第219話 ピエロ過去編 —その音がどこまでも綺麗な音だったから―

 絶望の色はと聞かれたら――


 誰もが『黒』と答えるだろう。


 真っ黒な世界。黒い怨念たちに全身を掴まれ俺はどこまでも闇に落ちていく。体中を黒い腕が覆いやつらが俺を引きずり込んでいく。お前も死ねとお前も苦しめと。最初は視界に薄ぼやけた光が見えていたがそこは光が届かない底へと向かっていく。


 抵抗する力もなく全身はやつらの色に染まり、呼吸するのもうまく出来ず、まるで底なし沼に落ちた様に俺は闇に溺れていく。


 どこまでも――


 どこまでも深く――


 息が出来ず苦しみ、身動きが取れずに抗う力を失くして落ちていく。黒い色が変わっていく。こんなに違いがあるのかと思うほどに変わっている。それは同じ黒色なのに。


 どんどん暗くなる――


 どんどん落ちるほどに色濃くなる――


 どんどん深淵に近づいていく――


 目を閉じた暗闇とはそれは違う。恐怖を起こす様に漆黒で光を喰らってしまうような暗黒で底なしの深淵。それでも終わりがない。まだまだ先があるというようにより、黒く染まっていく。何もかもが不鮮明になっていく。


 俺の持てる全ての存在も命も意思も――


 全てが黒く飲み込まれていく。


 視界の境界はない。光の無い宇宙のような空間。だが落ちていく感覚だけはある。下に下にと体が引きずり込まれて沈んでいく。落ちていくのが怖いと感じる。けどそれもいつかは消えるんだろう。この何もかもを飲み込みそうなほど黒い世界で俺は無くなる気がする。


 この恐怖も苦しみもいずれ――


 俺と一緒に消えるのだろう……



◆ ◆ ◆ ◆



 いつの間にか桜が咲く季節が到来した。


 私はあれから毎日のように早く帰り仕事後の時間をすべて彼に使っていた。仕事中も合間に式神からの伝心を貰って彼がいつ起き上がってトイレに走っていったかをメモしたり、念波を送って式神の視界ジャックをして動向をチェックしていた。


 本業より熱心に取り組んでいるストーカー行為。仕事は若干溜まってきているがそんなものは彼の事に比べたら些細なことだ。私にとって今一番大事なことは彼を救うことなのだから。


「あの銀翔さん……何をそんなに真剣に考えてらっしゃるのですか?」

「うん……いやちょっとね。家の様子が気になってね……」

「ご自宅を気にされているのは、どうしてですか?」

「家にいるあの子がどうなっているか……てっ! 杉崎さん、いつからそこに!?」


 私が驚くと若干ビクッと震えた杉崎さん。式神の目を通して視界ジャックで自宅を覗いてるときに話しかけられていたから素で答えってしまった!?


 私が変なことを口にしてしまったと手で口を覆うと、


「お家にいるあの……ですぅゕ……」

「えっ?」


 なぜか杉崎さんが消え入りそうな声で瞳をウルウルさせている。私は慌てて天井のあちこちに目配せをした。花粉でも飛んでいるのだろうか。確かに春一番で花粉症の人には辛い季節なのかもしれないが。目をムズかゆそうにして涙が出てるし、おまけにクシャミを我慢しているせいか声が消え入りそうだし。


 花粉はどっからか入ってくるのだろうか? 細かい微粒子だから換気口とからなのかな? ちなみに私は花粉症ではないので何も感じることはできないのだが……花粉が滞留しているのだろうか。


「ヨドバシカメラで空気清浄機買ってきたほうがいいかな?」

「……」


 あれ……杉崎さんが押し黙っている……。


 くしゃみがそろそろ出そうなのかな。必死に堪えて唇を噛みしめている。我慢しなくてもいいのに。手で押さえてくれれば別に目の前でされても気にしないのに。体をプルプル震わせてまるで雨に濡れた子犬のようだ。


「そんなことより仕事をしてください!」

「ハイ!」


 彼女はクシャミの代わりに大声を出して扉を激しく閉めて出ていった。怒られてしまった。仕事中に自宅の様子を覗いていたのがバレたのだろうか。それとも机に溜まっている書類の束に怒ったのだろうか。


