第283話 窮鼠《きゅうそ》猫を嚙むにゃん

「大抵のことは、気合と根性でどうにかなるッ!!」


 中指を立てて闘志を目に宿した眼。その愚行は二人のオスをぷはっと笑わせた。


「なに笑ってるんですか、オロチ先生ッ!」

「いえ……噂をすればなんとやらですよ」


 怒る高畑に対して窓の外に目を向けてた、にやけた男は振り向く。その立ち上がる姿はオロチに過去を確かに思い出させた。何度倒しても立ち上がってきた無謀な男。その系譜を感じさせるものが確かに櫻井という受験生にはある。


 だからこそオロチは動きだす。外に向かって歩き出す。


「どこ行くんですか、オロチ先生!」

「ああいうタイプを倒すのは時間がかかるんですよ……」

「はい?」


 高畑は気が気でないからこそ苛立ちをハッキリと表す。すでに死にかけている櫻井のことなどどうでもういいようにオロチは歩き出して向かっていく。今から何をしようとしているかも分からないからこそ、高畑は声を荒げる。


「ちょっとどこ行く気ですか、オロチ先生!!」

「高尾山の管理事務所にひとっ走り行ってきます」

「えっ……」


 すでに時刻は五十分に差し迫ろうとしている。それにオロチは時間がかかるといった。ここを借りられるのはあと十分しかない計算になる。だからこそオロチは動き出した。


 廊下の窓を開けて、片足をかけ、高畑の方に振り向いた。


「延長してきますよ。俺にはアレを黒崎がすぐ倒せるイメージが湧きません」

「それは……どういう……わっぷ!」


 高畑の問いが終わる前にオロチは突風だけ残して姿を空へと消した。高畑は一人教室に取り残される。その手はプルプルと震え、頬は膨れ始めた。


「なんなんですか、もぉおおおおおおお!」


 教室に高畑の声だけが響き渡る。


「校長、笑ってないでいいかげん止めて下さい!」

「にゃはっはっ……すまんだにゃん♪」


 猫はご機嫌だったのに佐藤は顔を顰める。これ以上は無理だと誰かが判断を下さねばならないのに、この猫と来たら横で笑っている始末。その考えが出来ぬが故に怒りの視線をぶつける。


「これ以上の戦闘は危険です! このままじゃあの受験生の命が持ちません!!」

「そうかにゃ……僕にはそうは見えないんだけどにゃーあ……」

「何を言ってるんですか! あの二人の様子を見て分からないんですか!」

「僕にはいま危険にさらされているのは……」


 二人の姿を見て猫は佐藤に状況を伝える。それは猫が見たままだった。


「黒崎君の方に見えるんだけどにゃん」

「えっ……」


 確かに佐藤の言う通り肉体的ダメージでは遥かに櫻井の方が大きいだろう。しかし、いま目に見えてる戦況はそのダメージの状態とは異なっている。この戦闘で顔を歪めているのは誰だ。その眼に闘志を宿しきれていないのはどちらか。


「実力差はあれども、いま恐怖を抱いているのはどちらかというと黒崎君のほうにゃん」


 佐藤は何も言い返さなかった。確かに今ある状況はどちらかというと逆転している。ただ攻撃を受けているだけのはずなのにいつの間にか形勢が逆転し始めている。何一つ状況は変わってなどいない。実力差は歴然であろうとも何かが覆り始めている。


「そんなことって……」

「あるにゃんよ。いま目の前に確かにあるにゃん」


 黒崎の方が闘志が欠けている。黒崎の方が腰を引いている。櫻井の方が前に出ている。鼠が虎を脅かすことなどないはずだった。鼠が虎を脅えさせるなどないはずだった。


 オロチは山の木々を足場にし軽快に管理所を目指した。


 目に留まらぬスピードで駆け抜けていく。


「おもしれぇじゃねぇか……」


 そして、その顔は笑みを浮かべていた。見たものに心を動かさせられた。


 それは関口と戦った時と同じ印象。ヤツが最弱の落験だとは分かっている。だからこそその立ち上がる滑稽な姿に笑わずにはいられない。気合と根性と叫んだあのピエロに期待を込めずにはいられない。


「ソイツを倒すにはちっとばかし骨を折るぞ……黒崎」


 闘ったことがあるタイプだからこそ、その厄介さが分かる。


「ソイツを倒すのに必要なのは痛みとか恐怖じゃねぇ」


 殴っても倒せなかった相手。どうやったら倒せるかが分からなくなる。


「真っ向から殴り合っている内は絶対に倒せねぇ」


 このタイプを倒すには正面から相手をしていたのでは無理なのだ。ソイツは心を折られない限りずっと立ち上がってくる。執念じみた狂気と戦うのに必要なものはその根本を理解することが必要なのだとオロチは理解している。


