第280話 バーストブリージングのおかげではない

 黒崎の殺意と櫻井の殺意がぶつかり空気が張り詰めた。


 ——これは……もう実戦試験の空気じゃない……。


 その空気にさらされた佐藤は感じ取る。だが動けなかった。本来ならば止めなければいけない。それでもその空気にあてられ正常な判断が動かなかった。


 それは佐藤の想定したものと違いすぎた。だからこそ状況が飲みこめない。


 ——櫻井はじめのステータスは……全てEランク以下だったはずだ。


 確かに三葉達が懇願しに来た際にタブレットで情報は確認した。基礎体力試験の結果に基づくデータには目を通した。そのすべてが最低ランクだったはず。攻撃力も防御力も素早さも俊敏性も持久力も力も、何一つとして秀でてなどいなかった。


 おまけにEランク以下の測定はしていないからこそ、その下もあり得る。


 最下位である人間のステータスなど、あれだけの時間をかけた男のステータスなどたかが知れているはずなのに、目の前の状況はそれを否定するかのように存在している。


 ——どうやって……ここまで黒崎を追い込んだ。


 黒崎の装備は無くなっている。おまけに体に傷が見える。そしてこの状況は黒崎がひっ迫していることを如実に表している。どう考えても不自然だった。不可能なことに近い。あり得るわけがない。


 受験生の最下位が在校生のトップスリーに入る者を追い込むなど。


 ——いったい……お前は何をした……。


 逃げ回っていたわけじゃない。この状況を作り出すために戦っていなければおかしい。櫻井の傷跡はそれを表している。戦闘をこなして落験の試験を四十五分も持たせるなどあるわけがないと。


 ——櫻井はじめ……お前はいったい……。


 その謎は一人の受験生に集約される。最低の底辺であり最弱の男が佐藤の思考を奪う。そこにいる死にかけの存在はいったい何者なのかと。それは校長も同じだった。見てしまったからには目を逸らせない。


「俺の最強の技を持ってお前を殺してやる……」 


 それは黒崎とて同じこと。目の前の正体不明の男から目を離せない。それは憎悪にも近い。いくら退けても執念深くも自分を逃がさない。それは倒れても立ち上がってくる。

 

「あと六撃でお前は死ぬッ!」


 黒崎の両手が黒い闇を纏う。櫻井は瀕死の状態でそれを前にイヤそうな顔で構えをとった。


「剣術だけじゃなくて……体術も使えんのか……テメェは」


 黒崎の能力はどこまでも万能な性能を秘めている。鎧を強化することもでき、剣を生成することもでき、今度は拳に纏う姿に能力の差を感じせざる得ない。中距離攻撃から近接戦闘までこなす才能に悪態の一つも尽きたくなる。


「どんだけチート無双すりゃ気が済むんだ……」

「異世界転生したのならこれぐらいは出来て当然。剣術に比べ武術は少々かじった程度だがな」


 櫻井はそれを聞いてため息をつきたくなる、いろんな意味で。


「武術はかじった程度って……最強はどこいった?」

「六撃当てなきゃ発動しない制限がある技だから使いどころが無いのが問題だ」


 黒崎の手に纏う闇はより一層に勢いと暗黒を増した。


「けど、お前程度なら六発当てること造作もない」

 

 それに対しては櫻井も納得するほかない。


 ——仰る通りで……。


 動けない体で黒崎の動きを躱すことなど出来るはずもない。だからこそ黒崎はこの技を選んだ。発動さえすれば黒崎の中で一番の攻撃力を誇る技を。何よりこれは相手に恐怖を与えるのに適した技だからこそ選んだ。

 

「六発耐えれば地獄だ。しかし、お前が六発いくまで耐えられればの話だがな」

「…………」


 これについても何も言い返す気はない。この瀕死の状態で殴られればどうなるかは目に見えてる。でも打つ手はない。だからこそ櫻井はやぶ医者の言葉を思い出し心の中で気合を入れる。


 ——気合と根性……ッ!


