第141話 先輩は意地悪です!

 俺が彼女の部屋に入ると、


 体を起こしてまだムスッとしている様子で待ち構えていた。


「なんですか……不潔先輩」


 不潔先輩か……先輩からのランクダウンは免れなかったようだ。


 まぁ、アレだけやらかしゃそれもしょうがない。


 自分でも彼女との罵り合いは冷静さを失いすぎてたと思う。


「お粥を作って持ってきたよ」


 俺は彼女の前にお盆に乗った料理を差し出す。


「変なものを入れてないですよね……不愉快さん」

「先輩すらなくなるのね……」

「じゃあ、不潔不愉快変態先輩ふけつふゆかいへんたいせんぱい

「……字面を思い浮かべると中国語みたいに聞こえるんだけど、罵倒されてるのは良くわかる」


 相当怒っているようだ。


 だが先程までとは違う。


 俺は完全に冷静さを取り戻している。だから冷静に返している。


 そもそも強が変な揺さぶりをかけまくるから俺の精神が乱れに乱れた結果、


 あんな子供みたいな言い合いになったに違いない。


 ——あの皆の特異点とくいてんめ……


 全部が世界の悪役代表であるアイツのせいということで俺は気持ちを落ち着け、怒る彼女の前でお粥の蓋を開ける。お粥の上に卵が程よく半熟でコントラストを作り、アクセントにネギが焼き色を付けている。


「変態先輩……」


 それを見ると彼女は不思議そうな顔をした。


「料理も出来たんですね」

「一応は」


 目をパチクリして何度もおかゆを覗き込んでいる。


 不潔不愉快はどこかへ消えたようだ。ただ変態の称号だけは未だ健在。


 俺の最たる属性でもあるので、


 これは致し方ないとしかいいようがない。


「どうぞ、召し上がれ」

「ふーふーしてください……」

「えっ?」


 突然の甘えた要求にびっくりしてしまった。


「ふーふーです…………」


 ちょっと怒りながらも恥ずかしそうに両手で、


 布団の端を掴んでクネクネさせている。


 熱いものが得意ではないと言っていたが……


「いや、ふーふーって……」


 あまりに顔を真っ赤にして


「ふーふーしてください!」


 怒るので、


 俺は仕方なく彼女の要求に応じることにした。


 レンゲの上にお粥を乗せて息を吹きかける。湯気が色を濃くして放熱していく。二、三回息を吹きかけ冷ましたあとで、そのレンゲを彼女に手渡そうと手を前に出す。


「はい」

「あ~んって、してください……」

「…………」

「ア~ンです!!」


 どういうことだろう……子供みたいに駄々をこねて甘えてくる。


 困惑するしかない。


 不潔不愉快変態と罵った相手に対する要求は『ふーふーあ~ん』。


「あ~ん……」


 彼女は目をつぶって小さい口をこちらに差し出してきた。


 目を瞑っているのは恥ずかしいからなのか若干力が入りすぎている。


 やり慣れてないのが目に見えてわかってしまう。


 ——瞑る目に力が入りすぎだ。


 俺は静かにそれを


「はい、あ~ん―――」


 合図を出して彼女の口へと優しく放り込む。


 彼女は口におかゆを入れて味を確かめるように何度か噛むとちょっとびっくりしたような表情を浮かべた。口に合わなかったのだろうかと少し心配するも、すぐに彼女はまた目を閉じて口を差し出す。


 ——なんだか……かわいいな……


 雛鳥に餌を与えてる様に母性をくすぐられる。


 なぜ、こんなに甘えてくるのだろう。熱で弱ってるせいなのか、


 はたまた、変態野郎への当てつけの為なのだろうか?


 後者の可能性はほぼないな、どう考えても当てつけではないか。


「先輩!」

「わかった、わかった」


 催促の声を上げる病気の彼女を前に、


 俺はまた息を吹きかけ同じ動作を繰り返していく。


 何度かあげてるうちに段々わかってきた。


 これは推測だけども、きっと甘えてるだけで合ってるんだ。


 美咲ちゃんは今まで誰かに甘えたくてしょうがなかったんだと思う。


 あの兄と疑似おねいちゃんしかいない状況、


 さらに友達はちんちくりん木下。


 彼女が頼られることの方が多いし、


 しっかりしなくてはいけないと、


 その小さい体で気を張り詰めていたんじゃないかと思う。


 両親が海外に出ている間、


 あの強の面倒を見ているだけでも大変なのはわかる……。


 アイツは何もしないのではなく、


 本当に何も出来ないというほうが正しい存在。


 アイツが動けば皆が大騒ぎになる。


 アイツの存在っていうのは色んな意味で影響力が大きすぎる。あの不器用さと強大な力。動けば碌なことにならないのは目に見えている。それをよくわかってる俺だから、若干だが彼女の苦労が少し分かるといったところだろうか。