「死に物狂いになってくる連中は」


 だからこそ、オロチは延長を覚悟する。


「強いからこそ見失うものもあるということにゃん……」


 そして猫も獣だからこそ分かる。小さきものと弱きものと侮る心が苦戦を強いることを。それは違うのだ。圧倒的に違う。気迫が違う。


 遊び半分の虎と命を賭けた鼠では違いすぎるのだ。


窮鼠きゅうそ猫を嚙むにゃん」


 その差が目に宿る光となって表れているに過ぎないということ。恐怖を知らぬものと恐怖を知りながらも闘う者の差。戦うことに込められた意思が違いすぎる。


「けど、櫻井君を何がそこまで奮い立たせるにゃんよ……?」


 見たくなかった。見てしまえば興味が湧いてしまうから。なぜ三葉達が動かされてしまったのか。戦う姿に何を秘めているのか。いったい何と戦っているのか。


 校長は櫻井という生徒へと興味が尽きない。






「どうした……黒崎嘉音。あと二撃だろ?」


 疲弊した櫻井の問いかけに黒崎は拳を慌てて構える。櫻井に聞かれるまで意識が櫻井の気迫に持っていかれていた。能力で作り上げた闇が僅かに震えを帯び始める。


「そうだ……あと二撃しかない。あと二撃でお前は死ぬんだぞ……?」


 脅しのつもりがどこか言葉に勢いが無くなりつつあった。櫻井に恐怖を感じ始めていた。それは櫻井にとっては好都合だった。完全に黒崎の動揺が手に取るようにわかる。


 直接殴られたからこそ黒崎の過去をはっきりと読み取れていた。


「死ぬかどうかわからねぇよ……やってみなきゃな」


 ——そうだ……脅えろ。精神をかき乱せ……。


 櫻井の作戦はずっとソレを待っている。能力はイメージだ。そのイメージが揺らげば威力は落ちる。そのイメージを遮ることが出来れば不発で終わる可能性もある。それでも確実に使われるものがある。


 ——お前が尽きるまで俺は耐え続けてやる。いくらでも耐えてやる。


 それは精神に関係する。能力以外でもそれは消費されていく。精神が乱れればそれは失われていく。そしてソレが尽きた時が櫻井の反撃の時間。耐えるだけしかできない体だからこそ戦闘を持っていけるレベルまで相手を下げる必要がある。


 だからこそ、駆け引きで相手を揺さぶる。


 ——お前がマインドゼロになるまでッ!


 脳の糖分貯蓄量の底が着くのを命を削って待ち続けている。


 黒崎の恐怖を見透かす様に櫻井は殺気を送る。見えない剣が黒崎の恐怖の心を貫く。肌に刺さる様な冷たい剣先が胸元を抉っていく感覚。黒崎の精神にノイズを送り込む。波打つ感情をさらに荒立たせるように。


「ふざけるな……」


 恐怖に負けじと黒崎は拳に力を込める。


「ふざけるなぁアアアアアアアアア!」


 大振りの動きが見える。櫻井は冷静に目で捉える。相手の感情を、その動きを。恐怖に染まった拳と精神と同様に揺らぐ闇の力を。頭を大きく振るって拳へとカウンターを叩きあてる。パンチをガードする為に使われる手法。


 通常であれば、頭蓋骨は拳よりも固いが故に相手の方が拳を痛める。


 ——耐えろ……耐えろォオオオッ!


 だが、力の差で首ごと櫻井は体を持ってかれる。前に出した頭部は拳で後ろに持っていかれる。地に着いていた足はそのままであることを許さないように浮かされ、体ごと吹き飛ばされていく。


 また痛みが襲うが櫻井は変わらずに耐える。


 過去の痛みを思い出しながら、絶望で絶望を塗り替える。


 ——あの時に比べれば……


 『クラウントイボックス』の世界で進藤流花以外にも仲間はいた。年の近い子供で共存していた。ある日、仲間が単独でデスゲームをしてしまった。どうしても許せないことがあったらしく相手の挑発に乗って子供は怒りのままにデスゲームに望んだ。


 ——初めて仲間がデスゲームで死んだ日に比べれば……


 櫻井には止めることもできなかった。気づいたときにはもうゲームは始まってしまっていた。それは罠だった。進藤流花たちのチームを目障りに思うもの達による策略だった。


 ゲームが進むにつれて、仲間の顔が青ざめていく……。


 勝敗が見えてくることで恐怖が浮かび上がる。死が迫ってくる感覚に呼吸を荒げる。その様を相手は見逃さない。相手から何かを耳打ちされたときに仲間は涙を流し始めた。心が折られてしまったのが手に取るようにわかった。


