第292話 さぁ始めようぜ、俺達のデスゲームを

 佐藤の前で櫻井を包み込んだ闇が大きく広がっていく。それ風船を膨らせたようにどこまでも辺りを包んで侵食していく。その状況を理解したからこそ櫻井がどうなったのかが分かる。


「もうダメだ……」


 この能力を前に櫻井では持たないと、この巨大な絶望の闇を前に生きているはずがないと。その膨れ上がり収まりを見せない闇に誰もが櫻井の絶望おわりを見た。


 だが、校長だけは力の波動を感じ取っていた。


「何が起きてるにゃんッ!」


 異質な力の目覚めを感じ取っている。大きく闇の中で何かが膨れ上がっていた。力の波動がどんどんと大きくなっている。それが内側から闇を膨らませている。どこまでも巨大な絶望の闇を押し返す様にその力の波動は闇に包まれながらも広がっていく。


 それは神の願いだ。それは神の命の火だ。


 櫻井の前に立ちはだかる絶望から櫻井を護ると誓った力――希望を照らす金色の光。


 闇が大きく膨らみ限界を超えて風船が割れるようにはじける。その希望を飲み込めずに絶望は崩壊し弾けて消えた。


 闇が晴れる――。


「何をしたにゃん……」


 闇を切り裂いた金色の光は雪のようにゆっくり天空から降り注ぐ。佐藤の眼が驚愕に見開く。そこにいる者は絶望に消えなかった。


「なぜ……生きている……」


 それでよかったはずなのに受け止めらきれない事実が彼女を狂わせる。それはマカダミアでも選ばれたエリートの力。その暴走という結果を前に少年は傷だらけの体で腕を下に垂らし天にいる神を仰ぐように歯を食いしばっている。


「なぜ……立っていられる」


 それは奇跡だった。神が起こした奇跡に他ならない。


「おい、一葉……」

「……」


 目を閉じている一葉を岩井が呼んだ。しかし彼女は眼を閉じていた。その絶望の答えを見たくなかったから。だが岩井は彼女を叩き起こす様に揺らし声をかけた。


「一葉、見ろッ!」

「えっ……」


 彼女が瞼を開き岩井の言う先を見ると希望が立っていた。


「えっ……!」


 彼女の前で絶望は終わりを迎える。全身ボロボロになりながらも血をながらしながらも希望は絶望を前に生き残っていた。一葉の眼が涙で歪む。唇が震える。


 そのか弱き者は耐え抜いた。そのか弱きものは耐えきった。


 そして、その希望の灯はそこに居るもの達の心を照らしていく――。


「櫻井……」「櫻井君……」「櫻井さんッ!」


 岩城達の前にもハッキリと見えている。そして歩いていた獣塚にもそれは見えていた。口の端が嘘だろと歪み震える。信じられない奇跡を見た。そこに立っているのは才なき者だ。そこにいたのは立派な弱者だ。


「最高だよ……」


 その歩いていた足は彼を求めるように走り出す。


「お前は最高だッ! 櫻井ッ!」


 三葉が気づく、その神の奇跡がもたらした恩恵に。


「黒崎君が……」


 武田の視界が三葉の声に反応して素早くとらえる。黒崎の体から出る闇が無くなっている。黒崎の顔が蒼白に染まり、からだ全体で激しく苦しそうに呼吸をしている。それは普通の状態ではない。


「やりやがった……耐えきりやがった……」


 それは能力が尽きたことを指し示す。富田の視界が櫻井の体を映す。その体から確かに消えている。富田の顔が破顔する。その状況が彼を救ったのだと。攻撃を受けて刻まれた黒き紋章が消えているのが何よりの証拠。


 黒崎嘉音は暴走の代償を支払ったのだと。


「マインドゼロ……だッ!」


 それは神の力だが、黒崎の状態から皆が勘違いをした。


 ずっと耐えきった櫻井の功績によるものだと。能力が尽きるまで攻撃に耐えきった執念の勝利だと。


 だが櫻井だけは知っている。


 ——俺はまた……


 そこにあった奇跡は自分が起こしたものではない。自分を救う為に命を犠牲にしたものがいることを。


「……ッ」


 ——大事なものを……失ったッ!


