第40話 虹水晶
「あれは『虹水晶』の光だ。名前のとおり、虹色に光っていて、強い力がある」
エルダはボリスに導かれて光のほうへ進んだ。近づくほどに滝の水を透かして入ってくる外の光は弱まり、光の粒は増えていく。出入口も見えないほど奥まで来ると、闇の中に幾千もの光の粒が浮かんだ。さながら満天の星のように。
「これが、この岩室が『星の洞窟』と呼ばれている所以だ」
息をのんだエルダの肩から『闇のマント』がすべりおちる。ボリスがそれを拾い、表に返して纏った。
美しい虹色が見る角度によってさまざまな色に見える。結晶の大きなものは複数の色を放っているが、それがまた、星が燃えているように見えた。
深く、しっとりとしたボリスの声。
「エルダ姫」
ふり向くと、彼は手の上に小ぶりの結晶を乗せていた。
「これが『虹水晶』の力だ」
そういうと、紫の瞳をまぶたで覆う。
ボリスの手の上で結晶が強い光を放った。
それは一瞬で小さくなったが、岩に浮かぶそれよりも、ずっと強い。と、結晶がボリスの手から離れた。驚くエルダの前で、結晶が宙に浮いたまま、くるくると勢いよく回転した。ボリスの手のひらから離れたり近づいたりしながら。
しばらくして、ボリスは浮揚しつつまわり続ける『虹水晶』の結晶をつかんだ。そして、手のひらを下向きにして開く。当然のことながら、それは地に落ちるはずだった。しかし、彼の手からは何も落ちなかった。
ボリスの指の間から虹色の光が漏れ出ている。結晶は、彼の手のひらに張りついているようだった。
「エルダ姫、僕の後ろに」
短く囁いた声は、結晶から意識を外さないよう注意しているらしい。いつもよりも少し強ばっていた。
エルダが背後に移動すると、ボリスは腕を伸ばした。
硬いものがぶつかる音がし、足元にかすかな振動が伝わる。エルダの目前で結晶が地面に吸いこまれた。見ると、そこには深い穴が開いている。穴の底には、虹色の光が瞬いていた。光は穴の縁から砂粒が落ちていくごとに弱々しくなり、やがて消えていった。
小さなナージ豆ほどの大きさしかなかった結晶が、これほどの深さの穴をあけたとは、とても信じがたい。それも、ボリスはべつに叩きつけたわけではないのだ。
「この結晶は、手に触れた者の強い思念を感じとり、強い力を放つ。この国では船に取りつけて推進力を利用しているが、いまのように使えば、武器にもなる」
ボリスの声には感情がなかった。
「たとえば、よほど強い思念の持主なら、触れていなくても、手のひらから思念を発射して操ることも可能だ」
ボリスが手のひらを穴の上にかざす。再び硬い音がして、砂粒が飛ぶと同時に虹色の光が彼の手に戻った。
ふわりとボリスが振りかえる。
「使い方によっては、これは危険なものだ。動かす時機や、強さを誤れば、ひとの命も奪いかねない。けれど、とても綺麗なものだ」
語りながら、あいているほうの手を岩の壁にかざす。すると、結晶という結晶が輝きを強めた。左右上下に移動する彼の手の動きに従い、光輝の強さは波のように変わる。手のひらの正面にある結晶が一番強く光っている。
「道具に取りつけたもの以外にこれを個人が所有することは許されていない。採掘を禁じる声も上がっている。でも、僕は『虹水晶』を見るのがとても好きだ」
エルダは黙ってボリスを見上げた。言葉など、なにひとつ浮かばなかった。白皙の顔が虹色を浴びている。その美しさは、えもいわれぬほどだ。
虹色の炎を浮かばせた紫の瞳が、エルダを見つめる。それは情愛に満ちた、優しいまなざし。深い安らぎを誘う瞳だ。
「君の声も同じだと思う。危険なこともあるだろうし、誰かを傷つける恐れもあるが、それでも君の歌声は美しかった。ウルピノンも、君の声は今まで聞いたどんな声よりも綺麗で、悲しげだったと言っていた。
君は歌で誰かを傷つけることなんてないのだろう? そうしようとしたこともないはずだ。でなければ、君の歌を悪用しようとした父上から、逃げてきたりなどしなかっただろう」
エルダの碧眼が見開かれ、みるみるうちに潤んでいく。かぼそい右手が口元を隠した。
「ここでなら、誰にも聞きとがめられることはない。だから──歌ってくれないか、エルダ姫」
エルダの左手に、ボリスは結晶を握らせる。それは、ほんのりとあたたかかった。
「この結晶に、それからここにある結晶すべてに、瞬くようにと歌えばいい。聞かせてくれ、君の歌声を」
エルダは初めて運命に感謝した。これほどの幸せは、呪いと魔法に翻弄されなければありえなかったからだ。
両目を閉じて、深呼吸する。そうして、花弁のような唇を開いた。
──── † † † ────
ウルピノンは首をもたげた。
ボリスの特殊能力に癒され、身体はほぼ、回復している。日々、訪れる人間の姫とは、いまだに視線を合わせることもできないが、少しずつにせよ、好意を感じはじめてきた。
優しく撫でる彼女の手のひらの、か弱いほどの柔らかさが、とても気に入っている。それから、あの気高い黒猫、マーロウ。彼女とは、たいそう気が合う。
雷に打たれたというショックは、体よりも心に打撃を残していたが、美しい毛皮の猫に言葉をもらい、竜族の誇りに傷をつけたわけではないのだとわかった。
ウルピノンは、既にドルゴランまで帰還できるであろう体力も取りもどしている。ただ、何が理由かはわからなかったが、まだここに留まるべきだと感じていた。まだ、この地を離れるわけにはいかないと。その理由が、いまようやく解った。
何か危険なものが近づいている。
邪悪な存在が、強大な力を持つ生きものが、この大陸に近づいてきている。
竜の感知力は、ときに神よりも鋭い。
ウルピノンは立ちあがり、そばにいる侍医を呼んだ。
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