 怒られて仕方なく書類に目を通し判子を押していくが、どうしても彼の事を考えてしまう。頭の片隅に残るセッキーの助言。


『銀ちゃんが居ない時にコイツは動いてる。なんでそんなことをするのかだ。銀ちゃんに見られたくない理由が何かしらあるんだ。無意識だからこそそこに何かしらの答えが必ずある』


 式神を通してみる映像で彼は確かに動いていた。多い時に三回、少なくとも一回は必ずトイレに駆け込んで吐いている。そして落ち着くと布団の上に戻り天井のシミでも数えるように眺めてしばらく腕を強くぼりぼりと掻いている。しばらくすると彼は布団に包まり眠りにつくのが日常。


 私に見せられない理由とはなんなんだろう――


 どうして私がいるときに吐かないのだろう。


 それを見られると何か不味いことがあるのだろうか……


 彼にとって不都合な何かが。


「不都合……?」


 首を傾げるが頭の中で何かがわずかにひっかかり、わずかに過る。顎を押さえ私はそれを掴もうと考え込む。思考を深く巡らす。


 何もしない、心を閉ざした、彼にとって不都合なんてものはこの世にあるのだろうか。外の世界に反応を示さない彼が唯一する不可解な行動に無意識の何かがあるはずなんだ。考えろ……意識的に動けないからこそ彼が不自然に行ってしまうものがある。


 死にたい彼にとっての最大の不都合とはなんだ……っ!


「あっ!」


 天啓にも似た答えが落ちてきたのに思わず声をあげてしまった。答えを掴んだ私は静かに席を立ち上がって窓の外を見る。自分の家がある方角を強い眼差しで見通す。


「そうか……そういうことか!」

 

 どうして隠そうとするのかやっとわかった。どうして誰にも見られずにそんなことをするのか。殺して欲しいと願った彼からの隠されたメッセージ。これは希望だ。この答えには僅かだが可能性はある。辿りついた答えを否定しきれない。


「死にたいなんて嘘だ……本当は――」


 それが答えだ。彼は自分の裏切りを認めたくないのだ。知られたくないのだ。


「生きたいんだろう、君は」


 嘔吐を繰り返すのは、彼の心が死にたがっていたとしても彼の体は生きようと抗っている証拠だ。絶望をすべてを吐き出そうと体は抗っているのだ。それを彼は私に知られたくないのだ。自分が死ななきゃいけない存在だと思い込みたいから無意識のうちに私を避けていたのだ。


 その生きようとする行為を見られると不味いと思ったのだ。


 それは彼にとって――


 矛盾であり不合理に当たるから、なのだ。

 

 死にたいと願いつつも生きるために戦ってしまっている姿を見られてはいけないと。それを見られれば助けられてしまうから。


 思わず私はほくそ笑んだ。


「そういうことなんだね……助けるから」


 自宅に向かって私は勝利宣言をする。


「必ず助けるからッ!」


 彼も本当はそう望んでいるとわかって自然と目に力が入った。声に自信が乗った。やる気が漲ってきた。殺して欲しいという願いの裏に本当は救いを求めているのならば、私が必ず救うよ。その時もそうだったのだ。本当は彼らは殺して欲しかったんじゃないんだ。


 救われたかったんだ――



 私はその日も仕事をある程度で切り上げ、自宅に帰り彼の世話をする。やることはいつもと変わらないのかもしれない。それでも彼が望んでいればきっといつかと願って続ける覚悟を心に灯して。



◆ ◆ ◆ ◆



 何も見えない世界で遠くから音が鳴っている。耳がそれを捉えた。


 視覚も触覚も知覚も味覚もない世界で、俺は聴覚をすませる。


 その音色は優しく何かを訴える。俺の頭にイメージが流れ込んでくる。


 そこは絶望の景色だった――


 薄暗い洞穴に十代の若い男女が閉じ込められていた。全員が見慣れない白装束を着ていた。俺の視界が勝手に動いた。誰かの目を通して見ている様な感覚。ソイツが目線を左右に動かすと俺に見える景色も同じように変わった。


