第78話 1993年火神恭弥の過去 —MS5 マジで失恋する5秒前―

 火神が気が付くとぼんやりした視界が捉える景色。


 ――ここは…………?


 4メートルはあろうかという高い天井。だだっ広い自動車の整備工場のような場所。体の下から冷えた硬い感触を感じる。コンクリート撃ちっぱなしの古びた建物。


 殴られたわき腹が次第に痛みを強めていく。


「イッタ……イ……っ」


 苦痛が体を支配していく。


 顔を歪ませ鈍痛を押さえつける火神に、


「おっ、やっと目を覚ましたか」


 飄々とその男は話しかけたきた。


「ヒドイ目にあったな」


 肩に手をポンと乗せて心配してた素振りを見せる男。


「アイツらも酷いことしやがる………」


 その男は自分を地獄の淵まで連れて行った暴力の権化。


「お前の代わりに俺がボコボコにしといてやったから安心しろ。二度とお前に近づかないと思うから」

「はぁ……あ?」


 言われてることが理解の範疇を超えるために頭を軽く傾け相手を見る。


 屈託の無い笑顔に誤魔化されそうになる。


 自分をボコボコにしたのはこの男であるという事実が、


 誤魔化されそうな雰囲気に飲み込まれていく。


 —―そうか。この人に殴られて意識が遠のいて……


 時間が経つにつれて状況が理解できてきた。


 ――あの二人にこの人がヒドイことをして、僕を運んでくれていて……あっ!


「あっっう!!」

「大丈夫か!?」


 大事なことを思い出し体を大きく浮き上がらせた反動で脇腹が軋んだ。


 味わったことがない鈍痛。


 クラスメイトから殴られたことはあったがそれの比ではない。数時間寝ていても回復が追いつかない異常事態。虫歯治療のような一瞬の痛みが体を硬直させる。


 それでも大事なものを気にかけ質問を投げかけた。


「僕の……鞄は?」

「あぁ、取り返しといてやった。あそこにあるぞ」


 晴夫が指さす先に無造作に鞄が置いてあった。


 内田有紀の生サイン入りテレホンカード。火神恭弥の宝物である。


 ――よかった……ウキちゃんのテレホンは無事だ。


 自分の宝物の無事を確認し張り詰めていた空気が和らぐと、


「―――っっつ」


 同時に鈍痛がぶり返す。


「オイ、大丈夫か!? バファリン飲むか?」

「大丈夫です……なんでバファリンなんですかっ?」

「鎮痛剤だ、バファリンは。超万能だからな。優しさが痛みを和らげてくれる」

「……………?」


 ――この人、アタマがおかしい……


 勉強一筋で生きてきた少年にその獣の行動原理は理解できなかった。


 何一つわるびれる素振りもなく飄々と自分に接してくる。


 だが、火神が初手を打ち込んだが結果が故に火神自身もどことなく罪悪感に駆られる。そこにズボンのベルトをカチャカチャ言わせて、吹き抜けの広場の二階から階段を下りてくるぼさぼさの長髪。


「おう、お目覚めか」

「は……い……」

 

 次々と現れる謎の人物に状況を理解していても火神の対応が追い付かなかった。


 出る言葉は片言で目をパチクリさせ脇腹を押さえっぱなしである。


「飛んだ災難だったな。大丈夫か、アバラ折れてないか?」


 そこに近づいてくる若き日のオロチ。


「晴夫のバカは力しか取り柄がない奴だから許してやってくれ」

「オイ、オロチ!」

「訴えるのはやめとけ。コイツには搾り取る金がない」

「その通りだ!」


 一旦、止めかけた男は訴訟の話が出るところりと打って変る。


 火神の脳はパンクしかけていた。


 まったく味わったことがない人種との会話は異世界言語のようで、


 何を言ってるのかノリも意味もわからない。


 おまけにお腹は痛いし、今が何時かもわからない。


 だが。わかったことは目の前にいる自分とは違う異人種は


 『晴夫』と『オロチ』という、


 人だということだけは理解できた。


 さらに状況を混乱させるように、


 ――今度はダレ…………?


 二階からまた登場人物が現れる――


 長い黒髪の女性。制服を着ているので女子高生ということはわかる。


 だが火神の鼻の穴が大きく膨らんだ。


 ――エロイ…………。


 自分が知っている同級生など子供に見えるような大人びた雰囲気。おまけにどことなく気位が高そうな感じだがそれが彼女の風貌にマッチしている。一目惚れに近かった。


 一瞬で心臓が高鳴り顔が紅潮していく。


「オロチくん、またね♪」

「おう。いつでも来ていいからな」


 その女性はオロチに投げキッスを飛ばして夜道に消えていく。


 ――えっ?


 それに火神はどういうことなのと言わんばかりにオロチに顔を向けた。


「おい、オロチ……何度も言ってるが、ここはお前のラブホじゃねぇ」

「いいだろうが減るもんじゃねぇし」

「へっ……」


 ということは……?


「次から次へとわけのわからん阿婆擦あばずれを連れてくんじぇねぇ! しかもいつでも来ていいからって言うから、お前が居ない時にここに来たりするやつもいて俺が困んだよ! ここは俺の家だ!!」

「別に抱きたきゃ抱いてもいいぞ。お前が先じゃなければ俺はどうでもいいからな」


 ――えっ!?


「誰がお前の中古なんて抱くかッ!」

「処女なんてメンドクサイだけだぞ……そこらへんわからないから童貞なんだろうな………」

「お前みたいに簡単に股を開く女には俺は興味はねぇんだよ!!」


 卑猥な言葉の言い合いに火神の目は点となる。


 初めての一目惚れは五秒も待たずに悲惨なまでに粉々に砕け散った。


 ベルトをカチャカチャ言わせて降りてきた姿はもうすでに彼女は穢れていたということなのだろう。中学三年生であればその意味ぐらいはわかる。


 ――あぁぁ………おう、痛い。


 失意のどん底の横で繰り広げられる男達の貞操観念による論争。


「俺はな、最初の相手は好きな奴って決めてんだ! お前みたいにどこでもチン〇じゃねぇんだよ!」

「おうおう、すげぇすげぇ頭お花畑だな。その好きな相手も大変だ。お前に出会うまで処女じゃなきゃいけないんだから。俺みたいな男に引っかからないよう箱にでも入っていない限り不可能だな」

「お前の知ってる女と俺の未来の女を一緒にすんじゃねぇ! 誰にでもホイホイ着いてくと思うなよ!」

「お前の未来の女がどんな女か知らないが災難であることは間違いない。恋の一つもお前と以外許されないなんて呪い以外の何物でもないな。おまけにお前みたいなイカ臭い右手の持ち主に抱かれるために生まれてきたなんて……どんだけ悲劇を与えれば気が済むんだ、晴夫」

「テメェ……ちょっとオモテ出ろや」

「おう……今日こそ決着つけてやるよ」


「ちょっと黙っててください!!」


「「えっ……」」


 もやしっ子のの突然の怒声に二人の動きが止まった。


 涙を流しながら床に突っ伏している。


 一目ぼれの相手がオロチのような男に奪われた失意が、


 デカすぎて我を忘れて吠えていた。


「失礼致しました!」


 泣きながら鞄を取り、男は駆け出す。


 涙が零れないように腕で瞳を押し付け消えていった。


 晴夫とオロチは呆然とそれを見送った。


 そして喧嘩の雰囲気もなくなり、


 お互い目を見合わせてため息をひとつついた。


 言葉を揃えお互いにいう。




「「おまえのせいだ」」




 だが、その場所には緑色の生徒手帳が落ちていた――



≪つづく≫

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