 だからこそ、天から降り注ぐ光に悲しみと悔しさを向けていた。だが、その光は綺麗で、優しく、あまりに温かかった。神の命の小さな欠片は少年の罪を許す様にどこまでも包み込むように降り注ぐ。


 それは傷だらけの少年の美しさを際立たせた。


 一枚の芸術的な絵画のようだった。見るもの達が心を奪われるほどに。それはまるで命を輝きを、生命の強さをそこに表しているような風景。


「あり得るのか……そんなことが」


 佐藤は奇跡を前に考え続けていた。状況が受け止められないからこそ考え続けた。これは落験の試験でしかない。それも最底辺の組の試験でしかない。


「不可能だ……あり得ない……」

 

 目の前の光景を否定するように言葉を口にするが否定しきれない。それは起こってしまったのだ。現に櫻井はじめはまだ立っている。


 ——攻撃力Eランク……防御力Eランク……素早さEランク……


 それはタブレットに刻み込まれた櫻井のステータス。基礎体力試験の結果。


 ——俊敏性Eランク……持久力Eランク……力Eランク……


 何一つとして辿り着いてなどいない。現状の答えに辿り着くものは存在などしていない。全てが劣っているものでしかない。


 そんな現状では無理だ。


「まさか……」


 ——1つだけ残されたステータスがある……


 佐藤が考え抜いた末に答えを掴み始める。けど、それを信じたくはなかった。そんなヤツは今まで存在していなかった。残されたそれは、実戦試験のみでしか計れないステータス。


 晴夫に櫻井の実力を問われたオロチが学園対抗戦で告げた櫻井のステータス。


『……書類上学力が高い。それ以外はない』


 そして、オロチはため息交じりに続けた。


『学力以外は入学ギリギリのステータスだ』


 それでも一つだけ櫻井には残されたものがあった。

 

『何度か殴って試したが明らかに殴られ慣れてやがる。少しずつ威力を上げていったが、それでも耐えやがる。書類とがあってない』


 それは実戦試験でのみ計測することが許されたステータス。防具という圧倒的アドバンテージを持った実力者の攻撃を耐える力。どれだけ痛みに耐えられるのかと試されるもの。そしてそのランクが佐藤の中ではじき出される。


 ——耐久値Aランク……ッ!


 佐藤が導き出した答えは必然とAランクになった。それは戦っている相手と防御力に依存する。学園対抗戦に選ばれる黒崎という強者の攻撃を防御力Eランクで耐えきった櫻井の故の結果。


 それだけが唯一ステータスでマカダミアの合格ラインに達している。


 ——それは……


 いや、平均をCランクとするマカダミアで秀でていると言っても過言ではない。


 それは喜ばしいことのように思えるが――違った。


 ――あまりにも……。


「残酷だ……」


 佐藤は目を瞑って唇を噛みしめた。涙が零れそうになるのを堪えた。


 佐藤は認められなかった。


 《耐久値》とは、その者の生命力を指す値。


 それはゲームで言えばHPと呼ばれるものに当たる。文字通りその者の命を表す。それが削られれば命が削られる。ゲームならばそれは数字が減るだけのもので終わる。その絵が変わることなどほとんどない。そこに悲しみや憐れみを感じることはない。


 しかし、現実は違う――。


 現実はあまりに残酷なものだと櫻井の体が示している。どれだけ傷だらけになろうとも耐えて、どれだけ心が折れそうになろうとも立ち上がってくる。まだ命が尽きていないと。


「こんなもの、酷過ぎるッ……」


 攻撃を躱すことも出来ず、攻撃で相手を倒すことも出来ず、防御力がないから酷く傷つくだけなのに、命が尽きるまで耐える力が優れているなど、誰が喜べるのか。


 そんなものは生き地獄の他ない。


 それを耐えてきた体は抗った傷の痕を残していた。絶望にどこまでも弄ばれた体は過去の傷痕を残して今なお傷つき続けている。


「こんなのッ!」


 その見るに堪えない姿に佐藤は涙を流す。

 

 どれだけ傷つけば彼の絶望が終わると。 


 ——シキ……誓いは守るよ……。


 だが、その傷を負ってもその意思は死なない。その足は前にと出された。フラフラとしながらも激痛が彼の意識を断ち切ろうとしても、そこに櫻井の決意がゆっくりと踏み込まれる。


 ——ただ前に……。


 その腕は暴走した闇との戦いで使い物にならなくなった。指の骨に加え、両腕の骨が砕け、あげることもままならない。足はも振り上げることも出来ないのか地面をするようにゆっくりと動く。友との誓いを胸に。


「ただ……前に……」

 