 だから、俺に惹かれちまったんだろうか……


「ごちそうさまです」

「お粗末様です」


 気が付くとお粥とおひたしを全て彼女は平らげてしまっていた。


 それでも、彼女の甘えん坊はおさまりを見せない。


「先輩、デザートはまだですか?」

「あっ……」


 デザートと言えば……要望があったアレか!


「まさか……忘れたんですか?」


 彼女が訝しげに俺を見ている。


 せっかく、信頼度の回復をはかったのに!!


「違う! 強におつかいを頼んだんだけど……まだ帰ってきてない」


 アイツ……桃缶買いに行くだけで何十分かかってんだよ。


 何もできないと思ってるけど、さすがに買い物ぐらいは出来ると信じたい。


 高校生で買い物も満足にできないやつと類友扱いはされたくない。


 類友のよしみだし、やつを信じよう!


「多分、すぐに帰ってくるとは思うよ!」

「わかりました。じゃあ、もう少し待ちます」


 食べ終わって満足したのか横になった姿を見て、


 俺は食べ終わった食器の蓋を閉めて、


 片付けを軽く済ませ、下に持っていこうと動き出す。


「先輩……いっちゃうんですか……」


 それを引き止めるように彼女が拗ねた声を出した。


 いかないで、と聞こえる。


 その可愛さにやられて、


 俺は微笑みを浮かべお盆を床に置いて胡坐をかいた。


「そんなに、甘えてどうしたの?」

「…………」


 俺が問いかけても布団の端を掴んで何も答えてこない。

 

 俺は半分隠れている顔を覗き込むように顔を傾ける。

 

「病気だから、心も弱った?」


 俺が優しく問いかけると彼女はやるせなさそうにポツリと零した。


「先輩は……イジワルです……」


 確かに意地悪だ、俺は。


「美咲ちゃんの言う通り、俺は意地が悪いよ」


 彼女が弱さを見せて甘えてるせいなのか俺の心は穏やかだった。


 それとは対称的に彼女はどこか不安定。


 今日の彼女はいつもの彼女とは違う。


 あんな言い合いをする子ではなかった。


「ホント……いやになります……」

「俺の事、嫌いになった?」


 こんなにツンツンして甘えてくるような子でもない。


「そういう風に言い返して来るところが――」


 俺が優しく問いかけているのが彼女を揺さぶってしまっているのかもしれない。本当に振り回してしまっている。昨日振ったのに、今日も普通に接したいだなんて。


「………嫌いです」


 俺は彼女を嫌いではない。


 どちらかというと、むしろ好いている。


 それはカワイイ後輩として。


「そう」


 彼女の答えに俺は笑って返す。


 彼女という人間を知ったふりをしていた。


 触って全てがわかった気になっていた。


 断片的な情報で彼女という人間を固めきっていた。


 ——俺も学習しねぇな……


 また思い込みで決めつけてしまっていることに気づかないなんて。


 俺が彼女の一部分しか知らないなんてことに今更気が付くなんて。


 今日一日で彼女が見せた色々な面を、


 俺は何一つわかっちゃいなかった。


 彼女の弱さも自分勝手なところも、その強情な性格も。


「俺は嫌いじゃないよ」

「バカにしてるんですか……?」


 彼女の問いは全くもってその通りだ。


 振ったくせに嫌いではないなんて、俺も自分勝手だ。


 けど、わかってしまったから言いたくない。


 俺は彼女に嫌われたくない。


 可愛い後輩として。





「本心だから、バカにしてるわけではない」




 彼女を好きだから――




「先輩は本当に意地悪です!」


 彼女は布団に潜り込んで顔を隠した。ひどいことをしてしまったのかもしれないが、俺の心はどこか落ち着いてしまっている。それは言いたいことを言えたからかもしれない。


 心から語れたからかもしれない。


 俺は彼女の机からペンとメモ用紙を一枚拝借する。


「これ、俺の電話番号だから」

「…………」

「強が帰ってくるまで下にいるから。なんかあったら連絡して」


 何も返さない彼女を後にして、


 俺はお盆を持って下のリビングへと戻っていった。



≪つづく≫

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