 そうか……これは誰かの世界。


 なんとなくわかった。この景色は俺の物じゃないと。目に映る自身の長髪黒髪からもそれは読み取れた。他の誰かが見ている景色なのだ。薄暗い洞穴は出口が塞がれていて蝋燭ろうそくだけが無造作にたくさん置かれていた。


 なぜだかわからないがわかった。


 来たるべき『六災ろくさい


 という大きな災いに備えてコイツらは閉じ込められたのだと。


 そしてこれは『六災』に対抗すべく、


 『最強の陰陽師』を作るための試練なのだということが。


 最初は誰もが協力してこの窮地を脱そうと意気込んでいた。蝋燭に指で火をつけて灯りをともし寒い洞穴で寒さに負けないように身を集めて固まっていた。みんながまだ笑っていられたのはこの時だけだった。


 それは突如として起こり始めた――


 仲間の一人がうめき声を上げて倒れ仲間達が駆け寄っていく。その男に近寄った仲間が血しぶきを上げた。何かに半身を切り裂かれた。洞穴の壁に夥しい出血が舞い飛び仲間達の悲鳴が上がる。何が起きたかと立ち上がる景色。うめき声を上げたヤツを見ながら視界が揺れる。


 何が起きてるか信じられなかったのだろう――


 それは人の形を止めつつあった。左半身が肉の塊の様に大きく肥大して、皮膚がなくなっている。剥き出しの肉体に赤と青の線が浮かび上がっている。動脈と静脈が肥大して外側に漏れている。人と呼ぶには醜く左半分の皮膚が無くなり膨張している。


 瞼も無く眼球が剥き出しになっている左目と人間である右目。右しか動かせないように男は泣きながら顔を歪めて言葉を口にした。


『殺して……くれ』

 

 と。


 視界が段々とソイツに近づいていく。男の右腕が引かれていく感覚が襲う。変わってしまった仲間を前に俺は何かを呟きながら右腕を突き刺した。一突きだった。狙いすましたかのように膨張した左胸の心臓を貫く感触があった。抜いた右手が震えている。殺してしまったと懺悔しているように喚くように震えている。


 俺は何かを叫んだ。恐らくそれは言葉にならない声。感覚でわかる。腹の底から何かを壊したいと叫んだ声。


 だが、それでも絶望は終わらなかった。


 時間が経つごとに仲間が同じように化け物へと変わっていく。止めなければ仲間が殺されてしまう。膨張した体は本人の意思ではなく人を殺そうと動いているようだった。それを辛うじて残された人間の部分が抑えているように見えた。


 そして、やつらは俺に向けて願うのだ。


『殺してくれ』


 仲間だった者達は救いを求めるように願うのだ。


『殺してくれ』


 その度に殺してやった。それが仲間への救いになると思って。泣きながら右腕で心臓を刺し貫く。繰り返していき段々と減っていく仲間達。次は誰がなると脅えて日々を過ごす。途中で洞穴の出口を探すが塞がれていた。大きな岩で入ってきたであろう道は完全に塞がれていて脱出が出来なかった。


 地獄はつづく。


『殺してくれ』


 次々と男と女たちが願ってくる。化け物になってしまったのは弱いからだと。だから強いお前が殺してくれと。俺達が人間でいる間にと。


『殺してくれ』


 クソったれな願いだ! なんで俺が何度も殺さなきゃいけない!!


 なんで……


 俺が殺されないんだ……


 殺す度に苦しいんだ。涙を流しながら殺す俺の身にもなれよ! 勝手に終わりを願うなよッ!! 勝手に終わりにするなよッ! 俺にお前らを救う役目を押し付けるなよッ!!


 まるでソイツの声と俺の心の声が重なるようだった。殺したくなんてなかったんだ。けど、どうしようもなかったんだ。だってそうしなければ……いけなかったから。誰も救われなかったから。


 胸が張り裂けそうなくらいに苦しい。叫んでも叫んでも悪夢は終わらない。笑い合っていた最初が嘘だった。こっちが本当の世界だった。残酷で救いなどなくて絶望に染まっていくことしかないのが世界だ。


 こんな地獄がいつまで続くんだ。終わりにしてくれ。俺の番はいつなんだ!


