第218話 ピエロ過去編 ーこの女、酒癖が悪いー
銀髪の優男は、母鳥の如く来る日も来る日も卵が
その姿は職場の人間からすればとんでもない変化に見えてあらぬ噂がたつのも止む無し。毎日終電近くまで残業していた真人間が自分が想定した終業時刻が来ると笑顔で着替え急ぐように帰っていく。そのような変化が起きれば突然の変化に皆があの人に何があったと想像を膨らますのもしょうがないこと。
ついに絶賛悟り中だった仏に嫁が出来たのやもしれないと。
それを良く思わない人間もいる。下町のこじんまりした個人経営の居酒屋にいる。
「はぁ……銀翔さん、さいきん帰るの早すぎです……もうちょっとお仕事一緒にしましょうよ……」
スーツ姿の女一人で小さな居酒屋で机にうな垂れ涙を流しつつ届かぬ相手に我儘を言っているのは、度々銀翔に仕事で書類を渡しに行く伝書鳩のような女性。
独り相撲の終わりに酒を片手に泣く姿には、クールさは微塵も残っていない。
「どうしたの杉崎ちゃん、なんかあったのかい?」
「おばちゃん……」
居酒屋のおばちゃんが泣いてる杉﨑を心配してわざわざ仕事そっちのけで対面に座ってくれた。中ジョッキを片手に杉崎は顔を上げる。常連であるが故に優しくしてくれる。仕事に疲れた杉崎がここに足しげく通っておばちゃんに愚痴を言ってる。
酒の勢いもあいまり杉崎の口の紐は緩くなり本日も愚痴をこぼす。
「聞いてよ、おばちゃん!」
「なんだい、おばちゃんがなんでも聞いてやるよ! 話な、話な、どんどん話な!」
おばちゃんの音頭に単なる新宿OL
捨てらた子犬のような表情になって話し始めたと思ったら、
「あのね……おばちゃん。わたしね、職場でね」
「杉崎ちゃん、生おかわり!」
すぐさまムスッとした表情になったり、
「ちょっと私の話を聞いてくれないの~……おばちゃん!」
「ごめん、ごめん。話をするにも酒がないとね。枝豆と冷奴をサービスするから! 枝豆と冷奴追加で!」
サービスに調子のいい笑顔を浮かべたり、
「ありがとう、おばちゃん! 酒をもっともっと持ってこぉおおい! 生みっつの焼酎で黒霧島とお湯をケトルで寄越せぇええ!」
表情が緩んで豊かに変わる。出来るだけいつも冷静な風を保っているがそのじつ気性が激しいこの女。カマトトである。銀翔の前では出来るだけ仕事が出来そうなイメージを持たれるように努めている。
テーブルにドンドン並べられる酒とサービスのつまみの数々にうんうんと上機嫌の杉崎。おばちゃんも杉崎の嬉しそうな笑顔につられて笑顔を浮かべる。
「で、職場で何があったんだい、杉崎ちゃん」
「実はね……職場で好きな人がいるんだけど」
勿体ぶるように言葉少なめに頬に両手を当てフリフリと可愛子ぶって左右に揺れる杉﨑。二十八才のオフィスレディと考えると若干痛々しいの置いておこう。けど、現実はこんな人も多いと思う。
「なんだ、恋バナかい!?」
だが、おばちゃんは食いついた。恋バナとスキャンダル大好きなのがおばちゃんである。夕方のワイドショーから昼の報道番組、朝ドラ昼ドラ大好きなおばちゃんである。人の不倫話と不幸話をつまみに飲む酒は格別にうまいと豪語する居酒屋のおばちゃんである。多分こんなおばちゃんも世の中に多いはず。
しかし、杉崎は陽気な雰囲気から一転し一気にずーんと沈んだ空気になった。
「もう終わった恋バナだけどね……」
「そうかい、大丈夫! 女は流した涙の分だけ綺麗になるもんさ!!」
「おばちゃん……」
「で具体的に何があったんだい!!」
もはや身を乗り出して聞く気満々のおばちゃん。おばちゃんは人の恋バナ大好きである。間違いないはず。だっておばちゃんだから。途中に入る合いの手も投げやりな感じがおばちゃんだ。きっと世のおばちゃんの代表格であろう。
「最近ね、その人がすごくいい顔をしてね、走って帰っていくの」
「そりゃ……また」
「今まではそんなことなかったの。仕事ひとすじって感じでね……終電前まで残ってて私が上がる時に声をかけるとお疲れ様って優しく言ってくれてね……とてもいい上司で」
「上司かい……」
おばちゃんの中で妄想が膨らむ。不倫かと大好物のかぐわしい匂いを想像し舌なめずりしている。杉崎の先の話を楽しみにしてるからこそ、追及する。
「ちなみにその上司と杉崎ちゃんの関係はどうなんだい?」
「なにもないの……食事に誘っても断れるし……でもそれでもいいと思ってたの。傍に居られて見てられるだけでよかったの……」
「杉崎ちゃんは健気だね……ごめん、くしゃみでそう。ちょっとごめんね」
そういいおばちゃん後ろを向き、チッと舌打ちをした。面白くない。不倫の話じゃないのかいッ!と内心ツッコんでいる。もっとドロドロしたのがおばちゃんは好き。
「それが最近早く帰るわ! 廊下をウキウキして走って帰るんだよ!!」
「そりゃ女だね。間違いない。おばちゃんはピーンときたよ。五十年生きてきたおばちゃんからすれば、簡単なことだよ。その男はオンナが出来たね」
