第187話 ダメなやつだけど、勇者でふ
森の中を田中は一人で走っていた。必死にメタボリックな体の脂肪を上下させ、ドタドタと駆け抜けている。何か恐ろしいものから逃げいているのだ。冒険が始まる前にデブちんは逃走していた。
「もういやでふぅうう! こんなの無理でふよぉおおお!」
それはミカクロスフォードとの道中に起因する。突如として少年と少女は出会ってしまった。
「タナカ下がりなさい!」
「へふ……でふ!?」
12歳の少年と少女の前に現れるクマ。現代で言えばグリズリーという種類にあたる。それは体長およそ250cm、体重は350kg程に成長する。大きいものになれば500kg級を超えることもある。ミカクロスフォードの体重と田中の体重を足して8倍すればちょうどぐらいだろうか。
そんなものが二人に前に立っている。ミカクロスフォードでも脅えて逃げ出したい。彼女はいくら心が強いと言ってもまだ小学六年生。
それでも彼女が正気を保てて気を張っていられるのは、
「熊で……でふふううう!」
後ろで自分より脅える情けない男の子がいるから。僕は勇者と自分の口から言っておきながら腰を抜かしてズボンを湿らせてホカホカさせる始末。しかし、のちの勇者である。
今は最高の足手まといである。その男の前で金髪少女は杖を振るい魔法を放つ。
「ファイアボール!」
火の玉が飛び出す。こぶし大の大きさであるがスピードは時速60キロ近くは出ている。腹に直撃はするが――ミカクロスフォードの眉間にしわが寄る。威力が足りない。魔法が使えるようになったと言っても才能があるわけではない。
目の前に立つ熊はびくともしていない。
「グゥルルル――」
二人を己の影で隠す様にそびえ立つ。興奮している。口から粘膜が伸びる涎を垂らしその鋭い牙と歯茎をむき出しにして唸っている。本来白いはずの目の結膜が浅黒く角膜が赤くなっている。
「ガァアアアアアアアアアアアアア――!!」
咆哮は威嚇ではない。殺意を込めた戦闘の合図。殺意に負けないようにミカクロスフォードが杖を振るう。
「ウィンドカッター!!」
杖から飛ぶ真空の刃。熊の毛を刈る一撃。だが僅かな切り傷しか残さない。数センチの切り傷。ウサギであれば殺せた。これが普通の熊であるならそれはダメージを通しただろう。
だが、この熊はどこかおかしい――
異常な個体。
「タナカ、逃げなさい!」
「えっ……」
振り返ることもせず熊から目を離さずに、後ろで怯える少年に金髪の少女は命令する。目を離したらダメだと本能が告げている。熊が出す殺気に当てられている。それでも判断をした。一刻の猶予もないから声を荒げる他ない。
「呆けてないで、いいから早く行きなさい!」
「うわぁあああああ!」
逃がさなければ二人とも死ぬと。
そして――
「もういやでふよ……もうこんなのいやでふよ!」
少年は逃げた。少女を置いて逃げた。怖くて逃げた。
逃げながらもしょうがないと心で何度も自分を肯定した。
——あんなの無理でふよ……だって怖いんでふ。熊が出てくるなんて子供の僕にはむりなんでふよ……殺されるかもしれないのに立ち向かうなんて、到底無理でふよ!
