十三話

「ア、アニキ!」


「アニキではない! お姉様と呼べ」


 ゲシッと、月読の履く下駄が素戔嗚の顔にめり込む。


「大丈夫でしたか、典晶、イナリ」


 月読は薄い唇に笑みを浮かべこちらを見た。彼女の登場に安堵した典晶は、ホッと息をつくと、ヘナヘナとその場に腰を下ろした。


「大丈夫です!」


 元気な声が響いた。彼、文也は先の素戔嗚と月読のやり取りを全く無視し、穢れのない純粋な眼差しで月読を見つめていた。


「まあ、なんじゃ。奥に入れ。茶ぐらいだそう」


 手を叩いた八意は素戔嗚と月読、そして典晶を見て目を細めた。


「此奴等に今日起こったことを話してみろ。それに素戔嗚、そちは典晶から少し話を聞き、アドバイスをしてやれ」


「ええ? す、素戔嗚……様、から?」


 何となく『様』をつけてしまった典晶。やっと月読の足元から脱出した素戔嗚は意外にも、「おう、構わねーぜ」と快諾してくれた。


 イナリと文也、月読は八意と共に奥へ行き、典晶は素戔嗚に連れられてアマノイワドを出た。




 素戔嗚の後に続き、典晶は高天原商店街を歩いた。


 オタクを通り越し変質者レベルの素戔嗚。これが現実世界なら、道行く人に通報されてもおかしくない。


 神様の住む高天原。一見すると片田舎の商店街だが、道行く人は、人に似ているような姿をしていても、やはり何処か違和感がある。身につけている物は着物だったり洋服だったり様々だが、どれにもズレを感じる。月読や八重もそうだったが、彼女は和服を身につけていたが、何処かしらアクセサリをつけてオシャレをしていた。和洋が入り交じった服装は、馴れない典晶には消化不良の違和感を残す。


 それに、時折すれ違う神様の中には、明らかに人間とは姿形が違う神々も混じっていた。半魚人の様な神、鳥の様な神、虎やライオンが服を着て歩いている場合もあった。


「安心しろや、奴等は人間を食ったりしねーよ」


 典晶の不安そうな表情を見て察したのだろう。素戔嗚は楽しそうに破顔しながら言った。


「素戔嗚様、ここに人間が来ることは珍しいのですか?」


 やはり、何処を見ても人間の姿はない。それどころか、道行く神様達は、不思議そうにこちらを見てくる。


「ああ? まあ、そうだな。普通は此処にはこられないからな。時たま、運悪く迷い込んでくる奴はいるがな」


「そういう人たちは、どうするんですか?」


「大概、死んでるな。生きていたとしても、発狂している。お前達はすぐに来られたかも知れないがな、偶然、運悪く扉に入った人間達は、あらゆる次元をたらい回しにされ、その最中に命を落とすか、精神を壊すか、どちらかになる。向こうじゃ、神隠しって言われている現象のようだがな」


「そんなに危険なんだ」


「お前達は安心しな。歌蝶と宇迦の加護があるし、この世界を認識できているから問題はねーよ。……と、そうだ。俺のことは素戔嗚で良いぜ。『様』付けはこそばゆくていけねーや」


「ですが」


「ため口で良いぜ」


 素戔嗚はニッと笑うと、典晶の肩に腕を回した。丸太のような腕は見た目以上に重く、典晶はふらついた。それを見て、素戔嗚は「ガハハハ」と、豪快に笑う。


「お前も萌ちゃんのファンなんだろう? だったら、俺たちはもう友達だ!」


「あ、ありがとう、素戔嗚」


 恐る恐る答える典晶の心配を吹き飛ばすように、素戔嗚はもう一度典晶の背中を叩いた。


「おう、その調子だぜ!」


 最初に素戔嗚を見た時はどうなるかと思ったが、彼の豪快さ、自分を偽らない所は好感が持てた。


 途中、典晶は気になる十字路で足を止めた。アマノイワドからは、徒歩十分ほど離れた場所にある曲がり角。まだ日も高いというのに、その路地には闇が漂っていた。


「……ここは?」


 フワリと漂ってくる甘い香り。薄暗く、この先に何があるのか分からないが、典晶の注意はその闇の向こうに注がれていた。


「ん? そこか?」


 腕を組んだ素戔嗚が典晶の横に立った。彼は往来の真ん中で仁王立ちをし、路地を睨み付けている。


「ここから先には、行かない方が良いぜ……!」


 危機迫る声に、典晶は素戔嗚を見上げる。奥歯を噛み締めているのだろう、強ばった頬の筋肉に鋭い眼光。彼の顔には、苦渋の色が見て取れる。


 あの素戔嗚が、ロリコンだが力だけは強そうな素戔嗚さえも恐れさせる何かが、この先にあるというのだろうか。


 ふと、典晶は道に立っている標識を見た。そこには、根之堅州國(ねのかたすのくに)と記されている。


 典晶は唾を飲み込んだ。ぶわっと全身から汗が噴き出る。根之堅州國と言う事は、ここから先はあの世と言う事なのだろうか。確かに、この先の路地に満ちる闇を見ると、あの世の入口と言われても納得がいく。


「いいか、おめーはこんな所に来るんじゃねーぞ」


 素戔嗚は悔しそうに歯ぎしりをする。彼は憎々しくこの先を見つめている。


 彼の母親、伊邪那美(いざなみ)は国生みにおいて火の神である迦具土神(かぐつち)を産み落とした際、陰部を火傷しそれが元で根之堅州國へ下った。


 彼、素戔嗚は伊邪那美に会いたい一身で、自ら収めるべきはずの海を捨ててしまう。そして、父である伊邪那岐(いざなぎ)に追放され、姉である天照へ別れの挨拶へ赴き、あの天岩戸の事件が起こるのだ。


 全ては、この先にいる伊邪那美がトリガーとなっている。

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