫻井は顔を歪めたまま立ち尽くした。自分の声は届かないのかと。頭を垂れた。


 それは都合いい願いだと理解していた。


「………………っ」


 だから、罰が下ったのだと。


 自分は今更なにを願うのだと。これは自分が招いた結果でしかないのだと。理不尽な願いであり、不条理な願いでしかない。そんなものが叶うはずもないと少年は声をしまった。ただ一度願いが叶ったくらいで何を調子に乗っていたのかと。


 


「……!」




 少年が顔を上げた先に目を取られた。ホームに一人の男が立っている。その男は優しい顔で自分を見ている。いつまでも自分を待っていてくれる、そこにいる。意識を取り戻した自分を見ると安心したと言わんばかりに。


 少年は泣きそうになりながらも伝えなきゃと口を動かす。


「銀翔さん……俺……」 


 けど、想いは口から言葉にならない。頭がいいからこそ分かってしまっている。感情的に動きながらも状況を理解している。だから言葉が出てこない。


 ——俺が進む先は銀翔さんが望む道じゃない……あの人もシキと同じように


 自分の願いが導いた結末。それはいつも残酷だった。幸せなど存在しなかった。今も彼が願った道は銀髪の男が願う道とは違う。復讐が愚かなことだとは理解している。それでもソレが生きる意味になってしまった。


「俺…………」


 ——そんな俺がいまさら……あの人に何を……あの人に


 銀翔が願うのは自分の幸せだ。シキが見せたような普通の幸せを願っている。それを理解しているからこそ何を言えばいいのか分からなかった。櫻井が望んだものとは違う。櫻井がこれからしようとしている事とはかけ離れている。


「ッ……」


 だから少年は口を噤んで下を向く。本心をずっと偽り続けた。その心はまだ強いわけではなく弱いまま。恐がりで憶病で自分の弱さを見せることを嫌う。本当は言いたいのに言えないことばかりで困った顔を上げる。


 少年の顔が和らぎ、涙がポロリと零れた。


 ——銀翔さんはいつもそうだ……


 困ったからこそ顔を上げた。いつも弱気になった時に頼っていたから条件反射に近かった。そして、そこにはあった。彼が恐怖に脅えた時も、強がっている時もあったものが。


 ——そうやって……待っててくれる……


 言葉に出来ず苦しんだ時に銀翔はずっと待った。櫻井が言葉に出来るように。櫻井が心を吐き出せるように。櫻井が不安にならないように。いつも優しく微笑んで包み込むように待っていてくれた。


「銀翔さんッ!」


 だから、櫻井は声を張り上げる。


 いま伝えたい想いを。ずっと伝えたかった想いを。


「俺、一生懸命頑張りますからぁああああッ!」


 これからは別々になる。支え続けてくれた手がなくとも歩いていくと少年は声を銀髪にぶつける。それに銀髪は微笑んで頷き耳を傾ける。彼の言葉を聞き逃さないように。彼の想いを零さないようにと。


「銀翔さん、俺はッ!」


 少年は何度も名前を呼ぶ。足りない言葉を補うように。届けたい想いが伝わるように。感謝を込めて敬意を払いその名を呼ぶ。


「貴方がいてくれたから……」


 泣きながらも必死に言葉を繋げて、張り上げる。


「生きる意味を見つけられましたぁああああ!」


 それは銀髪の望んだものではないかもしれない。それでも櫻井にとっては大事な生きる意味。それも銀翔という男が自分を絶望から戻してくれたから見つけられた。だから櫻井は感謝を叫ぶ。ありったけの声を出した。


「銀翔さん……俺は……ッ!」


 涙が止まらずに言葉が詰まる。それでも、そんな少年を笑うこともなく銀髪の男は静かに次の言葉を待つ。ただ優しく微笑んで立派になった姿を目に焼き付けようと。


「一度絶望に負け……てッ……立ち上がれなくなったけど……」


 それは少年にとって辛い過去。それでも、その絶望のエピローグは終わりを迎えた。その進む先はまだ暗いトンネルの様に絶望が続くかもしれない。それでも少年は絶望に勝った。一度勝てたから進める。


 そして、その勝利は少年一人では無理だった。


「銀翔さんがいてくれたから……ッ」


 少年が一人で立ち上がれるくらい強くなるまで支えてくれた人がいたから、ずっと少年が一人で歩けるまで傍にいてくれた人がいたから、櫻井は勝てたのだ。


「救われた……俺は絶望から救われたんだッ!」


 想いが高まり大粒の涙が出る。その生活はどこまでも優しかった。恐怖に脅えた日もあったけど、不安に負けそうになった日もあったけど、温かい温もりがあった。どこまでも底抜けに優しい男がいた。


「いままで……」


 だからこそ、櫻井は声を張り上げる。嫌がる振りをしならがも一緒に寝た日々を。暑苦しいと吐き捨てた抱きかかえられる日々に別れを告げるように。


「本当にありがとうございましたぁあああ!」


 銀翔衛という『命の恩人』がいたから、櫻井はじめはまた歩き出すことができた。


 だからこそ、今まで伝えてこなかった感謝の想いを吐き出す様に、


 丁寧に姿勢を整えて声と共に


「本当に――」


 頭をどこまでも振り下げる。 

 

