第17話 目覚めた姫との対面
真っ暗なはずの通路の中に、光る玉を入れた かごが浮かんでいるので、少女は驚いたようだった。細い指を伸ばして触れようとするのを、あわててサーシャが止める。
「だめだよ、触ったりしたら火傷しちゃう。これは火球石だもの。小さいけど、
忠告に彼女は頷いて手を引いた。火球石の白い光が当たって、その顔は、いっそう白く見える。
サーシャは彼女の手の体温を感じながら、急がなくてはと思った。ほのかに温かさはあるものの、大変に冷たい。病気かもしれないと思うと、サーシャの胸は痛みに襲われた。
「こっちだよ。行こう」
十字路に来ると、サーシャは右を指さした。
「あと少しで、ボリスさまのお部屋に着くからね」
──── † † † ────
「どうなさったんですか、殿下」
長い廊下を駆け抜けるソーニャが前を走るボリスに問いかけた。リベルラーシ一の俊足として知られる彼についていけるのは、ソーニャくらいのものである。
「彼女は秘密の通路内に入ったのだと思う」
確信に満ちたボリスの言葉に、ソーニャは呼吸が止まりかけた。
「まさか! 出入口や経路を知っているのは、国王陛下と殿下、それにナボコフ大臣と私の父だけではありませんか」
「サーシャだ。あの子も知っている」
「殿下の童僕ですか」
「ああ。偶然にも入口を見つけたサーシャが迷いこんでしまったことがあって、そのときに一部の道を教えた」
ソーニャが沈黙したのはほんの一瞬だったので、ボリスは彼女が何を思ったのかを考える機会を逸した。
「そうでしたか。それでしたら、大臣と父を除けば、秘密の通路を使えるのは確かにサーシャしかおりませんわね。それで、ボリスさま。どこへ行かれるのですか?」
サーシャの名前を口にしたときにソーニャの声が苦々しさを帯びたのを聞きとって、ボリスの胸に小さなとげが突き刺さった。
「あの子は疑うことを知らない。何者に対しても警戒心を持たないし、心優しいあまりに、ときにおせっかいだ。だから、あの子が彼女を連れ出そうと考えたのなら、それは彼女のためになると思ったからに違いない」
深い信頼が、ボリスにそう断言させた。
「サーシャは人の善悪をまったく見分けられない子ではない。それに、誰かのために何かをしようというときは、必ず僕に相談してくるはず。つまり──」
「殿下の私室ですね」
ボリスは、ソーニャの言葉を背に、自分の部屋に行くための階段を駆けあがった。
「サーシャ!」
二枚目の扉を開けてボリスが部屋に入ると、ちょうど、本棚の向こうにある秘密の扉からサーシャが出てくるところだった。
「サーシャ」
荒い息で呼びかける。すると、サーシャの顔は驚きと喜びに輝いた。
「ボリスさま!」
サーシャは駆け出し、ボリスの正面に立つ。嬉しげな顔が主を見上げた。
「よかった、ボリスさま。お願いしたいことがあるんです」
ボリスの後ろに厳しい顔をしたソーニャがいるのを気にするそぶりもない。あどけない笑顔が秘密の扉のほうを向き、愛らしい声で呼びかける。
「大丈夫だから、安心して。この方が、ぼくのご主人さまなんです。さっき話したでしょう。あなたの力になってくださる方ですよ」
ボリスは、小さなサーシャの視線を追った。四角い闇の中から白い布が見え、ばら色のマントと金髪が出てきた。
ボリスとソーニャが息をのむ。
通路から現れた女性は、意識を失っていたときよりも、ずっと美しかった。
神秘的でありながら鳩のように優しげで、大きな美しい碧眼に見つめられて、ボリスの心臓は激しく跳ねる。
ソーニャが感歎の息をもらした。
「この方が、この城の王子殿下で、お名前はボリスさまです」
無邪気なサーシャを微笑みながら見下ろすと、彼女は優雅なしぐさで腰を落とし、外国式にボリスに敬礼した。
白い、柔らかそうなドレスの裾が繊細なひだを描き、長い金髪が床に広がる。
薄紅に染まった頬を、艶やかな金髪を、白くて細い腕を撫でてみたいという誘惑に駆られ、ボリスは身を固くした。一歩でも動けば、そのまま彼女を抱きしめてしまいそうだった。
書物や動物にばかり愛情を向けて、年若い女性を寄せつけないためにエリンをさんざん心配させている自分自身が、こんな気持ちになるなんて信じられない。はじめて抱いた感情に、ボリスは身がすくむような不安にさいなまれた。
不意に自分がとんでもなく不様でみっともない格好でいるのではないかと思え、恥ずかしさに目がくらんだ。シャツはよれよれだし、
春の空のように穏やかな碧の瞳が見つめてさえいなければ、すぐに逃げ出しただろう。しかし、いきなり背を向けて走り去ることがどんなに無礼で見苦しいことかを考えると、それはできなかった。
「ボリスさま?」
「殿下?」
サーシャとソーニャの視線に気づき、ボリスの顔はさらに火照った。
「ああ……いや。どうした?」
わざとソーニャの顔を避けながら、ボリスは気を取りなおした。
「その、僕に頼みというのは」
「はい」
サーシャの眉が怪訝そうに歪む。だが、それは一瞬のことだった。
「お願いしたいことっていうのは、このひとを助けてもらいたいってことなんです」
「え?」
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