第193話 猫が交わした遠い日の約束 —十年越しの楽しみ―

 受験生たちの試験が進む一方、高尾山の一角に建てられた仮校舎で校長と教師陣は次の準備に取り掛かっていた。


「校長、問題用紙の準備終わりました」

「ありがとうにゃん。これで準備は万全だにゃん」


 基礎体力試験の次は学力の試験である。眼鏡をかけた白衣の教師。白衣の中にはウールのセーターを着こんでいる。年はまだ二十代後半といったところ。見た目から優しく大人しそうな印象を与える。


 しかし、鼻息をちょっと荒げていた。


「今回は気合いれて作りましたよ! 自信作で最高傑作です!!」


 彼女はこの日の為に考えに考え抜いて全試験のテストを一人で作成したからだ。やっとの想いで作り上げた我が子のお披露目の瞬間とあり、気合がみなぎっている。その姿に猫は満足そうに目を細くして、扉の方に歩き出す。


「では高畑たかはた先生、ここはまかせたにゃん」

「了解であります!」


 猫が扉の隙間から廊下に出るともう一人の女性教師が走ってきた。黒髪で年は三十後半であろうかというところ。高畑とは違い少しキツ目の顔でクールな印象を受ける。スーツ姿が似合うのもその容姿に拍車をかけていた。


「校長探しましたよ!」

「すまんにゃん、学力試験の準備状況を確認してたのにゃん」


 猫は悪びれも無く教師に返す。走ってきたが息はきれておらず、少し眉を歪めてため息をついた。一呼吸置き彼女は本題に移る。


「もうそろそろ基礎体力試験を終えて受験生たちがこっちに到着します」

「今年はずいぶん早いんだにゃん」

「えぇ、例年より三十分程度早めです。それに合わせて実戦試験の準備を進めたいのですがよろしいですか?」


 ちょっとムスッと怒っている女教師。今日一日はトラブルも起きやすい日である。だからこそ決定者があちらこちらウロウロされては堪らない。ただでさえ今日一日で一万人という人数を捌かなければいけないので判断も準備の時間も一刻を争う。


「いいにゃんよ」

「では、指示を出します」


 教師はすぐさまに携帯を取り出し方々ほうぼうに決定事項を伝達する。一通り連絡終わったところで校長をキッと睨みつけた。猫はばつが悪そうに視線を横に流す。


「校長は勝手に動かないで下さい!」

「わかったにゃんよ……」


 二人は揃って歩き出す。もはや女教師は猫を逃がすまいとぴったり着いてくる。本日の受験の監督を任せられているが故に校長から目を離すまいとここから行動を共にする意思を強く固めている。


 そして、怒っている。


「まったく。学力試験の確認なんか後回しでいいのに」

「高畑先生が頑張ってくれてる姿を見とくのも校長の義務にゃんだと思うだけどにゃー」

「それよりも! それよりもです!!」


 校長の軽口に激しく怒りを返す。学力試験などマカダミア受験の中では意味をなさいないものである。あくまで時間稼ぎ。実戦試験までの時間を空けるために用意された一つのギミックでしかない。


「今日一日を無事に終えることに意識を集中してください!!」

「……わかったにゃ」


 あまりに怒られたので校長は尻尾を垂れ下げ歩いていく。しっかり監督役が並び歩いてくる。無言で進むのも気が引けると思い、横目に映っている怒っている教師の気を紛らわそうと話を振ることにした。


「佐藤先生、三十分も早いってことは今年は豊作の年かにゃな?」

「まぁ粒ぞろいみたいです」


 佐藤は折り畳み式のタブレットを開き、数値を流し見て答えを返す。


「受験生を平均するとDランクですが、平均なので上位をとればAランクも混ざっているかもしれませんね」

「学園対抗戦に期待が持たそうにゃんよ♪」


 猫はまだ見ぬ学園対抗戦への夢を膨らせまていた。優勝するとにゃんこ校長にとっていいものが手に入るからである。優勝校に預けられる優勝の証がにゃんこ校長にとって生活を変えるものであるから楽しみでしょうがない。


 しかし――


 その年の学園対抗戦、マカダミアキャッツが全敗で最下位を記録したのはもう語られた過去である。


「今年はいい年になりそうにゃんよ」


 マカダミアキャッツ開校後、最悪の年になることを校長はまだ知らない。マカダミアキャッツにデットエンドという魔王が独裁国家を築き上げることを何も知らない。未来の事は誰も分からない。


