一〇話

「まあ、仕方ないさ。とりあえず、今は落ち着いたんだ。那由多さんが来るまで待とうぜ、な?」


 気まずいな雰囲気を感じ取ったのだろう、文也が努めて明るい声で言う。イナリも「そうだな」と呟いた。次の瞬間、イナリは糸の切れた人形のようにその場に膝をついた。苦しそうに口を開け、必死に呼吸をしようとしていた。


「イナリ?」


 典晶と文也はイナリに駆け寄る。


「どうした? イナリちゃん?」


「おい! イナリ!」


 典晶はうずくまるイナリの背中に手を置いた。玉のような汗を浮かべるイナリの体は、焼けるように熱くなっていた。


「こんな時に……」


 歯を食いしばったイナリは典晶の腕を握りしめた。潰されるのでは無いかと思うほど強く握られた典晶は、顔を歪めたが、それ以上にイナリは辛そうにしていた。


 イナリの体が淡い光に包まれる。それは、イナリが狐から人間になるときの光に似ていた。


 典晶を掴むイナリの手が徐々に小さくなる。手だけでは無い、光に包まれたイナリがどんどん小さくなっていく。


「もしかして……。狐に戻るのか? このタイミングで……!」


 真っ先に思い浮かんだのは、午後の授業だ。流石に、狐のまま授業を受けさせるわけにも行かないし、本当のことを言っても信じてもらえるはずが無い。


「……大丈夫だ。狐に、戻りはしない……」


 苦しそうにイナリは言う。そして、光が消え去った後に残ったのは、確かに、狐ではない、人の姿をしたイナリだった。


「………」


「………」


 典晶と文也は唖然とイナリを見た。見下ろした。


 言うとおり、イナリは狐には戻っていない。ただし、イナリは小さくなっていた。小学生低学年程度まで、イナリの体は縮んでいたのだ。


「あっ……ああ……!」


 典晶は二の句が継げなかった。果たして、この状況をどうすれば良いのだろうか。


「ふむ、小さくなってしまったな」


「縮んだな……。イナリちゃんのグラマラスなボディーが見る影も無い」


 ダブダブの制服を身につけたイナリを見て、文也が残念そうな溜息を漏らす。


 その時、階段の上の方から話し声が聞こえてきた。実習室の掃除が終わったのだろう。大勢の足音が聞こえる。


「ヤバイ!」


 典晶はイナリを抱きかかえようとして思いとどまった。このままイナリを抱いて逃げたところで、人目に付かず移動するのは困難だ。


「どうする? 典晶!」


 テンパっているのだろう、文也はその場で駆け足を始める。


「………」


 イナリは頬を掻きながら、「致し方なし」と小さく呟くだけだ。


「イナリ!」


 典晶は閃いた。この場を切り抜ける方法は一つ。


「狐になって、俺の胸に入れ! 文也は制服を持って!」


「そうか、私が狐になれば、人目に付くことも無いか」


「おお! 逆転の発想だな!」


 言うが早いか、イナリは子狐に戻ると、典晶の胸に飛び込んできた。典晶は制服の胸にイナリを押し込む。文也は脱ぎ散らかされた制服を抱える。その中にパンティーとブラジャーがあったが、「ゴメン!」とイナリに一言入れると、制服に包むようにして入れた。


「とりあえず、撤収!」


 典晶と文也は始業のチャイムを聞きながら、一目散に南校舎を出て人目の付かない体育倉庫へと向かった。


 その後、典晶はイナリと制服を体育倉庫の片隅に隠し、担任教師にイナリが早退したことを告げた。先の一件から、イナリが体調が悪くなったとしても不思議では無いと判断したのだろう、担任教師は典晶と文也の言葉を疑うことなく認めた。


 授業が終わると、典晶は子狐になったイナリをすぐに迎えに行き、とりあえずアマノイワドへと向かった。

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