第272話 強者である虎は弱者である鼠を知らない

 暗闇に月明かりが射す。


「どこに行った……」


 黒い波動が体中から漏れ出る。能力はイメージによるものだ。彼の体から怒気が溢れ出ているのを体現するかのように闇はその体を包み込む。


 静かな森に枯れ木をへし折るよう足音が響く。


「よくもやってくれたな……」


 殴られて切れた唇の端を手で擦る。痛みがするたびに腹立たしさが沸き立つ。


「俺は手を差し伸べてやったのに……」


 一度、黒崎は櫻井を認めた。それなのにヤツはその手を払いのけるような行為をした。校長に直談判までしてやると言ったのに、あのねずみは虎である自分の尾を踏みつけて逃げ隠れているのが許せない。


 首を左右に回しながらその足跡そくせきを探す様に森をさまよっていく。


「気に食わねぇやろうだ……」


 目が怒りで血走る。顔の血管は怒りを表す様に血流を早く流す。冷静ではいられない。この反逆だけは許しを乞おうとも取り消すことはできない。


 あの一発一発に込められた櫻井という男の意思だけは忘れない。


「殺気なんて込めやがって……」


 最後にはなった連撃の一発一発に確かに込められていた。殴っている瞬間のヤツの眼は自分を殺すかのように突き刺さるほどに冷徹なものだった。


 それは大きなノイズとなって黒崎の精神を乱れさせた。


 あの瞬間に、意図せず能力を使っていた。


 櫻井の殺気は他の勇者達とは違った。本来の殺気の使い方とは異なる。相手を威圧する為に使うはずのものをヤツは一撃一撃攻撃に込めてきたのだ。


「底辺の分際で……弱者の分際で……」

 

 虎である自分を前にして鼠は脅えるどころか尾を踏んでプライドを傷つけて逃げ隠れている。その弱者の反逆を強者は許せないのだ。


「ん……これは」


 視界に入ったものを確かめるためにしゃがみん込んで草を触る。


「血……?」


 わずかに血の跡がある。それもまだ固まっていずに変色もしていないことから真新しいものだとわかる。草から手を離すと反動で血が跳ね返り黒崎の発する闇の中へと吸い込まれた。


 黒崎は首を横に回してその後を探す。


「見つけたぜ……」


 手掛かりは見つかったと立ち上がりその血が射す方へと怒りを闇へと変えて纏いながら黒崎は森の中を突き進んでいく。探し物を導くように着けられた血の跡を追っていく。


 暗闇の森を黒崎の後を追うようにさまよう黒い球体が浮かぶ。それは人の眼の形をした異形の物体。まばたきをしながらもウロウロと浮遊している。


 その視界は水晶玉へとリンクする。


「おい、三葉。櫻井はどこに行ったんだよ!」

「ちょっと、今探してるから!」


 獣塚の声に黙ってろと返す三葉。瞳を閉じて自分の視界の様にその黒い物体を三葉は操る。その黒めの浮遊物体は魔物ではない。三葉の魔法で作られたもの。全員で水晶玉に移る映像をもどかしくも見続ける。


 完全に櫻井を見失っていた。森の中でいくつもの生命の気配がある。それは高尾山に住む昆虫や動物といったもの達。そのひとつひとつは小さくとも数が多い。その中で櫻井だけの気配を見つけるのが困難となっている。


 三葉に焦りが広がる。


 ——どこにいるのよ……櫻井はじめ君。


 広大な山の中で一人の少年を見つけなければいけない。そして、黒皇帝との戦闘に発展した場合に櫻井の敗北はすぐに決まる可能性が高い。だからこそ焦って位置を把握しようとしている。万が一の場合に止めに行かなくてはいけない。


 そして、魔法を使ったことによる別の緊張もあった。


 武田と岩井が目を細めて遠くの校舎を見ながら警戒している。三葉は佐藤なら自分のマナに気づくことはわかっていた。そして、そのせいで撤収を余儀なくされるかもしれないという焦りがあった。佐藤が来ればこれ以上の継続は無理だと判断をしなければならなかったから。


 だが、事態は予想外の展開だった。


「三葉、落ち着いて探していいぞ。佐藤先生は出てきてない」

「ありがとう……武田」

「校長室辺りにいるのが佐藤先生っぽいな……」 

「岩井の言う通りだ……あれが佐藤先生だな」

 

 二人の確認に僅かに安心をしながら黒い眼球を飛ばすことに集中を預ける。佐藤が動かない理由をあれこれ考えるよりも櫻井捜索への意識を集中していく。


「遅いな……」

「櫻井くんどこまで逃げたんだろう……」


 校庭に残された三人は待ちぼうけだった。櫻井の逃走から時間はわずかにしか経っていないがそれでもあの試験官相手に逃げきれているのかという不安がある。


「多分だけど……」

 

