第298話 シキが残してくれた俺への最後の贈り物

「病院に運ばれてきた君の状態は非常に危険なものだった」


 俺は医者の話に耳を傾けていた。救急車両が到着するまでの時間は異常な速度だったという。通常ではありえない搬送時間の短縮によりなんとか一命を取り留めていたということだった。


「腹腔内出血、要は内臓から出た血が体内に蓄積され、臓器が圧迫状態にあった。おそらくアバラが折れた状態で攻撃を受けた衝撃によるものだと思う、折れた骨の破片が臓器の至る所に刺さり破いたのだろう」


 想像するだけで痛そうだ……。


 確かにアバラが折れてからも黒崎の攻撃を何度か受けて地面を転がりまくってた。その衝撃は体内にも伝わっているとすれば納得の結果の他ない。


「回復魔法でいくら治そうとも体内に漏れ出た血液までは回収できなかったようだ。それでもすぐに手術に移れたのはあの少年のおかげだ」

「少年?」

「君に寄り添っていた僧侶の少年だよ。さすがマカダミアの生徒だと思った。彼が状況を把握していた。だからこそ彼の指示を元に我々もすぐに手術に望めた」


 医者はその少年に感心するような素振りで頷く。誰の事かイマイチ掴めないがなんとなく僧侶三人組の一番背が低かった男のような気がする。


「一分一秒を争う中で搬送時間の短縮と手術への移行がスムーズに行えたこと。それはマカダミアの生徒達の賢明な努力によるものだ」

「………」

「私が腹を開けて手術中にみた内臓はズタボロだったよ。外見じゃなく中身がだ。ダメージっていうのは蓄積されていくものだ」

 

 医者は真剣な顔で俺を見てくる。それが真剣であればあるほど俺がどれだけ危険だったのかということが伝わる。俺は死に損なったとはもう言えない。生きててよかったと心が和らぐ。やっと、一歩踏み出せたから。


「気づかない毒のように君の体を蝕んでいき、いつか破裂する。大丈夫だと思いながらやって誤魔化した末にね。君がどれだけ無理を背負い込んできたかもすぐにわかったよ」


 医者は釘を刺しているということはわかる。この医者がどれだけ俺を緊張して手術したのかが想像できるぐらいに。だから俺の口は自然と動いていた。


「助けて貰ってありがとうございます……」


 俺がお礼をいうと医者は頭をかいてばつが悪そうだった。


「私だけでは無理だったんだ、手術中に乱入した銀髪の男が奇跡を起こした」

「銀髪……」


 その話を聞いて俺が思い浮かべたのはただ一人だった。


「いきなり手術室に無断で部外者が入室したから止めようとしたが、あっという間に止めに入ったもの達は払いのけられてね。必死な形相をして小瓶を開けて君の体内に特殊な液体をかけたんだ」

「特殊って……」

「確か……ソーマとか言っていた。とても貴重なものらしいのだが、その効果は見るに絶大だった。長年医者をやっている私もあんな薬を見たことはない。たちまちに君の内臓が蘇ったように鼓動をあげたよ」

「…………」


 また……俺は……あの人に救われた。


 自然と胸が痛みを発した。医者が言った景色を想像した。あの人を取り押さえられる奴なんていない。そしてあの人は俺をこれでもかと愛してくれている。その愛ゆえにどれだけ必死になってくれたのだろうと。


「それだけの奇跡が重なって君は生きているんだ」

「……」


 医者の言葉に俺は唇を噛みしめる。それだけでないと知っている。ある神さまが俺を生かしてくれたからだ。シキがあの時に俺を護ってくれたからこうしていられる。


「君のベッドの横に置いてあるのが確かソーマだ」

「……これが……」


 俺はベットの横の小瓶を見た。女子力が高いリボンが着いた綺麗な小瓶。ガラスの瓶に謎の白い液体。これがソーマか。俺は不思議そうにその液体を眺めた。若干その女子力が気になるが感謝した。神々しい液体だ。


「確か貴重なミルクといっていた」

「ミル……ク?」


 俺の顔が歪んだ。なんとなく嫌な単語に聞こえた。ジジィがいう『ミルク』って言い方が何か変な卑猥さ含んでるような嫌悪がある。仏のミルクとは、と。俺の中で感謝の気持ちが若干薄れていくのがわかった。


 何かの疑念に塗りつぶされていく。


「君が寝ている間にお見舞いに来て、服を脱がした君の体に塗りたくっていたよ……とても愛おしそうに。ついさっきまでやっていたんだ」

「……」


 このじじぃ、何か狙っているのか?


 じじぃの頬が若干赤らんでるのも気になる。そして後ろのナースたちが携帯を片手に『嘘松うそまつタイム!』とか燥いでるのが不快でしょうがない。俺は嫌な予感がしてしょうがない。


 だが、それを無視して医者は興奮した。


「するとミルミル君の体から傷跡が消えていった! 正に奇跡のミルクだよ!」

「………」


 仏のミルクは――奇跡のミルミル、ミルクッ!


