第16話 予期せぬ事態

 ぐるりと4人の反応を見回してから、イワン王の視線はソーニャに向かう。


「それで、ソーニャ。何故、霧雲の中に娘がいることがわかったのだ」


 ソーニャの表情に、ほんの一瞬、悲壮らしきものが満たされた。


「……密告があったのです」


 苦りきった声だった。


「密告?」

「警備隊の兵が霧雲の中に違法なものを隠しているという告発があったのです。──いえ、告発ではありませんね。密告者は……」


 ソーニャの額にしわがより、嫌悪感がにじむ。唇が左右にひかれ、怒りを耐え忍んでいる。


「リジアという者です。城下町の片隅で占い小屋を営む占術師ですわ」


 将軍が息をのみ、怒鳴りだしそうな大口を開け、すぐに閉じた。


「あまり信用のおける者ではないのですが、下手に騒がれて良からぬ噂を広められてもと思い、仕方なく霧雲の調査をいたしました」


 フョードルが、さっとボリスの背後へ移動した途端──


「それで、なんだって、警備隊の隊長である おまえが、自らそんなことをせねばならん!」


 怒りが飽和した将軍は、一言でも怒鳴らなければ気が済まない。それを知っているので、誰もペトロフを遮りはしなかった。ただ、ウルピノンの瞳に剣呑が光った。しかし、ボリスに首を撫でられると、気持ちよさそうに目を閉じる。


「警備兵の犯罪に関する調査など、警察隊にさせることくらい、解っているだろう!」


 フョードルが小瓶を取りだし、蓋を開けて薬を飲み干す。それは半分くらい、彼の唇の端から顎に流れて床に落ちた。若い侍医が、さっと身をかがめてそれを拭きとる。


「ペトロフ。確かにもっともなことではあるが、ソーニャにも事情があったのだろう」

 せっかくの寛容なイワンの言葉だったが、半分以上は、フョードルの声にかき消されてしまった。

「将軍。ここは病室ですぞ。それにですな、いつまでもここで話し込んでおられる場合ではありません。いつあの娘が目を覚ますことか……」

「朝まで目を覚まさないだろうと言ったのは、君だろう!」


 とにかく、失神した人間の娘をいつまでも一人にしておいてもよいのか、と怯えているフョードルに急かされて、5人で謁見の間まで戻った。

 扉の前に立たせておいた近衛兵に異常なしという報告を受け、室内に入る。


「ボリス」


 最初に扉をくぐった国王が、背後の息子に緊張した声をかけた。

 最初に入室して安全を確かめようとしたが、国王にそれを固辞されたために控えていたペトロフ将軍が素早く反応し、ボリスの背後で剣を抜く。


 魔鳥や邪竜の予期せぬ来襲にも自若を保っている豪胆な父親が、こともあろうに動揺している。

 『雷光剣』に手をかけてボリスは室内に入った。

 だが、次の瞬間、彼は柄を握ったまま、立ちつくした。頭が真っ白になったのだ。

 ボリスとほぼ同時に室内に飛びこんだペトロフも、言葉をなくしている。


 フョードルとソーニャが遅れて謁見の間にすべりこむ。


「どうなさいましたか……これは!」

「……なんてこと!」


 3人の重臣は次々にに駆け寄ると、それぞれ普段の彼らに似つかわしくない行動をとった。

 ペトロフ将軍は愛刀から手を離して自分の額を押さえ、ソーニャは寝台に敷かれたマットをめくって人影を探し、フョードルは神に祈りはじめた。


「あの娘が見当たらぬ」


 うめくような国王の声を聞くが早いか、ペトロフが我に返って駆けだした。

 蒼白になった近衛兵がペトロフに引きずられてきて、5人が外したあいだ、誰も謁見の間に入らなかったし、出ることもなかったと言いつづけた。泣きださんばかりの近衛兵をフョードルが宥めかかると、彼は倒れこんだ。


 すっかり冷静さを失ったソーニャが、必死に答えを探すボリスの前で嘆息する。


「なんてことでしょう、ボリスさま……。こんなことが城の皆や民に知れたら、大混乱が起きます。いったいどうして──。

 ……あの女性に、この部屋から出ることはできなかったはずだというのに」


 ボリスが、はっと顔を上げた。無言のまま、彼は身をひるがえし、部屋の外へ突進する。思わずソーニャが後を追った。


「どうした!」

 父親の叫びに、ソーニャはかろうじて叫び返した。

「殿下が何か、思いつかれたようです!」

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