 眼に力を入れて体を硬直させる。ここから櫻井の作戦は始まる。


暗黒武術六道閻魔拳あんこくぶじゅつろくどうえんまけん!」


 黒崎が勢いよく飛び出し能力を纏った拳を打ち込む体勢に入る。櫻井のその動きを視界に捉えている。佐藤たちはその攻防を見守る。櫻井という生徒の隠された力はなんなのかと。その闇を纏った拳は櫻井の顔面に直撃した。


「な――ッ!」 


 佐藤の目の前で攻撃を受けた櫻井の体がゴムまりのように弾丸の速度で吹き飛んだ。黒崎の一撃の威力もあることはわかっている。だが、それを無防備に受けた戦闘能力、何よりその攻撃を受けて校舎の壁まで引き飛ばされる櫻井には驚かずにはいられない。


 ——防御力が低すぎるッ!?


 本来、防御力が高ければ攻撃を受けても動くことはない。それは涼宮強が攻撃を受けているようなものだ。櫻井と銀翔が初めて出会ったときにナイフが弾かれたもの。だがそれらが拮抗すらしていない状態では受けた側の攻撃ダメージは顕著に動作に現れる。


 櫻井の体が吹き飛ばされたように――。


 校舎の壁に激突してコンクリートを砕き激しく体を打ち付けられる姿に佐藤は驚きを隠せない。黒崎の一撃がスゴイというより、この防御力でここまで生き残っていることに驚愕の色を露わにしている。


 ——これじゃあ、一撃で終わりだ……どうやってここまで生き残った!?


 櫻井が受けた衝撃からそれは自明の理だった。このレベルの攻撃を受けて吹っ飛ぶ状態では一撃で終わってもおかしくない。いや、櫻井のステータスでは一撃で終わってなければいけない。


 だが驚く佐藤と対称的に黒崎は戦闘態勢を維持したままだった。


 イヤな予感が続いている。この程度であの狂気を止められる気などしない。


「スーふぅん、スーふぅん――」


 奇怪な音が響いた。特徴的な呼吸音がする。それは倒れている櫻井の呼吸。


 ——全部出し切って耐えろ……イテェ。


 それは銀翔との戦いで見せたシステマ格闘術の呼吸法。バーストブリージング。究極のリラックス状態を作って痛みと緊張を緩和する。傷だらけの体に黒崎の一撃が鋭い電流のような痛みを流すのに耐えている。


 ——歯を食いしばって耐えろ……イテェ。


 バーストブリージングを続けた状態で痛みが流れている体を無理やり起こした。奇妙な技術を使い立ち上がる姿に佐藤は混乱する。その傷だらけの体にあの一撃を受けて立ち上がったことがオカシイ。


 ——なんだ……コイツ……。


 驚愕する佐藤を前に完全に立ち上がって呼吸を元に戻し始めた。満身創痍なはずなのに立ち上がる理由が分からない。立ち上がれる理由が理解できない。


 ——なぜ……あのダメージで立っている、お前は?


 佐藤の体を寒気が襲った。総毛立つ体で困惑した頭で考えるがまとまらない。常識を超えている。実戦試験で起こり得るはずもない。この力の差で立ち上がることなど。


「お前のその顔の黒紋くろもんが六個出来たら、お前は間違いなく死ぬ」

「……っ?」


 黒崎からの言葉に櫻井は自分の頬を見ようとするが視界からその位置は視えなかった。しかし、櫻井の顔には確かに禍々しい闇の紋章が刻み込まれていた。そして、それは冗談でない。櫻井のいまの防御力で黒崎の最強の技を受ければ間違いなく死ぬ。


 しかし、櫻井は死に絶えの顔で嗤って返す。


「じゃあ、それで死ななかったら俺の勝ちでいいよな?」

「どこまでも減らず口を叩くなお前は……」


 黒崎は勢いよく二撃目を櫻井の腹に目掛けて撃ち込みにかかる。どこまでもイラつく相手。その発言は自分に勝つまで止めないと言っている。弱者の癖にどこまでも愚かなソイツが許せないからこそ、力強く拳は振るわれた。


