第270話 なる奴っていうのはなるべくしてなるんだと思います

 脱兎のごとく戦闘場所から離れていく罵倒を吐く櫻井の姿に岩井と武田は頷く。無言でありながらも通じ合っていた。あそこまで姑息な戦法など見たことがない。


 だからこそ、思うのだ。


 ——アイツの実戦試験の相手が俺じゃなくてよかった、と。


 校庭のグラウンドを駆け抜けて、そのまま山の森へと櫻井と鼻息を荒くした試験官は消えていった。取り残された岩城と富島はゆっくりと桜島のいる方へと歩いていった。


「櫻井って……何者なんだよ……」


 岩城が折れた腕を押さえながらも不思議そうに言葉を発する。一部始終を見ていただけに何とも言えない。富島もどこか気が抜けた声で返す。


「忍者の末裔かなんかじゃない」

 

 投げやりな富島の言葉になんとなく納得を示す桜島も疲れて座り込んだまま会話を続ける。


「櫻井さんみたいな口が悪い人に出会ったことなかったよ」


 その挑発は一般人とは違う口汚さ。日常で中々あそこまで人を小ばかにするやつはいない。だがそれだけではない。岩城と富島はさらに続ける。


「口だけじゃなく手癖もワリィよ、アイツは」「おまけに足癖もね」「どちらかというと、櫻井さんのほうが悪役っぽかったよね」


 いきなりの騙し打ちで殴る蹴る。後ろから飛び蹴りは中々の見ごたえだった。あそこまでやる奴は普通にいない。普通にいても堪らない。しかも相手は上級生で試験官であるにも関わらずやりたい放題で卑怯の限りを尽くしている。


「「「プッ、ハッハッハッ!」」」


 三人は自分たちの口の悪さに笑ってしまった。疲れ切った体が笑って揺れて痛みを発する。それでも微笑みを向けて櫻井が逃亡をした後を視線で見つめた。


「櫻井は一人で勝てるのかな?」

「岩城、僕たちはもうリタイアしたから手は貸せないよ」

「アイツ、俺にやめろって言った癖に……一人で続けやがって」 


 どこか寂しそうに岩城は唇を尖らせた。出来れば一緒に戦いたかった。それは富島も同じ思い。けど、富島はなんとなく理解している。


「全部が上手くいったのにダメだったから、櫻井君は決断したんだと思う」

「「決断?」」

「一人で戦い続けることを決断したんだよ……」


 その富島の言葉に岩城が鼻でため息をついた地面に座り込んだ。桜島も杖を下に置いた。そう選択した理由は三人とも分かっている。


「櫻井さん、最初に勝てる確率なんていうのは1%も無いって言ってたよね」

「四人で1%もないのに……櫻井のやつ、どうすんだよ……」

「それでも彼は一人でも戦い続けるんじゃないかな……」


 岩城は悔しさをぶつけるように地面を強く叩いた。


「俺達のこと見透かしやがって……」


 分かってしまった。あの、全員が力を合わせた攻撃が失敗した瞬間に自分達の心が折れたのを櫻井は見抜いたのだと。だからこそ、指揮官は切り離す決断をせざる得なかったのだと。


「お前が一番の落ちこぼれなわけねぇだろ……」


 岩城の下を向いた悔しそうな表情に二人は悲しい顔を向ける。一番戦闘に向いていない能力。それでもただ一人で挑んでいくその姿が羨ましいとすら思える。恐怖や絶望を前に自分たちを気遣った指揮官の心など全ては分からない。


「一人で戦うお前が……落ちこぼれなわけねぇだろ……」


 それでも、一人での戦いを選んだ心細い寂しさはあるのだろうと想像ぐらいはできる。それでもヤツは嗤っていた。その孤独と絶望と戦う強さがあることが分かってしまっているが故に願うのだ。


「勝てよ……櫻井」


 それは彼ら落験組にとっての光のような存在。それは無理難題であるとしても希望を込めて彼らは指揮官の勝利を願うように夜空の星を見上げる。


「おい、どうすんだよ? 櫻井のやつ姿が見えなくなっちまったぞ……」


 獣塚たちの視界から完全に櫻井は消えてしまった。グラウンド全体が見渡せる位置取りは出来ているがまさか山の中に逃げ込むとは思ってもみなかった。というか、戦闘中に逃げる受験生など想定外である。