 遠い空を見て校長が立ち止まった


「そういえば……今年だったかにゃ……」

「何がですか?」


 問いかける佐藤先生に猫は微笑んで返す。


「友達の息子が受験してくるかもしれないにゃん」





 にゃんこ校長は思い出していた。ある隻眼の男との遠い日の約束を。


 10年前の事である。マカダミアキャッツが出来上がって二年ぐらいの年。


 2005年の遠い約束――


 学校の屋上で片目に眼帯をした男と猫は並んで校庭を眺めていた。


『どうよ、もう校長の方は慣れたかよ?』

『まぁまぁだにゃ……』


 にゃんこ校長は今ほど人間に馴染んでいなかった。どこか愛想も悪くマスコットとしては三流だった。ミレニアムバグ以降で能力者たちの為に色々な施設が目まぐるしく出来上がっていった。それは急ピッチだった。わずか3年でその者たちの学校が日本全国に出来るぐらい。


 それが今の学園対抗戦に参加する6校である。


 眼帯の男は釈然としない猫に問いかけた。


『お前はまだ人間が嫌いなのかよ?』

『昔は嫌いだったけど……今はわからないにゃん……』


 それは校長が吐き出した迷いだった。嘗て人間が大の嫌いだった。滅亡させたいと思うほどに。それをこの男に止められてそれから猫の人生は変わった。不思議な男だった。関わったものを変えてしまうような男であり、変な男だった。


『嫌いから、わからないに変わったってことは、だ。お前は好きにだんだん近いづいてるってことだな。さすが俺様だ。俺の勘に間違いはねぇ』


 隻眼の男の笑顔は惹きつけるものがある。あまりに純粋で心に迷いがないから。


『そうかもしれないにゃん……二年間学校で色んな人間を見てきたにゃん』


 猫もつられてしまう。


 人を憎んでいた。それは一部の人間だった。人間という種族から見ればほんのわずかな人数を見ていてそう思っていた。猫の憎悪が学校で過ごすうちに多くの生徒と関わることでどこかほだされていってしまっている。


『見れば見るほど人間っていうものが……良くわからなくなってきたにゃん……』

『だぁああああ! 難しく考えすぎだ!!』


 声を上げ、迷い続ける猫に眼帯の男は顔を近づけた。


『無理やり分かろうと理屈をつけるからこんがらがる! お前は猫なんだから思ったままに生きて自由に飄々としてろ!!』

『僕は……猫でもないにゃんよ』

『いいや、どこからどう見ても猫だ! 猫以外の何物でもない!!』


 猫が不服そうに返したが男は意見をはねのけた。お前は猫だと。どれだけ凶暴な姿を持っていようとも猫であると。自分を倒した男は確かにそう語ったのだ。


『俺様が決めたんだから間違いねぇッ!』

『晴夫は……本当に勝手にゃんよ』


 涼宮晴夫という豪快な男に猫は負けたのだ。


 それからココに連れて来られて校長をさせられている。人間っていうものをちゃんと見ろとこの男は学校を自分にまかせた。何も考えていないように思えるが深い男に。


『そうだ、にゃんこ。あと十年ぐらいしたら、多分俺の息子がココに来るから』

『晴夫の息子がにゃん?』

『そうだ』


 不思議な男の息子に若干興味を持つ猫。その猫を前に晴夫はイヤそうな顔を浮かべて続けた。


『生意気で手に負えないクソでゴミみたいなやつで手を焼かされると思うけど、どうか頼むわ。あのバカが収まりそうな学校なんてここぐらいしかなくてよ。だから、それまではマカダミアに居てくれよ』

『わかったにゃん……それまでにゃんよ』


 猫にとって十年という歳月はとても短い。年齢は千を超えている。その中の十程度なら猫にとっては大したことないのだ。ただわからないことを知りたいから待てる。涼宮晴夫という男の息子がどんなやつなのか。


『それを楽しみに待ってるにゃん……』


 興味が持てて、今はそれがここに居る理由になったから猫は甘んじて受け入れた。


『よろしく頼むぜ――』


 男は猫に言う――校長と。



「いくら、校長のご友人の息子だと言っても贔屓はできませんよ」

「わかってるにゃんよ」


 あれから十年待った。理由を忘れるほど人間というものが愛おしくなるほどに。彼らの成長を見守るのが喜ばしいと思えるほどに猫は成長した。今は感謝しているココにいれることを。涼宮晴夫という男に出会えたことを。


 仮の校長室に戻り猫は机の上に座る。校長として姿勢を正し佐藤に問いかける。


「試験に変わったことは特にないかにゃん?」

「あっ、そういえば」


 佐藤先生は眉を顰めて首を傾げた。自分でも今からいうことが何なのかわかっていないからだ。


「試験官たちからの伝達でわからないことがひとつ」

「何にゃん?」


 猫も佐藤と同じように首を傾げた。試験官たちから続々と送られてくるメッセージで気掛かりだったものだ。


「オカマが超ヤバイだそうです……」

「それはヤバイ内容だにゃん……」


 確かにヤバイ。


「意味がわからなすぎてヤバイにゃんよ……」


 まさかその最悪のオカマが十年前に自分が楽しみにしていた出会いだとは思いもしなかったのは語るまでもない。



≪つづく≫

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