「死ななきゃわからねぇのかッ!」


 櫻井の足が宙に浮く。踏ん張ることすら許されない衝撃。骨は軋みをあげ砕ける音を内部から響かせた。無力な体は宙をクルクルと舞う。キリキリ舞った。それは見ているもの達にも聞こえる程の大きな絶望の音を奏で、地面に頭部から突っ込んだ。


 黒崎は宙に浮かび地に叩きつけらた櫻井に向けて言葉を放つ。


「あと、四撃だ。四発当たれば間違いなくお前は死ぬ……」


 地に叩きつけられた櫻井の頭部から血が流れ出る。血だまりが地面に広がっていく。地に伏せ無様な姿をさらした櫻井に声が上がる。


「櫻井、もういいやめろッ!」


 岩城の声に反応して櫻井の右手がぴくりと動いた。岩城は自分に向けて見せた櫻井の優しさを返すように声を上げる。声をあげずにはいられなかった。


「これ以上やったら死んじまうぞッ!」


 その岩城の声に返ってきたのは答えではなかった。


「スーふぅん、スーふぅん――」


 激しい息遣いで痛みに耐え忍ぶ呼吸音だった。右手で地を掴み立ち上がる姿を見せてくる。止める言葉など聞こえないと言った姿をまざまざと見せる。腹に新たな黒紋をつけてゆっくりとだが確実に立ち上がってくる。


 そこで岩城はまざまざと違いを見せつけられた。

 

 ——お前のどこが落ちこぼれなんだよ……。


 どう見ても瀕死で立てるはずもない。なのに、ヤツは立ち上がる。痛みに耐えて、苦しみもがいて、どこまでも足掻く。自分はその甘い誘惑に負けて敗北を受け入れたが櫻井は違う。聞く態度すら見せない。その眼の闘志は未だに消えない。


 ——お前……バケモンだよ……。


 岩城でも分かる。耐えてる方がオカシイ。どう考えても決着は着く。何時ついてもおかしくない。だが、その終わりが見えない。もはや限界とかそういう問題ではない。


 そには誰もが驚かざる得ない。


 真正面から黒崎の一撃を受けて二発も持っている。実力差は見えるからに明らかなのに苦しみながらも立っている。血だらけの体に荒い呼吸。黒崎以外はバーストブリージングで立ち上がる姿にもはや若干引いてしまっている。


 ——コイツ、あり得ない……痛覚が死んでるのか……。


 佐藤に至ってはドン引きの境地に近い。


 どういう状態なのかも分からない。誰もがこの状態をハッキリと理解できない。


「三撃目ェエエエエッ!」


 黒崎の本気の蹴りが櫻井の左腕を襲う。


「——ッッ!!」


 激痛に歯を食いしばる櫻井の体は容赦なく横に錐揉みしながら飛んで頭部からコンクリートを破壊し粉塵を巻き上げた。瓦礫が音を立てて崩れる。


 確実に死亡コースの一撃。


 誰もが櫻井という男を勘違いしていた。弱さを見せないで立ち上がる姿に勘違いさせられていた。気が狂っているから大丈夫と思われている部分もあった。


 ——イテェ……。


 戦闘経験がない男がそれほどの激痛に耐えられるわけがないのを見失っていた。


 ——イテェ……アバラが折れるってこんなにイテェのかよォオオオッ!


 瓦礫の下で櫻井は黒崎に弱みを見せないように耐えていた。痛覚が無いわけではない。むしろ傷口に塩を塗り込むような行為。傷だらけの体に避けられない攻撃を受け続けているのが痛くないわけがない。


 痛覚はこれでもかというくらいに危険信号を発しているそれは苦痛というよりも激痛。蹴られた左腕がだらーんと力なく垂れ下がっている。


 ——肩外れて……脱臼して、超イテェッ!!


 痛みで眼が血走って充血し飛び出しそうなほどに痛いに決まってる。ダメージの果てが無い。常人だったら激痛で気を失っている。


 ——イテェ、イテェ、イテェイテェ、イテェなんてもんじゃねぇッ!!