 獣塚は鼻から嘆息を吐いて眉を顰める。


「まぁ、このまま逃げ続ければタイムアップでアイツの勝利か」


 その言葉を聞いて全員が目を細めた。


「岩井……アイツ、まさかな」「武田……奴ならやりかねないと俺は思う」「富田、どう思う?」「さすがに……それが狙いだったらビックリするけど」「わしにはわからん」


 正に奴が捨て台詞を吐いたものが体現されようとしているのかと。逃げるが勝ち。二十四時まで逃げ切れば強制的にタイムアップを迎える。それでヤツは勝利したも同然。


 ただ誰しもが脳裏で考えてしまう。あの卑怯な手段の数々。相手を騙し打ちして飛び蹴りや右ストレート、終いには顔面に膝蹴りまで当て逃げする始末。


 おまけに騙す戦法を得意としている奴なら――やりかねないと。


「それは無いと思う……」


 三葉の弱弱しい声に皆が「えっ?」と顔を向けた。一人だけ違う意見なのかと思いきや横で双子の一葉も同意見というような態度をとっている。


「もし、最初からそれを条件としているなら四人で散り散りに逃げ回る様な戦術を取る様な子だと……私は思う」

「そうだよね、三葉。私も生意気なあの子が素直に戦うことなんてしない気がする」


 「なるほど」と満場一致の答えが返ってきた。だが、どこかその答えを出している双子の顔がやけに曇っている。何かもっとイヤな予感がするという様な雰囲気を醸し出している。


「三葉、まさかとは……思うんだけど」

「かずねぇも……」


 二人が何を話しているのか全員で首を傾げた。二人はお互いの答えを合わせをしているように見える。しかもそれは都合の悪い答えのように伺える。だから三葉は首を傾げる全員に向けた半信半疑の答えを告げる。


「あの子……試験官を倒すつもりでやってるんだと思う……」


 誰もが「はぁーあ?」となった。言わずもがな櫻井は当初よりそのつもりである。それぐらいしなければ合格などしないと思っている。おまけに時間制限があることを知らないのが為にそれしか手段がないと思い込んでいる。


 武田と岩井がそんなことはないと言いたげに問い返す。


「いや、いや、三葉さん?」「何を言ってるんだ、三葉さん?」


 それに続いて僧侶軍団もまさかねと言わんばかりに言葉を並べ立てる。


「三葉さん……相手の試験官は黒皇帝の黒崎君だよ」「三葉いくらなんでも……学園対抗戦出てんだぜ、アイツ」「いくらなんでも……身の程知らずに程があるだろ!?」


 最後の名も無き僧侶の発言が全員の頭に雷を落とした。いま話の中心にいる対象人物は身の程知らずの極致。何をやらかすかわからない危険人物。


 満場一致の答えが夜空に浮かぶ。


 ——櫻井アイツならやりかねんッ!


 考えかねないと誰もが冷や汗をかく。


「おい、どうやんだよ岩井!?」「わかるかッ!」「富田だったらどうやって倒す!」「獣塚さん無茶ぶりもいい所だよッ!!」「無謀にもほどがある……」

 