 桜島は自分の分身がみた記憶を頼りに言葉を出した。富島が作る分身はその本人へと記憶を引き継ぐ。それは分身体が本体と連動するための機能。


 それが桜島に教えた。


「櫻井さんは」


 だから岩城と富島へと語り掛ける。


「逃げてるわけじゃないと思う」


 それは櫻井の筆跡で書かれたものだった。桜島だけが見たメモ。


「「えっ……?」」


 桜島は不吉な予感に心配そうな顔で夜空を見上げある。櫻井がしようとしていることが何なのかまではそのメモに記されていなかった。そのメモには『穴を掘って、そこにある壺を中に落としてくれ』と下向きの矢印が書かれていただけなのだから。


 黒崎が血の跡を追跡するように進んでいく。次第にその血の跡は大きくなっていっている。急激な運動により傷口が広がったためか徐々に徐々に大きな雫となり後を残している。


 黒崎はわざと威圧するように静かな森に大きな声を張り上げる。


「逃げても無駄だぞ、いつまでも俺から逃げ切れると思うなよッ!」

 

 森が騒がしくなる。黒崎の出す音に脅えて動物たちが森の木々を鳴らす。それでも黒崎は警告を止めずに森の中へと進んでいく。それは櫻井に向けて発せられる言葉。


「何をしても無駄だ、お前がどれだけ足掻こうとも俺が潰してやる!」


 憎しみのこもった声が森を駆け抜けていく。お前の邪魔をしてやると。もはや櫻井を合格させる気など一切ない。むしろヤツの希望を打ち砕いてやると意志を固めている。


「マカダミアが求めているのは才能のある強者だ! お前みたいな弱者など求めていない!!」


 薄ら笑いを浮かべ歩を進めながら黒崎は声を上げていく。その足元に見える出血の量は確実に増えていっている。手傷を追った状態でそう遠くへは逃げられないと踏んでいる。徐々に櫻井へと近づいていっている感覚が黒崎に邪悪な笑みを浮かべさせる。


 そして、それは間違いではない。


「弱者はお呼びじゃないってか……」


 黒崎の声は櫻井の耳にも届いていた。だからこそため息交じりにぼやく。


「お前は弱い、お前には才能がない、お前に実力はない!」 


 黒崎の罵倒に櫻井はため息をつく。安い挑発だ。小ばかにされたから小ばかにし返す様に強者が吠えてるだけだ。それがどうしたと気配を消して静かに時を待っている。


 それでも言い返してこない空気に黒崎は声を張りあげる。


「こんな汚い手を使ってまでマカダミアに入りたかったのかもしれないが、残念だったな、お前じゃ無理だ! お前は落第が確定している落験組に選ばれている!!」


 もう聞き飽きたような情報に櫻井はさらにため息をつく。だが黒崎は興奮して嬉しくてたまらないのか、森に響き渡る様な笑い声を上げた。


「どれだけ足掻こうとも無駄でお前の試験に意味はない! どれだけ必死に逃げても力がないお前ではマカダミアに受かることは百パーセントない!! ここまで俺をコケにして卑怯な戦法をいくつ取ろうとも、お前のやってることは無意味なんだよ!」


 気持ち悪い笑い声に森の木々が騒めく。試験官が口にしていいものではない内容である。ただ黒崎の言ってることもあながち間違っていない。櫻井の落第は決められている。


 もうすでに合格者は出揃っている。


 その事実に反応したのは櫻井でなかった。


「野郎ッ!」


 獣塚が水晶玉をわしづかみにして怒りをぶつけていた。そして三葉が怒りで鼻を顰める。それは他の者も同じ意思だった。


「ちょっと獣塚、私の水晶に手垢つけないでッ!」「わ、わりぃ……けどだってよ。黒崎がムカつくわ……」「二年の分際でコイツは調子にのってんな……やっちまうか、岩井?」「まぁ武田のいうこともわかる。試験官がそれをいっちゃいけねぇだろう……コイツやっちまおうか、武田?」「ふぅー、ちょっと試験官の心得に反するよ。これはマカダミアが秘密にしてる試験制度なんだから軽々しく受験生に言っていいものじゃない!」「めずらしく富田がキレてるな……だが富田の言う通りだ!!」

 

 三葉達の水晶が映し出しているのは櫻井ではなく黒崎だった。櫻井の姿を探すより早く黒崎を見つけたために黒皇帝を追うことに黒い眼球を使っている。


 戦闘に発展する時は二人が出会った時なのだから。

 

「どうした、ビビっちまったのか!? それとも合格できないと知って泣きながらお家にでも帰るのかーい!」


 徐々に徐々に櫻井へと進んでいく黒崎の楽しそうな声。櫻井とて黒崎の言葉は聞こえている。その挑発はしかと耳に届いてるが故に胸の内で疑問を返す。


 ——ビビる……この俺が?


「お前も勇者なら絶望に抗ってみろよ! 卑怯に逃げ回ってばかりいないで、正々堂々かかってこいよ!! その方が負けた時にすっきりするぞ!!」


 ——俺が勇者? 絶望?


「ハァンッ……」

 

 櫻井は思わず鼻で笑ってしまった。挑発が効いてるわけではない。感覚はデスゲーム時代に戻りつつある。表情は無くなっている。それでも黒崎の言っていることが自分とは似ても似つかわしくなくて鼻で笑っただけ。


 ——卑怯だ? 正々堂々だぁ?


