第299話 巣立ちの時がきた
「なんだよ……櫻井の奴あんなに急いでトイレか?」
「それにしては必死過ぎな気がするけど」
「まぁ病室で待ってようよ」
櫻井の見舞いに来た岩城達の三人。その呼ぶ声を無視して櫻井は病院の外へと走っていった。三人は何も知らずに病室の中へと足を進めていくと中で頭を掻いた医者が三人の方へ振り返った。その眼は訝しげに三人に向いている。
「君たちの友人はどういう人物なんだい……意識が戻ったばかりだというのに」
「止まってたら死んじゃうマグロのようなヤツです」
フルーツの山盛りを持った岩城のひょうきんな返しに富島と桜島はクスクスと笑う。確かにあの受験で見せた男の姿は岩城の言葉の通りだ。いや、むしろ死ぬまで走り続けるようなヤツだ。
「あ……」
桜島がふと視線を床に散らばった書類に向けた。そこに映し出される合格の通知。岩城と富島も遅れてその書類に目を向ける。しみじみとその結果を見た。
「そうか……受かったか」「あそこまでやればね……」「さすがだね」
三人の手元にソレが届くことはなかった。それでもどこか喜ばしくも微笑み見送れる。一緒に戦ってずっとその戦いを見てきたから嫉妬のような感情は湧かなかった。櫻井という仲間が認められた証に他ならないのだから。
岩城が櫻井の布団の上にフルーツのカゴを置いて、富島たちの方に振り返る。
「じゃあ、帰るか」
「えっ……櫻井君に会っていかないのか?」
富島の不思議そうな言葉に岩城は少し考えて歩き出す。
「いま会うのって何か違う気がするから」
岩城の言葉を聞いて富島と桜島はその背中を追いかけるように病室を後にした。
「桜島さんは櫻井に会っていけばいいのにー」
「私もなんとなく岩城君と同じ気持ちかもしれない」
「俺たち、両想いってこと?」
「それは違う」
岩城の言葉にどこか上品に笑って桜島は返す。富島もどこか岩城の言葉に共感を覚えていた。会うべきではないと。
「遠くにいっちまったな、さすが俺たちのエリートだ。櫻井君は」
「本当だよ」
「そうだね」
三人は気持ちを共有して晴れやかな顔で院内の廊下を歩いていく。見舞いに毎日のように通っていたがそれも今日で終わりだと。意識を戻した櫻井と話すことはないのだと。
「岩城の言う通り、確かにこのままじゃ会いたくないよな」
「だろ」
「そうだね」
高尾山にある総合病院を出ると外は晴れていた。わずかに雨が降ったのか地面が湿っている。三人は高尾山に体を向けて想い深げに山を眺める。あの山で櫻井と出会ったのだと。わずか一時間という短い出会いだったかもしれない。
それでも――彼らにとっては大切な思い出だ。
「俺だって落ちこぼれのままじゃ終われねぇよ」
岩城の言葉に富島が続く。
「あぁ、俺たちだってやれば出来るはずだ」
富島の言葉を桜島が繋ぐ。
「次に会う時は胸を張れるぐらいになっていたいね!」
「ほほー」と富島と岩城が胸を張っている桜島に視線をぶつける。
「確かにまだ成長の余地はあるな、富島」
「高校からでも少しは成長するしな」
「どこ見てるのよ、二人ともぉおお!!」
ふざける二人を桜島は怒りながら追いかけた。
それは最低な男が見せた背中。一番後ろから前へと目指し続け抜かれた時に見た背中。その背中はどこまでも進んでいった。三人を置いてくように扉の向こう側へと。
だから、三人は誓う。
次に再会を果たす時は同じ舞台に立てるぐらいになると。
その時、櫻井は探していた、ある男の背中を。
——どこにいるんだ……
病院服のまま抜け出して裸足で山道をかけていた。恰好など気にすることもない。一秒でも早くと、医者が言っていたことを思い出しながら。
『君が寝ている間にお見舞いに来て、服を脱がした君の体に塗りたくっていたよ……とても愛おしそうに。ついさっきまでやっていたんだ』
「どこにいるんだよ……銀翔さんッ!」
別れ行く前に想いを伝えたくて、一人の少年は必死に一人の男を探す。
「さぁ新宿に戻らなきゃ」
見舞いをもうすでに終えた男は歩く。その目立つ長い長髪を揺らす。銀髪の髪が風に揺れる。ゆっくりと駅に向かって歩いていく。銀翔も分かっている。
もうすぐ二人の生活が終わることを。
——体の傷痕が消えて良かった……今度、杉崎さんにお礼を言わなきゃ。
わずかに枯れ木に新しい緑が芽吹き始めているのを歩きながら見上げる。
——まさか……本当にマカダミアにハジメが受かるなんて……
そんなことは思いもしなかった。ずっと見てきたからこそ分かる。
別れが近いからこそ懐かしき日を思い出す。
最初に出会ったときは感情を失くしていた。少年はただ静かに死ぬ時を待つように意思を失くしていた。