 試験官たちは大騒ぎになった。時間制限だったらまだしも試験官を倒すなど条件が厳しすぎる。出来るはずがない。おまけに櫻井の能力的にも不可能である。


 獣塚が慌てて三葉の肩を強く握った。


「魔法で櫻井がどこにいるのか映し出せッ!」

「えっ……無理だよ! そんなことやったら佐藤先生に見つかっちゃうよ!」


 魔法で遠くの景色を覗くことは出来なくもないが、やればマナを使うために教職者の佐藤に見つかるリスクが大であると三葉は反論する。ならばと、獣塚は声を張り上げる。


「アタシに無理やりやらされたって言えばいい!!」

「この時間にここに居る私も同罪は免れないよッ!」


 三葉と獣塚が口論する横で一葉が飛び出した。


「三葉、お願い!」「かずねぇ……!?」「三葉さん、彼が殺されるかもしれない!」「富田君……」「アイツが死んだら三葉のせいだ……」「ちょっと獣塚、言い方ッ!?」


 全てが魔法使いの肩にかかり始めた。その無謀な挑戦はどこまでも危うい。命を捨てるように受験に挑んでる櫻井がどんな手段を取るかも分からないこそ皆が焦る。


 みんなの強い視線が一人の魔法使いに注がれる。


「あぁー、もう分かったわよ!!」


 それは校長室にいる佐藤にものの見事に察知される。


「アイツら……まだ残ってるのか……」


 佐藤はマナの気配で感づいた。


 彼らの要望も組んでの実戦試験の遅延だったが為に試験官たちには帰宅を命じていた。櫻井に肩入れしている試験官たちが余計な手出しをする可能性を考慮しての施策だったのにも関わらず、それは破られていた。


 試験官たちだと分かったのにも理由はある。なぜなら、いま学校で魔法を使うものはいないからだ。それにグラウンドの試験を校長室の窓から見ていたが故にハッキリと存在が分かってしまった。


 今しがた、櫻井が山の中に逃走した場面もちゃんと確認している。


 佐藤は生徒達の裏切りにため息をつきながら後ろを振り返った。


「校長、そろそろ試験開始から二十五分になりますが、試験をに行かれなくていいのですか?」


 校長は窓とは反対側を向いて机に座っている。


「みにゃにゅ、きかにゃにゅ、いわにゃにゅ、にゃんよ……」


 自分の耳を器用に前足で押さえて音を遮断している。校長は見ることを頑なに断っていた。視てしまえば情が沸いてしまう可能性があると懸念し断固として櫻井の試験は見ないと意固地になっている。


 それを見て佐藤はまた大きくため息をついた。


 それを言うなら猿だと。日光にあるのは眠り猫であると。


「こんな状態でどうなることやら……」


 異例の落験の時間。二十五分まで持たせたことは驚異の他ない。普通であれば十分も持たない。これだけ持つことが異常なのにその受験生は逃亡中であり、まだ時間はかかりそうである。


 おまけに生徒はいうことを聞かないし、判断を下した最高権力者はこの状態。


 佐藤の肩にかかる荷は重い。


「試験時間が四十分を過ぎるようであれば無理やり連れていきますので、校長覚悟しておいてください」


 途中で終わりの判断を下せるのは校長だけである。だからこそ佐藤は決めたのだ。そこがこの逃亡劇のタイムリミットであると。だが頑なに猫は耳を押さえていた。


「高畑先生、すいません遅くなりました」

「どこ行ってたんですか……」


 試験の片づけで机などの備品が無いもぬけの教室。タイルの上に女性座りした高畑の前にラフな格好の教師が現れた。高畑はその人物の姿に若干の怒りを込めて眉を顰めている。


「山田先生」

「ちょっと買い出しに手間取いまして」


 オロチの言い訳にも高畑の怒気は収まらない。その両手に持っている紙袋が如実にオロチがどこに行っていたかを語っている。


「紙袋で渡してくるスーパーなんて変わったところがこの時代にあるんですか?」

「今時、めずらしいですよね。プラゴミより紙の方が再生が効くからエコなんですかねー」

「紙袋に英語でスーパーじゃなくて、パーラーって書いてあるように私には見えるんですけど……」

「フルーツパーラーもやってたのか……あそこのスーパー」

「スーパーなのに丸い球のキャラクターとは不思議ですね!」

「スイカくんって名前かな?」

「キャラクター名がピーちゃんって書いてあります」

「スイカのピーちゃんか……結構かわいいですね!」

「どこからどう見てもパチンコ玉のピーちゃんです!!」


 高畑の鋭い観察眼によりオロチのサボりが発覚した。試験時間が異例の二十三時開始ということもあり待機時間が長いが故にオロチは下のパチンコ屋まで出勤していたのである。


 それを高畑は見抜いていた。


 一人仕事を押し付けられておまけに好調だったのか景品を買い物袋に入れて笑顔で帰って来れば文句の一つや二つも言いたくなる。不貞腐れている高畑にオロチはヘコヘコと頭を下げて紙袋を漁り景品を差し出す。


