五話

 典晶は機を得たりと立ち上がり、那由多の方へ行った。文也も、渡りに船と後に続いてくる。


「そんなバカな……。お前という奴は、それは……予想外だぞ!」


 珍しく、那由多が色を失って大声を上げている。


 凶霊と戦ったときも、彼は表情一つ変えなかった。どんな場合でも冷静沈着。それが、典晶が抱く那由多の印象だった。


「クソッ! 想定外だ……!」


 長い髪をかき上げ、額を押さえた那由多は、そのまま力なく座り込んでしまった。


 何事かと、食事中のイナリや宇迦までもが廊下に出てくる。


「ハロ……! 何とかならないのか?」


 電話の相手はハロのようだ。確か、彼女は一足先に帰っていたはずだ。もしかすると、地元で何かしらのトラブルに巻き込まれたのだろうか。あの那由多が頭を抱えてしまうほどのトラブルとは、一体どんなことなのだろうか。


「神様絡みのトラブルかな?」


 心配そうに文也が囁く。


「かもしれない。あの素戔嗚を子供の様に手玉に取る那由多さんが、あれほど狼狽するなんて……」


「ルシファーとか、サタンとか、そんなレベルか?」


「…………」


 どうなのだろう。今まで出会った神様達は、皆陽気なタイプだった。しかし、那由多が無限獄へ落とすような悪魔もいることは事実だ。もしかすると、誰もが知っているメジャーな悪魔が暴れているのだろうか。


「……お前の力じゃ、どうにもならないか……」


 力なく那由多は呟く。これ程までに落胆した那由多。一体、ハロに何が起こったというのだろう。


 舌打ちをしながら那由多は立ち上がった。その手は硬く握られており、壁に押し当てられていた。


「俺は、お前に二万渡したはずだ。お土産と電車賃でも、十分にお釣りがくるだろう。しかも、家に帰らず旅館で一泊しただと? お前、母さんに連絡は入れたんだろうな?」


 どうやら昨日、ハロは自宅に帰らず近くの温泉旅館に泊まったようだ。話の内容からして、お金が足りない、そんな所だろう。イナリと宇迦は、話に緊急性がないと判断し、さっさと戻って食事の続きを始めた。


「………ちょっと待て。お前、昼になに食ったって言った?」


 那由多の声が沈んだ。雑になったその口調から、静かな怒りが感じられる。


「………美味しい牛肉? 鉄板の上で焼いて、目の前で切ってくれた? お小遣いも全て使い切った?」


 鉄板焼きの事を言ってるのだろう。


「緊急性はなさそうだな」


「そうだな」


 典晶と文也はクルリと回転すると、食卓へ戻った。直後、背後から那由多の怒鳴り声が響き渡った。


「お前! なに食ってんだよ! 鉄板焼きなんて食ったら、俺の渡した二万じゃきかないだろうが! え? 鞄の中に入っていたお金を使った? バカ天使! それは俺の小遣いだよ! 緊急時のために、いつも入れてあるんだよ! お前! ハロ! 殺す! 絶っっっっっ対に殺す!」


 初めて聞く那由多の怒鳴り声に、イナリはビクリと体を強ばらせる。


「ありゃ、本気だな。殺気がビンビン伝わってきやがる。ハロのヤツ、本当に殺されるんじゃねーか?」


 素戔嗚は面白そうに笑うが、それを聞いているこちらは笑い事ではない。皿に盛られていたピクピクと動く蝉をつんつんと突きながら、典晶は背後から聞こえる声に意識を向けた。


「どうにかして金を稼ぐから、知恵を貸せ? 良し、良い方法がある。お前の体を使え! え? 数分で稼げる仕事? だったらあるだろう? お前が毎晩、部屋に籠もって楽しんでいる、 エロ漫画やエロゲーの様に、オッサン相手に体を売れ!」


 隣でブッと文也が水を吐き出す。衝撃的すぎる言葉に、典晶の箸は力が入り蝉を貫いてしまった。


「エロゲー? なんだ、それは?」


 イナリが尋ねてくるが、「ゲームだよ、ゲーム」と典晶は適当に答えをはぐらかす。素戔嗚が身を乗り出して説明を始めようとしたが、それは宇迦の鋭い一瞥で阻止された。


「クソ天使が。最悪だぜ」


 ブツブツと文句を言いながら、那由多は戻ってきた。


「トラブルみたいですね?」


 那由多は「ああ」と言いながら、ドカリと座る。


「ハロが命令を無視して、家に帰らなかった。折角の遠出で、旅行気分を味わいたかったんだと。しかも、昼食で鉄板焼きを食いやがった」


「………今日もうちに泊まっていきますか?」


「いや、明日は学校だしな。帰りの新幹線の時間も考えると、そろそろあちらに戻らないといけない」


「そうだぜ、典晶。俺達も帰らないと」


「そうだったな。……イナリ、君も一緒に」


 イナリは頷くと、スクと立ち上がった。


「母様、そう言うことだから、私は人間界に戻る」


「ええ」


 宇迦も立ち上がった。素戔嗚も同じく立ち上がる。


「よし! 腹も満たされたことだし! 帰るか!」


 素戔嗚の号令に、典晶と文也は同時に腰を上げた。

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