第285話 その絶望の闇が届かない場所に来い

 崩壊の音が鳴り響く、


「ウワァアアアアアアアアアアアア――」


 どこまでも狂ったように叫びは続く、叫ぶ黒崎の体を大きい闇が覆っていく。


「なんだよ……これ……」


 幾度となく絶望に抗った櫻井の前に闇が膨れ上がっていく。


「これは……」


 富島の顔が歪む。世界の闇が溢れだしたように際限なく辺りを埋めていく。


「う……ん……っ?」


 黒崎が出す絶望に染まった叫び声に意識を失っていた桜島が目を開ける。星の光が飲み込まれていくほど闇が溢れだす光景に夢かと思う。岩城は見たこともない力にただ目を開けているだけだった。


 その闇はどこまでも膨れあがり、黒い触手を何本も禍々しくうねらせだす。


 校舎の一部が闇に削られ、叩き壊されていく。空は闇に侵食されていく。櫻井も岩城達もただ茫然と眺めていた。目に見える強大な力を前に呆気に取られていた。


 校舎を削り取るように振るわれる触手。


「これはぁああああああああああ!」


 ——なんでこういう大事な時にいないんですかッ! オロチ先生!!


 校舎内にいる高畑へ襲い掛かる触手。触手に追われて高畑の泣き叫ぶ悲鳴が校舎に鳴り響く。


「マズイッ!」


 佐藤が校長を抱えて走り出す。制御を失った触手が桜島たちに襲い掛かろうとしていた。えっ、という声と共に鳴り響く轟音。叩き落される絶望の鞭が大地を揺らす。


「間一髪間に合った……」

「試験は中止にゃんよッ!!」


 猫の声が鳴り響く。事態は収拾がつかないところまで来てしまったことを告げた。佐藤の張った結界の後ろで三人は絶望に震えた。鳴り響く絶叫と呼応するように世界を埋め尽くす絶望が暴れ狂っている。


 猫は闇を前に身を屈める。その闇に立ち向かうべく牙を見せた。


「校長、封印を解いた貴方の力では黒崎を殺しかねないッ!」

「……どうするにゃんよ」

「待つしかありません!!」


 だがその牙は威力が強すぎるが為に振るわれなかった。加減を出来なければ黒崎の鼓動を止めかねない。もうすでに黒崎の意識は自我は無いに等しかった。呼びかけても無駄だと分かってしまった。


 だからこそ、佐藤は決断をした。


 ここで黒崎が尽きるのを待つしかないと。


「これはマズイ……」


 山で状況を見ていた富田の声が響く。遠くのグラウンドを闇が包み込んでいっている。白目を剥いている黒崎の体からとめどなく溢れだしている。それは実戦試験中に見せていたものの比ではなかった。


「クソっ!」「獣塚さんッ!」


 状況を理解した獣塚はグラウンドに向かって走り出した。だが富田は分かっている。ここからでは距離が遠すぎる。ここからでは獣塚が走っていっても間に合わない。


 それでも獣塚は走った。


 ——櫻井ッ!!


 少年の無事を願うように。


 他の試験官は絶望に染まったようにただ固まってソレを見ていた。誰もがその絶望の闇を恐れた。どこまでも広がっていく黒い世界。何もかもを破壊するほどに暴れ狂う闇の触手。


 叩きつけられる力の違い。


 それに櫻井は舌打ちをするしかなかった。


「こういうのは……普通、逆だろう……」


 初めて目の当たりにして遅れていた思考が辿り着いた。それは初めての経験だった。状況は理解できた。黒崎が意識を失くし能力が溢れだしている。


 それも制御が効かないほどの領域で漏れ出している。


「弱い方がなるもんだろよ……」


 ため息にも似た言葉を吐きだすのがやっとだった。その現象は追い詰められた時に起きることは学習していた。そして、それは力あるものだけに許された条件。抑えきれない程の才能という能力を持った者だけが許される領域。


 弱かったからこそ櫻井はそのことに淡い期待を抱いたこともあった。どこまでもストイックに自分を追い込んだのだからいつか起きるのではないかと。風呂場で確かに学習していた。


『極限状態による能力の覚醒……暴走……』


 櫻井の前に絶望は終わりを見せなかった。


 広がっていく闇が、この現実が嫌というほどに不条理を叩きつけてくる。


「なんで、テメェが……」


 皮肉にも全身ボロボロの櫻井よりも黒崎がその権利を行使した。精神的に追い詰められていた。殺さなければ倒せない櫻井を前に恐怖が勝ってしまった。これは櫻井が黒崎を極限状態まで追い詰めたが故に起きた事故でしかない。


 能力の『暴走ぼうそう』――。


「暴走なんかしてんだよ……」


 もはや、その『闇』は黒崎の制御を離れ、別の意思で動いている。


 辺り構わずに黒い闇が破壊行動を繰り返している。近くにある校舎を叩きつぶす様に、暴れ来るうねりとなって地を叩きつける黒の触手。


 どこまでも理不尽な現実。才能がないものを押しつぶすような絶望が暴れ狂う。才なき者である櫻井の前で怒り狂っている。弱者の反逆など許さないと。


「さすがに……これはキチィぜ……」


 力の領域が違いすぎる。手も足も出ない。目の前の巨大な闇は絶望そのものだった。どこまでも猛り狂った黒い闇が世界を憎むように暴れ狂っている。


 その前で瀕死の体は動くことを止めた。


 その握られていた拳は開かれ下に落ちて、


 櫻井はただ茫然とその景色を眺めていた。


「ウガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―—―—」


 黒崎の叫び声はずっと続いている。


 櫻井という受験生との戦いで絶望を前に彼は追い詰められすぎた。恐怖に負けた心に能力が勝手に動き出しただけのこと。櫻井という恐怖を振り払うように力を見せつける為に能力チカラは暴走という道を選択した。


「急いでコッチに避難しろ、櫻井はじめッ!!」

 

 佐藤の声が響いた。叩きつけれる闇の力を結界で弾いている。しかし佐藤はその場所から動けなかった。自分が動いてしまえば他の三人の無事を保証することはできない。だからこそ櫻井に向けて指示を出す様に声を上げた。


「櫻井!」「櫻井君!」「櫻井さん!」


 岩城達も佐藤に続いて必死に叫んだ。その声にようやく櫻井は顔を向ける。もう試験を行える事態ではなくなっていた。この状況ではどうすることもできない。生まれ持った素質が違いすぎる。この力の不条理に抗うことは死を意味する。


「早くッ!」


 振り向いた櫻井に向けて桜島が力強く叫んだ。


「避難して来いッ!」


 富島がそこにいてはダメだと声を荒げる。


「コッチにコオォオオイイイイヨォオオオオッ!」


 三人は結界の中で力強く櫻井に向かって手を伸ばした。来てくれたらその手を離さないと願いを込める様に櫻井に向かって意思を示した。その絶望の闇が届かない場所に来いと。


 だが、その手が取られることはなかった。


「なんでだよ……」「なんで笑って……」「こっちに来て、お願いだから……」


 櫻井の行動に佐藤の顔が歪む。


 ——なぜ、こっちに来ないッ……櫻井ハジメェエエエエエエ!


 佐藤の眼から見えた櫻井は、死を受け入れたものが見せる最後の微笑みに視えた。櫻井はただ静かに三人に向かって微笑み、闇のある場所を選んで動かないことを選択した。


 ソッチにはいけないと――。



《つづく》

 

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