「これで勘弁して下さい」

「ジュース一本で私は誤魔化されません!」


 ふんっと、不貞腐れながらも高畑はジュースを受け取る。その高畑の膝の上に箱が乗せられた。


「これもつけるんで勘弁してください」

「もう……」


 それは単なるチョコレートのお菓子だったがオロチの笑顔にほだされて唇を尖らせた。怒っても飄々と流されるだけで無駄だと高畑は諦めた。


 二人の仕事は後片付けである。


 高尾山にマカダミアの校舎を模したものを受験用に設置したが翌日には高尾山には元通りにして返却しなければいけないために二人は残っている。オロチが残されているのは校舎の解体作業の為。


 仕事としては当たり前だが残業などしたくもない男はぼやく。


「それにしても試験長いっすね……早く終わんねぇかな」

「頑張ってる子がいるんです……そういうこと言わないでください」


 オロチの発言に高畑は頬を膨らませる。職業的にオロチは先輩にあたるが佐藤よりも高畑は気遣いなくオロチに接している。そして怒りは継続されている。


「オロチ先生はなんで教師なんかやられてるんですか?」


 その質問にオロチは目を丸くした。元はブラックユーモラスにいた。その実力は今も変わらない。マカダミアで教師をやる人材でもない。むしろ教職者としては態度が些か悪い。別にそこに情熱や憧れがあったわけでもない。


 でも、オロチは答える。


「色々あって、なんでか教師をやってます」


 どこか何か遠い日を思い出す様にオロチは天井を見上げて答えを返した。高畑もその姿にちょっと質問が意地悪過ぎたと自責の念に駆られる。簡単に触れてはいけないことだと空気が語っていた。


 話題を変えようと高畑は待っていた間に考えてたことを問いかける。


「お強いオロチ先生に質問です」

「質問どうぞ」

「実力や才能も無い人間が実力や才能がある人間に勝つには何が必要なんですか?」


 高畑の問いにオロチは少し考えるような素振りを見せてから口を開く。


「俺は昔から喧嘩ばっかりしてたんですが」

「知ってます」

「えっ?」

「話を続けてください」


 高畑の言葉に頭をかきながらも言われるがままにオロチは話を続けた。それはオロチが実体験したこと。喧嘩の才能であればピカイチだったオロチの話。


 昔の記憶の話。


「俺は昔から敵なしで、ソイツは喧嘩は弱いやつだったんですけど、ソイツとの喧嘩だけは苦手でした」

「どんな人だったんですか……その人は」

「とにかく根性があるやつでした」


 その喧嘩を思い出しながら懐かしさに唇をほころばせるオロチの横顔を高畑は見つめて話を聞く。


「弱いから何度でも倒せるんですけど、何度でも立ち上がってくる奴で」

「……」

「パンチはとろいし動きも反射神経も鈍い癖に倒せねぇんですよ」

「その人はオロチさんに勝ったんですか?」

「俺は負けてはいないけど……俺が途中で喧嘩をやめちまいしました」

「なんでですか?」


 オロチは鼻で笑って答えを返す。


「面白れぇ奴だと思ったからです」

「えっ……」


 常人であればその思考は分からないのかもしれない。それでもオロチ達にとってそれは重要なことだった。


「何度倒しても気合と根性だぁああって、立ち上がってくるアホみたいなやつでしたからね。笑っちまって俺の喧嘩する気が失せました」

「それのどこが私の質問の答えなんですか?」

「才能とか実力よりも、大事なもんがあるってことですよ」


 オロチはその人物がどうなったかを良く知っている。


「ソイツはバカでしたけど有言実行しました」

「喧嘩で……強くなったんですか?」

「違います。ソイツはバカで不良だった癖に気合と根性だけで」


 オロチはニカッと笑って高畑にその友人を誇った。


「今では立派に医者をやってるんですよ」

「……そうですか」


 高畑もどこかオロチにつられて微笑みを浮かべた。


「才能とか実力とかわからんですけど、なる奴っていうのはなるべくしてなるんだと思います。アイツは底抜けにバカで優しいやつだったから」

「それは」


 オロチの満足げな言葉に高畑は瞳を閉じて溜めてから答えを返した。


「素敵なお友達ですね」

「えぇ」


 高畑の優しい声色にオロチも微笑みを天に向ける。


「元不良の関口もといいセッキーっていう、ヤブ医者の話です」


 その友の事を思い出しながら。



《つづく》

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