——あんなに弱弱しかったのに……
だが、そこから彼は立ち上がった。その足は生きようともう一度立ち上がる。それでも銀翔が支えていなければ立つことすら出来ないような状況だった。恐怖に脅え怖がって何もできなかった。
——あんなに脅えていたのに……
一人で生きていくなど到底できるはずもなかった。弱い存在だった。守るべき存在だった。だから彼の元にシキをつけた。そんな状態だったのに少年はいつも弱さを隠していた。
——強がってばかりだったのに……
それなのに、口が悪くて、いつも「お前」とか「銀翔」とか呼び捨てで呼ばれていた。少年は弱さを見せることを極端に嫌っていた。それでも銀翔の眼から見た櫻井はじめは愛おしい存在に思えていた。
——そういえば、パンを買いすぎて怒られったっけ……
ずっと卵が
——本当によく頑張った……
ずっと、危うい行為を見守ってきた。目を離すとどうなるか分からない赤子のようだった。生きようと立ち上がろうともすぐに絶望に持っていかれそうになる。また引き戻されてしまうのではないかと冷や冷やしていた。頑張れ、頑張れと心で静かに応援していた。
——戦闘経験なんてまるでなかったはずなのに……
櫻井がマカダミアを受験すると言ってきた時は肝を冷やした。自分の役に立ちたいと言ったがそれが本心でないことは見抜いている。そして、それが無謀な挑戦であるということも。異世界での戦闘経験も恵まれた能力もない少年の願いは叶うはずもないものだった。
——見違えるほどに強くなった……
それでも少年は狂気に染まりながらもずっと貫く。限度越えたトレーニングを繰り返す。驚くべき成長速度を見せていく。願いを叶えるように、願いに届くようにと。やせ細った体はいつの間にか逞しくなった。体に神酒を直に塗り込んだから分かる。
鍛えられた筋肉は彼が歩んできた日々の形だと。
——受かってほしくないと願ったり、受かってほしいと願ったり、けど……
受験の日に優柔不断な銀翔は迷っていた。生活が終わることへの寂しさと少年が報われて欲しいという願いの間で揺れていた。そして、少年は願いを叶えてしまった。
——マカダミアからの合格通知を見た時に泣いたんだ、僕は……。
けど、その過程を見て来たからこそ銀翔は喜びに震えた。
彼の家にそれは届いた。そして、それを本人よりも先に開封してみた。そこに少年の願いが叶った証が映し出された。少年の苦しい日々が終わったのだと思った瞬間に銀翔の目から涙がとめどなく溢れだした。
——あの時に自分の気持ちが分かってしまった、僕の中でハッキリ決まってしまった。
体が震えるほどに、呼吸ができないほどに、大泣きするほどに、嬉しかった。櫻井はじめというずっと見て来た少年が願いを貫いたのだと。だからこそ銀翔は櫻井との約束を守る決心をした。
『俺は一人で生きていく。だから仕事をくれ!』
そう、少年が願ったのだ。もうすでにそうなるかもということで賃貸契約などの準備は進めていた。それは銀翔にとっては悲しいことだったけれど、それが櫻井の願いであればと。
——君は強くなった……
寂しい気持ちがないなど言えるわけもない。銀翔にとっても櫻井との生活はかけがえのないものだった。櫻井との生活は楽しかった。ぶっきらぼうで、乱暴で、礼儀など知らない少年でも彼にとっては大事な命だ。
銀髪の男は改札を通り抜けてホームを目指す。
――寂しいけど、僕がいなくても生きていけるぐらいに……
銀翔はかつて殻に閉じこもった少年に願った。
『君という卵を私がずっと温め続けるから』
『母鳥の様にいつかその殻を破って出てくるのを見守るようにそばにいるから。君が生きたいと思ったときに殻を割っておいで。その時に私は初めて君の動いている顔を見るのだろう』
『その時に君はどんな顔をして出てくるのか、楽しみにするよ。
その時に私はどんな顔をして迎えるのかを、楽しみに待つよ』
その時が来たのだと悟る。
絶望に潰され殻に閉じこもっていた雛鳥。それが殻を破って歩き出し、次第に力をつけていった。その体はまだ小さいかもしれない。その羽はまだ弱弱しいかもししれない。けど、それでも大きな空へと踏み出すのだろう。堕ちるかもしれない恐怖に打ち勝ち、巣立っていくものなのだろうと。
「君はもうすぐ僕のところから飛び立っていくんだね……」
ただ、銀翔衛は晴れた空を見上げる。
雲一つなく風が穏やかに吹く綺麗な青空を――少年の飛び立つ先もそうであるようにと願うように見上げた。
《つづく》
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