 俺は頭に何回も拳を打ち付けた。頭に浮かぶ最悪の想像をかき消し砕くように何度つよくぶつけた。なぜ俺は五日まで寝ていた!と自分を殺したくなる。半裸で白い液体を塗りたくられる、何か想像するに恐ろしい光景に思えてしょうがない!!


 俺は額から血を流し、医者を疑惑で訝しげに睨む。


「さっき、回復魔法を訳も分からないから治療じゃないとおっしゃったお医者様が、なぜ謎のミルク液体については止めなかったんですか? こんな得体の知れないアヤシイ、薬かも分からないものを、信用するのは医者としてどうなのかと俺は問いたい……」

「漢方と同じようなものだと私は。こんな回復薬はいままで見たことがない! おまけに匂いが独特でキツイのも漢方っぽい!」

「………ッ」


 コイツ、バッカじゃねぇのッ!! 思うって、ぽいって、なんだよッ!!


 しかも、本当に俺の体の匂いが臭い! 嗅いだこともないような異臭がする!!


 もはや、この医者へのイライラは増し信頼は地の底に着いた。


 前言撤回だ。関口よりもヤバイ医者だ。


 漢方まがいは良くて、回復魔法はダメって謎理論だろッ!


 よーく考えたらコイツの治療らしい治療は、いまだに何一つ聞いていない!!


「そういえば、君に渡すものがあったんだ」

「……」


 医者は何かゴソゴソと服の中に手を入れた。これ以上白い液体が出てきたらコイツを殺そうと思う。俺は右手で拳を握って医者が出すものに対して身構える。


「君が目覚めたらこれを渡してくれと銀髪くんから言われていたんだ」

「銀翔さんから……」


 俺は医者から茶封筒を受け取り触って確かめる。何か下にゴツゴツした感触がある。それに何か本のような分厚さもある。俺が医者を怪訝な表情で見るとあけてみなさいと言わんばかりに頷いていた。


 うざかったのは、その後ろでナース共が『ついに運命の瞬間よ!』とか『婚姻届けに百万いいね!』とか『確変嘘松うそまつきましたー!』とか大盛り上がりしている。


 さっきから、なんだよ、嘘松って……。


 茶封筒を開けた、俺の眼は驚き固まった。そして医者の方を一度見上げる。その封筒の中身は俺が欲しかったものだが、信じられないもので自然と手が震えていた。


「皆が言っていたよ。君は選ばれるべく選ばれるものだと」

「……ッ!」


 顔が強張る。涙がこみ上げそうになる。それは俺が初めて絶望に勝った証として残ったもの。俺の本当の勝利を告げるもの。あの歩き出した日から求め続けたもの。何度も死にかけて手にした栄光。



  

 シキが残してくれた俺への最後の贈り物。




 『マカダミアキャッツ学園の合格通知』




 この為にここまでやってきたのだと、報われた瞬間に、それを手に一人で体を震わせる。唇を噛みしめて泣きそうになるのを堪える。分厚い冊子は入学案内。目の前に手にした入学申請書類。ここまで歩いてきた道の先。ここから始まるのだと。


「おめでとう」


 医者の言葉に応えることも出来なかった。まだ歩ける道が出来ただけに過ぎない。それでも胸がどうしようもなく熱くなる。無理だと言われ続けた道が開けた瞬間に言葉が出てこない。言葉にしてしまったら陳腐になってしまう気がして、俺はただ泣くのを堪えながらその茶封筒にあるものを確認していった。


 そして、最後に掌にゴツゴツしていた物が姿を現した。


「鍵……?」


 キーホルダーが着いた鍵と付箋が張られている。そこには世田谷区駒沢の住所が書かれている。そして、その付箋の裏にメッセージが書かれていた。


『よく頑張ったね』


 その鍵が誰からの贈り物なのか、どういう意味を持つのかを一瞬で理解した体は自然と動き出していた。


「ちょっと櫻井君!」


 どうしても居ても立っても居られなくて病院を駆け抜けていく。


「あれ、櫻井?」「櫻井君ッ!」「櫻井さんッ!」


「院内の廊下は走るんじゃありません!」


 誰かが俺を呼ぶ声が聞こえたが止まることは出来なかった。足は全速力で外へと向かって走り出していた。気持ちは一秒でも早くと願った。堪え切れない気持ちをぶつける為に。


 ——銀翔さん……銀翔さん……


 俺と銀翔さんには約束があった。あの人が約束を守ってくれた証が鍵だ。それは俺達の生活、銀翔さんとの生活の終わり告げる鍵。


 ——銀翔さん……俺……ッ!!


 だから、俺は『命の恩人』を探す様に行先も分からないまま駆け出していた。



《つづく》

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