 それでも耐えらえれている要因はいくつかある。


 防御態勢を取れているから。それは銀翔が言ったこと。


『来るとわかってるなら防御になるよ。予想外の攻撃を喰らうよりは態勢が整えられてるから防御にもなるんだ』


 ちゃんと黒崎の動きを見逃さずに視ているから攻撃の瞬間に硬直して踏ん張ることが出来ている。それが意識を途切れさすことを許していない要因。予想外の攻撃であれば意識が無くなる可能性がある。来ることが分かっているから歯を食いしばって耐えることが出来る。


「スーふぅん、スーふぅんッ! スーふぅん、スーふぅんッ!!」


 それでも痛み迄は消せるわけではない。もうすでに病院直行を余儀なくされるほどの傷は負っている。それでも立ち上がれる理由はただひとつだけ。今にも悶絶するような痛みに耐えられる理由など……バーストブリージングのおかげではない。


 バーストブリージングはそんな万能なものではない。


 ——耐えろ、耐えろッ!!


 銀翔にトレーニングで容赦なく『やりすぎちゃったかな?』と殴られ続けたからという部分は多少ある。しかし、それはとは別種のもの。学園対抗戦で火神と戦った時もそうだった。この櫻井という男は痛みに強い。


 後にマカダミア最強である涼宮強という男は櫻井はじめの無抵抗に殴られ続ける姿をこう評した。『マカダミアのサンドバッグ』と。だが、櫻井を良く知るマカダミア最強の男はこうも評した。


『殺しても死なないゾンビピエロ。それが櫻井』


 激しい呼吸でリラックス状態へと無理やりと持っていく。左腕が外れた状態で立ち上がって見せる姿に佐藤は眼を見開く。


 ——これが……櫻井はじめッ!??


 特殊な呼吸を使い何度も立ち上がってくる屍。だが佐藤の眼はさらに剥かれることになる。それは愚行に近かった。歯を食いしばって外れた左肩に無理やり右手を当てて力強く動かした。


 ——無理やり肩を入れる気かッ!!


 ガコっと鈍い音がなる。それに佐藤の顔がクシャクシャに歪む。荒い呼吸のみで立ち上がってくる。ソイツは痛みを表現する部分が欠如している。櫻井はそれを弱みとして見せないようにして立ちあがっているが故に驚くほかない。


「…………」


 ——コイツ……歯を食いしばって痛みに悲鳴をあげない。


 一度として櫻井は悲鳴や弱い声を上げていない。それが錯覚を起こさせている。立てるわけがない一撃に呼吸のみで立ち上がる狂人の姿へと変貌させている。


 痛みに耐えていることは分かるが痛みを恐れていないように見える。


 櫻井は左肩の脱臼を直して変わらぬ瞳を黒崎にぶつける。


「あと半分だ……こいよ」


 その言葉に黒崎の顔が歪む。戦闘能力や見える強さからもうすでに倒せている感覚が嫌になる。現実は違う。櫻井という弱者は死にそうになりながらも立ち上がってくる。


 そのゾンビアタックは強者の顔を心を脅かす。


 恐怖を払いのける様に黒崎は櫻井に言葉を返す。


「耐えられるものなら耐えてみろ」


 その言葉に櫻井が考えた作戦そのものを言われたから、櫻井はふっと口角を緩めた。櫻井が見出した作戦の方針に絶対不可欠なもの。攻撃を当てることが出来ない、攻撃を避けることも叶わない動けない体で出来る選択肢は一つだけだった。


 耐えることのみ――それしかなかった。


 サンドバッグになることは覚悟を決めていた。あとは殴られ続けるだけだと理解している。その恐怖に抗うように櫻井は黒崎に告げる。


「テメェの攻撃なんて全然効かねぇんだよ……」


 ——死ぬほどイテェけどな……。


 それは強がり半分である。だけど、真実でもあった。


 ——この程度の痛み、どうってことねぇんだよ。


 

《つづく》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る