 櫻井は走り出した。仲間が死ぬのを止めるために。


『ダメだよ、はじめ! もうデスゲームが始まちゃってるから私達は介入できない!!』

『離せ、流花ねぇ! いかなきゃ、リョウタがッ!!』

『今更いっても何もできない!! 下手したらペナルティにハジメも巻き込まれちゃう!!』

『クソッ――!!』


 抗えない絶望のルール。視ていることしかできない。始まってしまったデスゲームは終わるまで止めることができない。それは勝者と敗者が決まるまで終わらない。結果が見えてようと最後まで続けなければいけない。死が見えて近づいてくる恐怖を抱えてゲームをしなければならない。


 最後のカードが切られ、敗者が決まる。


 仲間が涙を流しながら櫻井達の方に顔を向けた。


『サク……』


 遠くで情けない泣き顔でその口は自分を呼ぶように動いていた。櫻井は必死にそれを読み取ろうとした。最後に聞こえた。それは仲間の声。


 その想いは櫻井の胸を痛烈に抉る。


『オレ……死にたくねぇよ……』


 進藤流花の制止を振りほどき櫻井は仲間に駆け寄っていく。助けたいと思った。別れたくないと走った。死なせたくないと息を切らした。救いたいと手を伸ばしたがその弱く幼い手は届かなかった。


 櫻井が辿り着く前に敗者への死の清算が始まった。


 部屋に充満していく緑色のガス。仲間の顔が歪んでいく。もうすでに部屋にはあった入出できる場所は閉鎖された。毒ガスを漏らさないように密閉された空間が作られた。


 窓を叩き割ろうと傍にあった椅子で叩きつけるがビクともしない。


 その奥で見える仲間の眼が充血して血管を浮き上がらせる。体はボコボコと沸騰するように形を変えていく。穴という穴から血が流れ出る姿を見ているしかできなかった。


『リョウタッ! リョウタッ!』


 櫻井の窓からの呼びかけに応じる様に毒にやられ床に倒れた仲間は弱弱しくも手を伸ばす。窓に見える櫻井の姿に救いを求めるように。死ぬ間際にその仲間は唇は震えながら何かを告げた。


『サク……お前は……生きて…………』


 それを最後に仲間は動かなくなった。屍となった。命を落とした。もう二度と会話をすることもできない。櫻井は窓の外で絶望した。その横で楽しそうな声がした。自分よりも大きい大人たちが弱者である仲間の死をあざ笑うように景気のイイ音を立てた。


『イェーイ、ちょろいちょろい♪』

『馬鹿だな、ガキは』

『これで当分の飯と寝床には困りそうもねぇな』

『いやー、お前の言う通り楽な勝負で稼げてよかったぜ』


 櫻井の眼はその二人の大人に向けられたまま動かなかった。人が死んでいるのに笑っている連中が信じられなかった。進藤流花が止まっている櫻井のところに慌てて心配そうに駆け寄ってきた。


『流花ねぇ……アイツら……信じらんねぇよ』

『はじめ……?』


 だが遅かった。櫻井は絶望に堕ちていった。


『リョウタが死んだのに……笑って……しやがった』

『えっ……』


 櫻井の弱弱しい声に進藤流花は上手く聞き取れなかった。ただそこにいる二人の大人は勝利を祝うように笑っていた。欺いて人を騙して陥れたのに笑っている。


『アイツら……笑って』


 だからこそ櫻井はその悔しさに歯を食いしばって、


 拳を握り涙を流し怒りを露わにした。


『ハイタッチなんて……しやがったッ!』


 死にたくないという残した友の死を前にその世界は人の狂気を見せつけた。


 ——あの時、リョウタが死んだときに比べれば……。


 体を打ち付ける衝撃など比ではない。あの仲間の死が弄ばれた瞬間に堕ちた絶望に比べたら黒崎から攻撃を受けてようと大したことはない。仲間が死んだ日に櫻井が受けた苦痛に比べれば体が弾き飛ばされようとも。


 ——あの日感じた痛みは四肢が無くなった様な痛みだった。体の大事な部分が無くなるように、心を支えていた大事なものが削られた感覚だった。


 櫻井は地に倒れながらも、過去の痛みと比べ続け力を込めていく。


 ——それに比べたらこんなものは……痛みじゃない……。


 体の神経が危険信号を出そうともその痛みなど比べ物にもならなかった。あの日受けた傷はいまだに癒えない。思い出すたびに自分の無力さを浮き彫りにして心に出来た傷口を開ける。


 ——見えなくて、消えない、絶望の傷の痛みに比べたら……。


 立ちあがる姿に皆が驚くが櫻井自身からすれば当たり前の事でしかない。耐えてきた痛みが違う。見てきた絶望が違う。こんなものを絶望と呼ぶには抵抗がある。


 櫻井に残された絶望の痛みとは比較にもならない。


 ——屁でもねぇッ!


 だからこそ何度でも立ち上がれる。


 黒崎、最強の技の発動まで――残すは一撃のみ。



《つづく》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る