「だよね……うわああんんん」
おばちゃんの適当な勘により導き出された答えに、泣きながら悲しみのあまりビールのジョッキを空にして次の焼酎を瓶ごと持ち上げラッパ飲みする女。お湯は勢いで頼んだけでその場にちょこんと寂しく残された。
こっちが素の杉崎である。酒好きな癖に酒癖が最悪に悪い女である。
「まぁ杉崎ちゃんなら可愛いからすぐに男が見つかるって。職場に他にいいのはいないのかい?」
「銀翔さんと同等なんているわけないよ……あんな戦闘狂たちヤだよ……私は優しくてスマートで愛したら一途の超美形カッコいい人がスキなの」
「杉崎ちゃん、また……随分と理想が高いね……」
おばちゃんは呆れているがその理想にピタリと当てはまるのが仏の銀翔である。基本スペックは高し。狙っている独身女性陣は多い。それにブラックユーモラスの入団条件は強いことである。荒くれ者たちの集まりである。おまけに創設者が晴夫とオロチであることからそっち系の輩が多いのは必然の事。
「今まで彼女がいるとかそういう噂は一切なかったのに……なんで今になって」
涙を流して机に突っ伏して涙を流す杉崎。おえっとちょっと餌付くのでおばちゃんが対面の席からその背中を優しく擦ってあげている始末。
「そんな男なら女はほっておかないだろうね……」
「けどけど、おばちゃん!」
杉崎は体をがばっと起こして起き上がった。
「クソ真面目で鈍感だから女のアプローチなんてまったく無視の人だったんだよ!」
「そいつは……また難儀な男だね」
だって仏ですから。煩悩が死んでますから。
「わたし聞いたことも無いもん! 元カノの噂とか話すら!」
「大丈夫かい……ソイツ?」
そんなやつは本当に大丈夫なのだろうか?
「アラフォーで童貞って噂もあるんだから! 仏ってみんなに呼ばれてるんだから!!」
「……痛すぎないかい……」
おばちゃんの言う通りである。アラフォー童貞は世間的にちょいとイタイ。スペック高くても心がイタイ。おばちゃんの人生で初体験の出来事かもしれない。
そんな話の最中に割り込んでくるノイズ。
「なんだ。ねえちゃん。男に振られてやけ酒か~?」
「う……ん?」
突如、おばちゃんと杉崎の間に現れる酔っ払い。杉崎が顔を向けると鼻先まで赤く酔っぱらってフラフラと揺れている千鳥足の三十代くらいのサラリーマンが一人声を掛けてきた。
「ねえちゃんの魅力がわからないなんて、そりゃダメな男だ!」
「そう思うでしょー!」
酔っ払い二人が意気投合するがおばちゃんはちょっとハラハラしている。酔っ払い同士が店の中で合流すると日常的に良くないことが起こるからである。慌てて席を立ちあがって男を元の席へと戻そうとするが男は杉崎に夢中で動く気配がない。
「オスとして死んでるよ――」
杉崎の所に手が伸びていく、
「この魅力的な――」
その魅惑的な体を求めるように酔っ払いの手が胸元へと伸びていく、
「おっぱいに興味がないなんて、」
別に巨乳というわけでもないが杉崎はメリハリあるボディをしている。痴漢行為である。酔った勢いでの性欲の赴くままのエキストラパッションアタック。
だが、その手は――
「何しようとしてんだ、コラ?」
「イテテテテッ!!」
胸を触る前に男の手が締め上げられる。忘れてはいけない。この酒癖の悪い女はただの女ではない。そいつも荒くれ者たちの中に混じる権利を獲得している女である。
「ちょっと杉崎ちゃん!?」
「あはは、ごめん。おばちゃん、ちょっと酔い覚ましに外行ってくるからだいじょうびぃ、だいじょうびぃ」
「アイタっ、アイタタッ!!」
そういいながら笑っておばちゃんに手を振り片手で男の腕を極めながら店の外へと連れ出していく。男の手は逃れようと力を入れようとも外れない。圧倒的に力が違いすぎる。
そして。外に出た杉崎は夜風に当たり酔いを醒まして首をコキコキと鳴らして肩の凝りをほぐしている。一般人如きでは太刀打ちできない。忘れてはいけない。酒癖の悪いこの女もブラックユーモラスの一員である。
男は後ろ手に関節を極められながらその怪力の女を見て
「バケモノか……」
一言ぼそっと呟いた。それが癇に障ったという言わんばかりに杉崎は極めていた手を離し、無防備になっている背中に身を翻して反転して流れるように肘鉄を一発。
「誰が化け物だッ!」
男の背中に撃ち込まれる黒服の一撃。衝撃に吹き飛ぶ男は男はポリバケツをなぎ倒し居酒屋から十数軒先のクリーニング屋まで吹き飛んで意識を失っていた。
「ふぃっく」
痴漢を退治した杉崎は夜の空を見上げて、
「風が気持ちいい~」
上機嫌に呟いて居酒屋に戻っていった。
ブラックユーモラスの一員にして絶賛彼氏募集中である。あと結婚適齢期。
≪つづく≫
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