仕方がないことだ。僅か十二歳の少年が脅えるなという方が無理だった。あれは魔物だ。単なる熊ではない。突如として生態が変わった魔物だ。田中という存在が世界に降り立った時点で魔王が生まれている。
その魔王の力で少しずつ世界が変わり始めている。
「あっイタぁあああ――」
田中の短い足が何かに掛かり走った勢いそのままに転がり続けた。服は泥を吸うように汚れ、やるせなさに涙が溢れた。
「もうお家に帰りたいでふ……異世界なんて全然楽しくないでふッ!」
怒りをぶつけても空も空気も森も少年に何も答えない。泣いても魔王を倒すまで彼は帰れない。異世界での役目を果たさない限り、彼が現実に帰ることはない。もう迷い込んでしまったのだから。
「ひっぐで……ぶ……?」
泣いてる田中の視界の隅で木が教える。それは確かにそこに根付いていた。足を取られたもの。自分を転ばせて止まらせたもの。
――
彼女と初めて会った日に捉えられたウッドウィップと同じもの。それが見えたことでわかってしまった。自分の事だけを考えていたから見えていなかった。
「あの子は……」
自分は逃げたが彼女が逃げずに戦っていることに。自分を逃がすために金髪の少女は一人戦っていると。年もそう変わらない姫はあの化け物と殺し合っているということが。
「情けないでふ……」
田中は立ち上がり腕で涙を拭いた。
「グァアアアアアアアアアアアアア!」
「万策尽きましたわね……」
持てる魔法をすべて使い尽くした、火も水も風も雷も氷も。だが魔物は依然元気なままである。かすり傷程度の傷しか負っていない。初級魔法では敵うわけもなかった。
木の上に横たわる金髪少女にトドメを刺そうとゆっくり近づいていくる脅威。
「タナカは無事に逃げられたかしら……あの子はダメな子だから……」
そんな状況でも彼女は田中の心配をした。ひと時だったが心を通わせた。ダメなヤツだからほっとけなかった。少女の旅は終わりを迎えようとした。
「ガァルル……」
魔物が爪を立て手を振り上げる。少女は最後の力を振り絞り杖の先を魔物に向けた。
「光栄に思い後世に語り継ぐといいわ……この大魔導士となるはずだった、ミカクロスフォードを倒したことを」
それでも彼女は強がった。怖がらなかった。恐れなかった。死すらも美徳に変える誇りを持っていた。
その名に――
「ガァアアアアアアアアアアアアア――」
言葉が通じるはずもない魔物の一撃が振り下ろされる。終わる時に目を閉じるのは誇りではない。彼女は目を開けたまま自分の最後をみとろうとする。終わるその時まで生き抜いてやると。
少女の目がその光景に見開いた。
「な……」
目の前にある頼りない背中に向けられた。
「なんで……」
熊の一撃を押さえる男に驚きを覚えた。
「戻ってきたの……タナカ……」
両腕をクロスし魔物の振り下ろされた腕を押さえている。頼りなかったはずの男が自分を守りに戻ってきている。怯えて腰が抜けて体を震わせ、泣きながら逃げたダメなヤツが、
「逃げてごめんでふ……今度は僕がミカクロスフォードさんを守るでふ!!」
勇ましく絶望に抗おうをしている。
「タナカ……」
勇者とは『絶望に抗う者』。ならば、いまそこにいる太った少年は勇者になろうとしている。体の大きさも違う、腕の太さも手のデカさも違う、それでも力を込める。抗おうと意志を体に流す。闘志をみなぎらせる声が漏れる。
「うらあぁああああああああああああ!」
「ガァアアアアアアアアアアアアア!!」
魔物を力で押していく。少年はしっかり授かっていた。異世界に召喚された恩恵を。その祝福の力を。この世界に来た時から身に着けている。
——いける……いけるでふよ!!
力で押し返していく。ミカクロスフォードから魔物を遠ざけるように。彼女を守るために。少年は少女よりこの時点で強かった。気付いていなだけだった。その力に。自分という存在の大きさに。
後の勇者となるということに。
「ミカたんに……ひどいことを!」
両腕を上に弾きあげ、魔物の手をかちあげる。拳に力が込められていく。マナが少年の拳に収束していく。田中が異世界に来て目覚めた力の一端。
田中は魔法を纏うことが出来る体質になっていた。
「するなぁあああああああああああああ!!」
そして、溢れるチートパワー。魔物を一撃で消し飛ばすほどの圧倒的ステータス。ミカクロスフォードの現時点でのレベルが8であるのに対して、田中は駆け出しの1である。それでも遥かにその値を上回る能力。
それに驚くのは異世界人――金髪少女である。
「あなた……何者なのよ、タナカ……」
呆けている少女に少年は優しく笑って答えた。
「この世界を救うのが僕の役目なんでふ」
≪つづく≫
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