八話



 亜空間は那由多の柏手一つで消滅し、現実世界へ帰ることができた。文也、美穂子、理亜は未だ目を覚まさない。

「とりあえず、アマノイワドじゃな」

 八意の言葉に、誰も異論を唱えなかった。美穂子と理亜の様子が気がかりだったが、人間の医者に診せた所で解決する問題とは思えない。

 ヴァレフォールやトールの力を借りて、気を失っている三人をアマノイワドに運び入れた。奥の座敷に布団を敷き、八意が見たこともない薬草を煎じた薬湯を持ってきた。

 大きな座敷には、典晶の他に、イナリ、那由多、八意、ハロ、ヴァレフォールがいた。

「これを飲めば、霊障も良くなるじゃろう。凶霊に取り憑かれていた理亜は、少し時間は掛かるが、問題は無い」

「霊障……?」

 八意は典晶にも湯のみを渡した。ドロッとした黒い液体が並々と注がれている。つんと鼻をつく匂い。顔を近づけると、刺激臭のために目が痛くなる。漫画的に表現するなら、ドクロの湯気が立ち上って感じだろうか。

 横になっている三人には、ヴァレフォールが水差しを使って飲ませていた。三人とも余程深く眠っているのだろう、少し咳き込みはしたが、起きる気配はない。

「霊障とは、凶霊などの瘴気に当てられた事を指す。私とハロは瘴気に当てられて身動きも取れなくなってしまったが、人は少し体調不良を起こすだけで済む。ただ、しっかりとケアをしないと、体調不良が長引くことになる」

 躊躇うことなく、イナリは薬湯をくいっと飲み干す。口の端に付いた黒い固形物を、ペロリと赤い下で舐めた。

「ふむ、母様の薬湯には負けるが、なかなかの味だな」

「隠し味は、乾燥させたウデムシとヒヨケムシじゃ」

「なるほど」

 手にした湯飲みを落としそうになった。ウデムシも、ヒヨケムシも、奇虫と呼ぶに相応しいグロテスクな昆虫だ。日本には生息していないため、典晶も動画サイトや図鑑でしか見たことがない。

「本当に飲むの?」

 典晶はイナリと八意に確認する。

「飲む飲まないはそちの自由じゃ。ただし、明日以降体調が悪くなっても儂は知らんぞ。人は不用心にも心霊スポットなどに行って、凶霊などの瘴気に当てられる。肩が重い、熱っぽくなる、怠いなどの霊障が起きる。酷いときには、精神に異常をきたす。完治するまでに数ヶ月から数年かかることもある。今回、そちは凶霊の懐に入り、もろに瘴気を受けた。今はなんともないが、後から大変なことになるぞ」

「飲んでおいた方が良いと思うよ」

 八意の言葉に、那由多は賛同する。彼が手にしている湯のみには普通のお茶が入っている。那由多には霊障など関係が無いのだろう。

「そうだ、飲んでおいた方が良いぞ。少し匂いはきついが、味は悪くない。私は、風邪を引いたときなどは、良く薬湯を母様に作って貰ったぞ」

 生きたままの蛍をバリバリ食べるイナリだ。ウデムシだろうがヒヨケムシだろうが、彼女にとっては、典晶が魚や鶏肉を食べるのと同じ感覚なのだろう。だからといって、これを飲まないわけにはいかない。気を失っている三人は、ヴァレフォールによって、もうかなりの量を飲まされている。気を失っている文也を羨ましく思いながらも、典晶は意を決して湯飲みを口に運んだ。

「南無三!」

 ドロッとした黒い液体が、刺激臭と共に口の中に入ってくる。焼けるようでいて、刺すような痛みが口内を駆け巡る。続いて、生臭さと土臭さが混じった匂いが口から鼻に抜けてくる。吐きだしてしまう。典晶は湯のみを置くと、口を押さえた。

「飲むのじゃ」

 お茶を啜りながら、八意は典晶を見て目を細める。

「そうよ、典晶君。明日から動けなくなっちゃうわよ。もしかすると、明日から頭がおかしくなって、見えないものとか見えるようになっちゃったりして」

 ハロがおかしそうに笑うが、典晶には笑っていられない。この薬湯の味も冗談では済まされない不味さだが、それ以上に典晶は霊障が恐ろしかった。八意の話を要約すると、霊障に当てられると、怪奇特集などでよく見る、幽霊に取り憑かれた状態、若しくは、呪われた状態になるのだろう。

 液体と言うよりも、粉っぽい薬湯を典晶は嚥下した。どろりとした液体が、ゆっくりと喉から胃の中へ落ちていく。口の中に残るのは、不愉快なザラザラした感触と、小さくて固い破片のようなもの。典晶は吐き気をなんとか押さえ、まだ残っている薬湯を飲み干した。

「まあ良いじゃろう。人にしては、上出来じゃ」

 嬉しそうに微笑んだ八意は、空いた湯飲みを持って下がった。那由多が渡してくれた緑茶で口の中を整えた典晶は、改めて横になっている三人を見た。

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