七話

 山崎晴美。初めて聞く名前だった。道すがらスマホで調べてみると、半年前に工業団地付近の交差点で交通事故で亡くなったようだ。


「即死だったらしいな……」


 文也の持つスマホを覗き込む。画面には、交通事故直後と思われる写真が映っていた。交差点に立つ信号機に突っ込み、大破しているトラック。その前には黒いハイヒールが、少し離れた場所には中身の散乱した紺色のハンドバッグが転がっている。トラックと信号機の間には、黒い染みが広がっていた。


 即死。その言葉が典晶の脳裏を掠める。その瞬間、晴海は何を思っていたのだろう。いや、何も思わなかったのかもしれない。思うことなく、一瞬で亡くなってしまったのか。そういう時、人の魂はどうなるのだろうか。考える暇も、覚悟する暇も無く死んでしまう。その場に残された魂は、一体何を考えているのだろうか。加害者への恨みか、それとも、残された者への愛情か。


 典晶達は問題の交差点へ辿り着いた。


 傾き始めた太陽の光はまだ熱かったが、その色は何処か黄昏を感じさせるかのように薄暗かった。少し湿り気を帯びた生暖かい風が吹き抜けていく。


 嫌な汗が流れてきた。


 なんの変哲も無い交差点。そこで、凄惨な事故があったなど、誰が想像できるだろうか。激しいエンジン音を上げ、トラックが何台も目の前を通り過ぎていく。山崎晴美は、此処を通過するトラックの一台、偶々運転を誤ったトラックに跳ねられたのだ。


 コンッ!


 鞄のイナリが鳴いた。


「おい、スマホ」


 文也に言われ、典晶はスマホを取り出した。現場の交差点で、典晶はぼんやりしてしまったようだ。


 アイコンをタップし、八意からもらったソウルビジョンというソフトを立ち上げる。暗転した画面の右端からコミカルな二頭身の八意が登場し、魔法の杖を振って光を散りばめる。右下に表記されたプロデューサーの名前に、八意と菅原道真の名前が出ていたが、それは見なかったことにした。


 ソウルビジョンが立ち上がった。画面は写真や動画を撮影するときのように、カメラに映し出された映像が表示される。


 典晶はスマホを目の高さまで持ち上げ、グルリと周囲を映し出す。右に九〇度回転したとき、画面に血に染まったパンツスーツの女性が映り込んだ。典晶はそのまま回転を続け、再び元の位置に戻った。


「どうだった? 晴海の幽霊は見つかったか?」


「……ん、まあ、それらしきものは一瞬映り込んでいたんだが……」


 日が傾き初め、交差点に伸びる影が長くなる。スマホを視界から外し、グルリと周囲を見渡すが、血に染まったスーツ姿の女性はいない。


「………」

 典晶は鞄に収まっているイナリを見つめる。イナリは大きな目を夕日に輝かせ、こちらを見上げていた。期待の籠もった眼差しに思えるのは、きっと気のせいではないだろう。


 典晶はもう一度どスマホを女性が見えた方向へ向けた。


 スマホの画面に白い顔をした女性のアップが映し出された。


「オウワァ!」

 スマホを放り出してしまった典晶は尻餅をついた。空を飛んだスマホを、文也が持ち前の運動神経で見事キャッチした。


「おいおい、何が映ったんだよ……。大げさだな、お前……」


「ナニが映ったんだよ! 見てみろ!」


 文也はスマホの画面を見ながら、「そんな腰を抜かすような物が……」と、そこまで言った文也の体がグラリと揺れたかと思うと、その場に倒れてしまった。


「おおい! 文也! しっかりしろ!」



 五分後。


 典晶達は近くの公園に移動していた。


 ベンチに腰を下ろし、ジュースを飲んで一息を入れる。


「覚悟しておかないと、確かにビビるな」


「ビビるどころか、気を失っていただろ、お前」


 頼りにならない親友を肘で小突きながら、典晶はもう一度ソウルビジョンを立ち上げた。


 いつの間にか、バックからイナリが抜け出しており、典晶の前に存在する虚空を見つめている。


「俺、幽霊やスプラッターが苦手なんだよな」


「鬼女の息子が何を言ってんだよ。何もできない幽霊よりも、歌蝶さんの方が百倍怖いぜ? 神様である八意ちゃんをぶん殴ってトラウマを作るほど、ガチなんだからさ」


「確かにな。俺は今日、誓ったことが一つあるよ。絶対に母さんを怒らせるのは止めようってな」


 深呼吸した典晶は、意を決してスマホの画面を覗き込む。やはり、目の前に白い顔をした晴海が映っていた。瞳孔の開いた晴海は、髪がボサボサで服装も乱れている。何よりも、スーツの至る所から血がジクジクと滲みだしており、ポタポタと背筋が凍るような音を立てている。


 一歩後ずさった典晶は、スマホ越しに声を掛けてみる。


「あの、山崎晴海さん……ですよね?」


 典晶の問いに晴海は頷く。


「この度は、ご愁傷様です……」


 典晶と文也はぺこりと頭を下げる。


「貴方達は?」


 嗄れた声がスマホのスピーカーから聞こえて来る。文也が肩越しに画面を見て「うへぇ」と声を上げる。


「えっと、天安川高校二年の、土御門典晶です。足元にいるのが葛ノ葉イナリ」


「俺は伊藤文也」


 晴海は頷く。今にも閉じそうな目には輝きがなく、口は弛緩したようにだらしなく垂れ下がっている。何の感情も彼女の表情から受け取れない。怒りも、憎しみも、悲しみさえも感じられない。


「その……俺達は……」


 典晶は言葉に詰まった。何て言えば良いのだろうか。ゲームのように話しかけたらクエスト開始、そんな事があるわけもない。死んでいる人間に対して「助けに来ました」と言うのもおかしいだろうし。「苦しみから解放してやる」、と言えるほど晴海は苦しんでいるように思えない。


 コンッ


 足元のイナリが吠えた。クルクルと晴海の足元を回転しながら必至に吠えていた。


「あら、私の望みを叶えてくれるの? それは嬉しいわ」


 画面の中の晴海の表情は何一つ変化が見られないが、言葉には嬉しそうなニュアンスが感じ取れる。


「イナリ、お前は幽霊と話せるのか?」


 コンッ!


 当然だと言わんばかりにイナリは後ろ足で立ち上がった。典晶はイナリを抱き抱えると、頭を撫でてバックに入れた。


「実は、私の婚約者を救って欲しいの」


 そう言う晴海の表情は、相変わらず変化がない。文也と顔を見合わせた典晶は、コクリと頷くと「分かりました」と答えた。


 交差点で死んだ晴海は、いわゆる地縛霊と言うヤツかと思っていたが、彼女は拍子抜けするほど軽い足取りで典晶に付いてきた。そもそも、地縛霊や浮遊霊などというくくりが、本当に幽霊に対して適応されるのか、典晶には分からない。ただ漠然と、皆がそう言うからそう思っているだけなのかも知れない。だからといって、興味本位に晴海に「地縛霊ですか?」と聞くわけにもいかない。


「実は……」


 耳障りな嗄れた声がスピーカーから流れ出た。典晶と文也は耳を欹て、晴海の願いを聞いた。その内容は、晴海が死んだことにより自暴自棄になっている婚約者、野島健介の自殺を阻止すると言う事だった。

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