 洞穴で何日がたったかもわからない。気づくと仲間の死体が山の様になっていた。最初に殺した者の体からウジ虫が湧きだしていた。俺の視界に映る黒い髪は白くなっていた。救いなどない世界で色が奪われるように真っ白に。


 泣きながら救いを求める少女を


『殺して……』


 右手で貫いて涙を流す。気づけばそれで俺が最後の一人になった。悪夢は終わった。どこまでも続く地獄が終わった。力なく膝をついた。男は洞穴の天井に向かって叫んだ。どうしよもない想いを吐き出す様に泣きじゃくるように喚き叫び続けた。


 その男の心の声が流れ込んだきた。


『僕は殺したかったんじゃない――』


 泣きそうになりそうな心の声で本心をさらけ出した。心で誰にも届かないのに泣いていたんだ。そうだ。俺もそうだったんだ。彼女ヒロインを殺したかったんじゃない。


 俺は命を賭けてでも


『僕は救いたかったんだ……』

 

 救いたかったんだ……。


 俺とその男は


 か細い悲痛な声で願うように泣いていたんだ――







 その男の顔が俺の前に映っていた。白を通り越して銀色の髪で大きくなったその男が。優しそうな顔をして俺をテーブル越しに見つめていた。絶望に負けて泣きじゃくっていた男は大きく大人に成長していた。


 そうか、触ったから流れ込んできたのか……俺の能力で。


「銀翔……」

「えっ、今なんて!?」


 男は記憶で仲間から呼ばれていた名前を呼ぶとびっくりした顔を浮かべてた。まるでこの世の終わりと言ったように目を大きく目を見開きバカっぽい顔を浮かべている。それでわかった。


 やっぱりコイツだ、俺と同じ地獄を味わっていた男は――


 俺はぶっきらぼうに今の状態を口を開いて伝える。


「腹減った」

「わかった……よ! 何食べる? なんでもいいよ。好きなものを言ってごらん!!」


 すると男は慌てた様子でまるで親戚のおじさんみたいに気を使っている。思わずにやけそうになる。コイツは生き抜いたのか。あの地獄から、あの絶望を味わってもなお生きていたのか。


「……パン」

「パンだね、わかったよ!」 


 男は満面な笑みを浮かべてうんうんと頷いて、コートに手を掛けて慌てて一目散に外に出かけていく。一人残された俺は天井を見つめてボソッと呟いた。


「なんなんだよ……アイツ」


 とんでもない奴だ、あの銀髪は。


 俺が殺そうとした相手なのに、俺が殺して欲しいと願った相手なのに。


「バカなんじゃねぇ……の」


 上を向いてる顔の頬に自然と涙がつたった。あまりのバカさにあまりの愚かしさに、そしてあまりの優しさに。


 俺には能力があるからわかる。


 絶望という深淵の暗闇で音を奏でていたのはアイツだ。あの泣きそうなくらい優しい綺麗な音色を出したのはあの男だって。それは俺にだけしか聞こえない心の音だから。


 間違いなく俺に触り続けていたアイツの音だ。


 ずっと俺を――


 『救いたい』ってアイツはアホみたいに音を鳴らし続けていたんだ。


 俺にしか聞こえないその終わりなく鳴り続ける音があまりにも綺麗な音だったから、暗闇から俺は目を覚ましたんだ。


 心から願うような『本音』で、底抜けにどこまでも綺麗な音色だったから悪夢から覚めちまったんだ。



◆ ◆ ◆ ◆



 私は走ってコンビニまで行った。彼が願ったのだ。食べたいと願ったのだ。興奮で頭がおかしくなりそうだった。無表情な彼だったがそれでも嬉しくてたまらなかった。彼が意思を願いを伝えてきたのだ。


 この私に!


「全部、全部持ってくから!」


 私はカゴにありったけの菓子パンを詰め込んでいく。カゴに入らないくらいにパンパンに詰めて詰めてありったけを買い漁る。年甲斐もなく目頭が熱くなる。人目も憚らず少し涙を流していたかもしれない。温め続けた卵がようやくかえってヒナが餌を求めてきたのだ。


 全力で私は買い漁ろう。


 だって、今日は私が過去の私と決別できた日なのだから――


 そして、今日は彼が生きたいと戻ってきてくれた日なのだから。


「これ全部くださいッ!!」



≪つづく≫

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