 考え方の違いに疑問しか浮かばない。その単語の意味がお互いに違いすぎて理解が及ばない。黒崎とは相容れない存在である櫻井は悟る。


「それともお前はまともに戦闘をしたことがない臆病者なのか!」


 その言葉に明確な違いがあるからこそ櫻井はどこまでも冷酷に感情を殺していく。それが普通の勇者の在り方であると黒崎が語る言葉に虫唾が走る。それが普通の異世界転生なのだと。


 ——俺は勇者なんかじゃない、勘違いだ……臆病者でいい。


 へらへらと笑って拙い挑発を繰り返す勇者に殺意が芽生え始めた。


 ——正々堂々戦って負けてスッキリするなんてものがお前らがいう戦闘なのか。


 どこまでも感情が死んでいく。櫻井の心が冷えていく。それは黒崎とは怒りの質が違う。失望にも似た怒り。


 ——その程度のぬるい世界で生きて、生き抜いて、才能に胡坐をかいて、実力をはき違えて、名誉に狂ってる、お前らが絶望に抗う勇者なのか?


 お前は受からないと言われた。お前のようなヤツは求められていないとヤツは口にした。それは、どうしても少年が行きたいと言ってる門の向こう側にいるヤツが口にした言葉。


 ——そんな生ぬるい世界の絶望ごときに抗ったくらいで、お前らごときが勇者なのか……?


 櫻井からすれば信じがたかった。ソイツが異世界転生のエリートにあたる勇者だという事実が。絶望の質が自分と違いすぎた。だからこそ嫉妬にも近い殺意が湧く。それが自分の行く手を阻むというのなら、なおのこと。


「勝てないからって逃げ隠れて何になる? どれだけ時間を稼いでも何も起こらない! お前は終わりだッ!」


 櫻井の冷徹な殺意にも気づかずにヤツはバカにして嗤っている。それは下手な挑発より櫻井という男の殺意を駆り立てる。勝てないから逃げているなどと勘違いしている馬鹿に邪魔をされているのが腹立たしい。


 ——終わらねぇよ……。


 櫻井の意思が固まる。段々と間抜けに虎は鼠の住処へと近づいて生きている。虎には獰猛な牙がある、鋭い爪がある、力を誇示する強靭な強い肉体がある。


 ——お前如きに俺の道を終わらせられるわけがねぇだろ……。


 それでも鼠は虎を蔑む。その生まれ持った運否天賦の才があろうと。驕り高ぶり鼠を見下す姿勢に反旗を翻す。取るに足らないものと嘲笑うがいいと。


 ——絶望が何かも知らない間抜けに、戦闘ごときとスポーツ感覚で遊でいる腑抜けたヤツに、殺し合いをしてきた俺の道を邪魔させねぇ。


 その体は小さく弱い。牙などない。鋭い爪など持ち合わせていない。どこまでも貧弱で矮小な存在。弱者を体現するかのようなみすぼらしい体。それでも鼠は虎に反旗を翻す。


 虎は気づかない。


 ——逃げ隠れるのが無駄? 浅い考えだ。浅ましく何も見ていない証拠だ。


 鼠の眼に自分が捉えられ殺意を込め淡く輝いていることに。


 ——卑怯? 負けてスッキリなんて言える連中はそうだろうな。


 土台理解し合えない。住む世界が違いすぎる。見て来た世界が違いすぎる。


 ——お前らは負けても死ぬことはないと考えてるからな。


 鼠はどこまでも薄汚い下水のような暗闇の世界を見てきた。


 ——命を狙われることもないから知らないんだろうな、お前は。


 虎はその強さ故に大地を支配し悠々自適に過ごしてきた。


 ——奪われることの怖さを、騙されることの意味を、知らないんだろな。


 その虎が語る絶望など命がけの鼠から見ればクソみたいな世界。


 その男が口にした言葉が許せない。


『お前も勇者なら絶望に抗ってみろよ!』


 簡単にその二文字を使ったことが櫻井には許せない。


 ——お前程度が俺の絶望になる……?


 虎は鼠に負けるなどとは夢にも思わない。生まれ持った資質が違うのだと。そして、その鼠は手負い。血の跡が途切れ血の水たまりが出来ている場所で足を止めた。


「さぁて、炙り出してやるよ」


 近くにいる。姿は見えないがここからそう遠くない位置に鼠という弱者は逃げ隠れていると思って勝利の笑みを浮かべた。それは正しい。鼠は近くにいる。


 だが、鼠は逃げ隠れているのではない。


 ——引きずり込んでやるよ。


 それは虎を引きずり込んだのだ。逃げ隠れているのではない。ずっと待っているのだ。機会を伺っていたのだ、反撃の瞬間の。


 鼠は弱くとも自分の武器を理解している。


 爪などない。牙などない。恵まれた素質などない。


 それでも、鼠は、


 ——俺がお前を本当のってやつにッ!


 噛みつく歯を持っている。


 

《つづく》

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