 意識が切れそうになり朦朧とするがそれでも進む。誰もが限界を覚える姿であろうともただ前に前にと。血を垂らしながらも無理やり体を動かし歩み寄っていく。


「五分と五分だッ!」


 涙を流した名も無き僧侶が強く声を上げる。櫻井も満身創痍であるが、試験官である黒崎もマインドゼロになって苦しそうにしている。櫻井の執念がそれを導いたのだと歓喜の声を上げた。


「「イイヤッ!」」

 

 だが、武田と岩井は名も無き僧侶の声を否定する。見るからに体の状態を見れば歴然である。傷だらけでフラフラになっている櫻井と能力を切らし、ただ気持ち悪くて動けない黒崎とは。


 それにも関わらず、


「「形勢逆転だッ!」」


 違うと声を上げる。


 ここまでの戦いを見てきたからこそ二人は言い切れる。この勝負は確実に櫻井に傾いていると。何度も絶望を見てきた櫻井と黒崎は違うと。


 そして、黒崎も肌でそれを感じ取っていた。


 ——コワイ……コワイ、コワイ……。


 ゆっくりと近づいて来る傷だらけの男に恐怖を覚える。どす黒く不吉なオーラの幻覚が見えている。何度潰しても立ち上がってくる。何度折ろうとしてもその心は折れない。何度倒しても向かってくる。それは執念の塊。


 払いのけようとしても消えない自分に向けられた絶望。


 ——来ないでくれ……こっちに来ないでくれ……!


 そんなものを相手にしている方は恐怖に染まる。自分の体は逃げるだけの体力がない。心も折られた。マインドゼロの後遺症と恐怖に体に力が入らない。足は動くことを許さない。


 その体が出来ることは震えることだけ。


 迫りくるのは執念という狂気の塊。絶望に負けず、諦めることをめた狂人。


 その狂人は心で決めたことを果たす。


『引きずり込んでやるよ。俺がお前を本当の絶望ってやつにッ!』


 それは黒崎が森で櫻井に罵倒を吐いたときの決意。


 完全に黒崎の体は恐怖に飲み込まれた。その近づいてくる狂気の塊は自分には手に負えないと理解した。これを止めることなど自分に出来ないのだと。


 そして、体に刺さる冷たい殺気が教えている。


 それは今こちらに向かって自分を殺しに歩いてきているのだと。


「俺の……」 


 絶望に怯えたカタカタと震える口で執念に話しかけるが


「負けだ……」


 聞こえていないのか止まることはない。


 櫻井は脅える黒崎に向かって歩き続ける。自分の絶望になるといった敵を前にただ殺意を込めて歩き続ける。その足が止まることはなかった。誰もが才というものに負けて諦めようとも、力の無さを受け入れて引き返そうとも、その前に進む意思だけは消えなかった足は動き続ける。


「助けて……くれ……」


 一万に近くいた受験生の九千は敗北を受け入れた。


 残った千人で百人しか勝利を勝ち得ない。


 それでも勝利を求めて歩き続けてきた足は止まることを知らない。敗北を受け入れることを止めた。絶望に負けることを嫌った。


 だからこそずっと命を賭けてきた。櫻井はずっと足りないからこそかけてきた。


 いつ尽きるのかも分からない命を――、


 そして、神の命まで奪って使った。


 望まぬ勝利を掴んできた自分が、望んだ勝利を手に入れる為に。


 それを邪魔し続けてきたのは黒崎という男だ。だからこそ、その足は男に向かって止まることはない。自分の絶望になるといった男の怯えた顔に、感情の無い冷たい殺意を宿した眼を向けて逃がさないと告げる。


「さぁ始めようぜ、」


 感情の無い冷たい声が怯える黒崎の耳を貫く。ずっと賭け続けてきたのだと。自分はいつ無くなるかも分からない命をチップを賭け続けてきたのだと。


 それを黒崎はずっと上手く凌いでいた。勝負を避けてきた。


 試験官だけが持つ防具というアドバンテージを使った。それをはぎ取る為に櫻井は命のチップをかけた。能力という圧倒的才能というチップを吐き出させるために、自分の命のチップを賭け、その為に友である式神の命まで使ったのだ。


「俺達の――」


 そして、いま全てを黒崎から吐き出させた。だからこそ逃がさないと告げる。お前も俺と同様に賭けてみろという。いつ尽きるかも分からない命というチップを。


 命を失うその恐怖に負けずに出して賭けてみろと告げる。


「デスゲームを」


 お前も命を賭けるテーブルに着けと黒崎を逃がさない。



《つづく》

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