第44話 ウルピノンの救援

 ──私も闘います。


 碧眼に浮かんだ懇願は、ボリスを驚かせた。それは今までの彼女からは想像もできないほど強い、意志の光だった。


 だが、そういうわけにはいかない。

 魔鳥は人間を食する。何故か、ごくまれに空の民を襲うこともあるが、日常的な食料としているのは人間の若者だ。それも娘を一番に好む。


「この魔鳥は君を狙っているのだ、エルダ姫」


 ウルピノンの周囲に雷で結界を張りながら、ボリスは手早く説明する。

「ここにいたら、餌食にされる」

 ボリスの背後に飛んできていた魔鳥に、ウルピノンが炎を吐いた。熱風が吹いて、マントをひるがえす。ボリスはエルダが飛ばされないよう、マントの飾り紐でしっかりとウルピノンの背に固定した。


 ──でも、私には歌がある。


 エルダは口を開いたが、敏感に察知したボリスの手にふさがれてしまった。


「あれは殆どが分身だ。だから君の歌も効かない。本体はおそらく、この戦闘空域から少しはなれたところで分身を操っているだろう。歌はきっと届かない」


 するりとボリスの手が移動し、エルダの頬を撫でる。悲愴な碧の瞳が半分、隠れた。

「大丈夫だ。サーシャと一緒に父上のところに行け。以前、秘密の通路を通っただろう。サーシャが経路を知っている。父上がいる場所も、あの子が知っているから大丈夫だ。そこなら安全だから」


 ──でも!


 伸ばした手は、わずかに届かなかった。ふわり、と身を引いたボリスが『雷光剣』を振る。その切っ先から細い雷電が走り、まだ少し開いていた結界を閉じる。エルダを背に乗せたウルピノンは、光を放ちながら火花を散らす、球体に編まれた雷の中にすっぽりと納まった。


 ボリスが『雷光剣』をかざすと結界の放電が激しくなった。最初に放たれて細くなっていた雷電が新しいものと同じ太さに戻る。結界は、いきいきと火花を散らした。


「この結界は長くはもたない。早く行け」


 頷いて、ウルピノンは翼を大きく動かした。うかつに近づいてきた魔鳥が感電し、はなばなしい火花を浴びて、揺らめきながら姿を消す。背後からなされた青い炎の攻撃も雷電の結界は跳ね飛ばしてしまった。


 エルダはマントの隙間から、あたりを見回した。奇怪な姿の鳥の大群。対峙する警備兵の人数は圧倒的に少ない。それでもあちこちで善戦が繰りひろげられ、魔鳥は次々と消えていく。しかし、それらはすべて幻だ。


 上下に並んだ眼は、毒々しい赤だ。それが、首の回転によっていたるところに向く。その下の、鋭く、猛禽らしい曲がったくちばしが開くと、いやらしい緑色の舌が二又に別れているのが見える。よどんだ汚い灰色の羽根に覆われた体は丸々としていて、どうして空高く飛翔することができるのか不思議なくらいだ。


 そして、分身といえども、そのくちばしから吐き出される青い炎は実体である。その強力なこと、兵の持つ盾をも燃やしてしまう。もう何人もが身体のあちこちに火傷を負っている。

 後ろを見ると、その青い炎に身をつつまれて、のたうちまわる人影が見えた。


「……!」


 エルダは全身が痺れた。歌で炎を消してあげれば良いのだと思いついたころには、叫び声も届かぬほどに離れてしまう。あっという間に、ウルピノンは天空城の塔に行きついた。

 ボリスに張られた雷の結界が消えていく。


 塔の窓が開き、ウルピノンが背中を近づけていく。足が窓枠の上に乗ったが、マントの飾り紐に括りつけられているので、降りることができない。小さな手が紐の結び目に挑んだ。


「──うん、大丈夫。飾り紐なら見えるよ。マントやエルダさまはちっとも見えないけどね」


 サーシャだった。

 辛抱づよく、窓から離れないように羽ばたきつづけているウルピノンに答えたようだった。

 ボリスがよほど固く結んだのか、飾り紐はなかなか解けず、サーシャはたいそう苦労した。


「……よし、あと少し……そら!」

 サーシャに強く引かれてふわりとマントが広がった。中からエルダが現れる。

「よかった! お怪我はありませんか、エルダさま」

 腰に抱きついたサーシャの肩を、謝意をこめて軽く叩く。その背後で、ウルピノンが咽喉を震わせた。


「──うん……。わかった。ありがとう」

 エルダから身体を離し、サーシャはウルピノンと目をかわして頷いた。

「わかってる。大丈夫だってボリスさまに伝えて。それから気をつけてって。君もね!」


 塔から遠ざかるウルピノンを見送るために、サーシャは窓から身を乗りだした。その横にエルダも立つ。紅い子竜は背を向け、勇猛果敢に舞い上がった。


 すると、サーシャはすぐに窓を閉めた。その横で、エルダは『声読みの本』を取り出す。

(サーシャ、お願いよ。教えてちょうだい。あれは一体、どういう生きものなの?)

 エルダの言葉を読むと、少年の顔に影がさした。

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