「お世話になりましたァアアアアアアアアアアア!」

 

 ただただ感謝しかなく、謝意でしかない。


 溢れ出るものは自分を救ってくれた一人の英雄への言葉でしかない。


 どこまでも大好きな恩人に少年から贈る、感謝の言葉。


 銀翔は何も返さなかった。その前に列車が訪れた。その足は自然と車内へと向かった。少年の立派な姿は見届けた。言葉は心に響いた。そしてこれは別れの挨拶なのだと受け取った。


 銀翔を乗せた電車は動き出す。それでも櫻井は頭をじっと下げたまま上げなかった。その想いはこれでは足りないと表す様に列車がホームから消えても頭を下げて、彼の涙が地面を濡らした。





 銀翔は一人だけの車内で椅子にもたれ掛る。寂しさもある。立派に成長した姿に感動もある。いくつもの感情が混ざり合い感傷に浸る。不思議な感触を手に感じた。銀髪の男はそっと太ももに置いた手に目をやる。


 彼は白昼夢のような光景を目にする。


「みんな………」


 それは彼が幼い頃に殺した陰陽師の仲間たちの姿。生きて年老いた自分とは違う、年も変わらぬままの姿。その亡霊が自分の右手に手を置いていた。


 そして、その眼が銀翔を見上げ優しい視線が向けられる。


【もういいよ……銀翔】

【いっぱい苦しませてごめんね………】

【銀翔……俺たちのことは忘れてくれ】


 何かを謝罪するように少年少女らは銀翔に語り掛ける。それは幼い自分が救えなかった仲間たち。力がなかったが故に自分が犯した悲劇。その手は彼らを貫いた右手。それでもその手に愛おしそうに彼らの手が乗せられている。


【銀翔、ありがとう】

【あの時、俺たちを救ってくれてありがとう】

【銀翔だけに辛い想いさせてごめんね】


「……………」

 

 彼らの姿は光の雫となって天井に消えていく。その右手は心なしか軽くなった。以前は黒く見えたこともあった右手が輝いて見えた。銀翔は不思議な体験に穏やかな顔で列車の窓を見る。


「そうか……そういうことか」


 これは櫻井との出会いがもたらしたものだと理解した。どこかで櫻井を彼らと重ねていた。死にたいと願った仲間達と。だから救いたかった。弱かった自分はあの時に救えなかったけど、強くなった今ならばと。


「ハジメは僕に救われたと言ったけど………それは違うよ」


 その手は確かに櫻井という少年を絶望から救った。それでも銀翔は違うと言い切る。そうではないのだと。殺して欲しいと彼らと同じように願った少年がいた。だからこそ銀翔は救いたかった。


「私は、どうしようもないほど、あの時のことを思い出してしまって、どうにもできないほど、悔やんで苦しんだ日々があったから、誰一人として幼い私は救えなかったから、」


 銀翔の顔に日差しが当たる。晴れやかな表情を浮かべた。


「大人になった私の手で君を救いたいと浅ましくも願ってしまってんだ」


 何も言わぬ少年にお風呂場で交わした懐かしき挑戦の言葉を思い出す。


『君が君を殺したいと傷つけるのなら、それを私がやめさせてやる』

 

『君が終わりを望むように、私も始まりを望むだけだ』


 温かい陽だまりが彼を包み込む。 


「そう、私が願っただけなんだ」


 右手と共に心にあったものも無くなって軽くなった。そして、なぜ櫻井はじめを救いたかったのか銀髪の男はそう結論付ける。

 

「君を救うことで」


 それは彼の幼き日の贖罪だった。どこまでも優しい男はそういうことにした。少年の為ではなく自分のためにやっただけだと。それが少年が見せてくれた景色に対する彼なりの感謝。


「私が救われたかったんだ」


 銀翔の車内を照らす日差しが強くなり寒さがなくなっていく。


 車窓から見える景色はかすかに緑が色づき始める。


 冬の終わりを告げるように気候が変わり始める。


 救われた二人に、


 もうすぐ春が到来することを告げるように季節と景色は静かに変わる。



《つづく》





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【作者あとがき】


ようやっと………これで長かったお受験編も終わりです(。-`ω-)。


ここまで読んで頂いた皆様(読者様)ありがとうございます。ちょっと誤字脱字も多くて申し訳ございません。それでもここまで諦めずに読んでくれたことに感謝です。


もし、楽しかったよとか面白かったよとか、思っていただけのであれば………


星なぞ頂けると作者としては嬉しいです。応援だけでも構いません。金をくれとは言いません。無料で構いません。何か反応を頂けると作者としてやる気に繋がります。


だから、お願い(=゚ω゚)ノ!


百五十万文字も読んでくれた皆様(読者様)だからお願いしたい。


反応がないと不安なんです! 怖いんです!!


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以上 作者からのお願いでした|д゚)。


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