60:騎士 vs 魔王(再戦)
冬の隙間にぽっかりと開いた連休が明け、普段通りの授業が始まった。
英秋は終礼に集まったクラスの面々を笑顔で見渡した。日に日にパワーアップしていく女生徒たちの熱視線に気付かないふりを突きとおしながらも、女子列の中央にぽつんと空いた席にだけは自然と自分の目が吸い寄せられていく。今まで1日も空いたことのなかった席だった。
「関口は……休みか?」
出席を採る際に口に出してみたが、誰も知らないと首を傾げるだけだった。朝から誰にも連絡していないのだろうか。無断欠席など、花乃に限ってあるはずがないと思っていた。
(……風邪でもひいたのか)
その可能性が高すぎて、英秋は微かに唸った。もしそうだとすれば自分のせいのようなものだ。教師が生徒に風邪をひかせるなんて言語道断もいいところだろう。
自嘲のクセを我慢して英秋は終礼を終え、高く鳴り響くベルと同時に飛び出していく生徒たちを見送った。すかさず女生徒たちがわっと教卓まで駆けよってくるが、コロンの香りに英秋が取り囲まれる寸前、黄色い女子の声を割くようなアルトが教室に響きわたった。
「磐城先生」
振り返った英秋の目に、教室のドアのところに佇む――いや、仁王立ちといったほうが正しかったが――少女が映る。媚びのかけらもない瞳を英秋に据えて、彼女は言った。
「うちの花が枯れそうなんですけど」
女生徒たちはその意味が掴めずきょとんとした顔で立ち止まり、その隙を縫うようにして英秋は少女の元へ歩み寄った。
見上げてくる目を一瞥して、英秋は思わず視線を逸らした。人間に特殊能力が持てるなら、この女は間違いなく目からビームを出すはずだと思った。
「話すのは人のいないところがいいわ、アンタにとってね」
「言われなくてもそうするとも」
そうしてやってきた教材資料室――そこが二人の再戦の場になった。
ドアを閉めるやいなや、佳乃は両腕を組んで英秋に向き直った。先ほどまで必死で押しこめていたらしい怒りは、箍が壊れたのか、顔面にありありと露出していた。
「この変態ペテン教師。よくものこのこと学校なんかに来れたものね」
「君も相当ペテン入っていると思うんだが、まあいい。姉さんを連れ出したことを怒ってるなら、それは謝ろう。非常に軽はずみなことだったと思っているからな。でも――」
そこで不自然に言葉を切ってしまったことに内心舌打ちながら、英秋は続けた。「当然のことながら、君の心配するようなことはなかった」
「『心配するよーなことは、なかった』?」
佳乃はわざとらしく反芻してみせ、突如積み上げられた辞書の山を上から思いきり叩きつけた。
「だったら、なんで花乃が学校にこないと思ってんのよ、このバカ男!」
英秋は思いがけず言いよどみ、初めて眉根を寄せた。「……風邪でも引いたのか」
「ひ――ひかせるようなことした覚えが」
「ない」
叫びだすと止まらなくなりそうだったので、英秋は慌てて遮った。自分がこれほどペースを掻き乱されるとは思わなかったので内心閉口していた。関口と名のつく双子は鬼門だ。
佳乃は、沸騰した脳味噌を冷やそうとしているのかしばらくこめかみを押さえてじっと目を閉じていたが、やがて顔を上げた。「アンタ、花乃に何をしたの――あの傷はアンタがつけたの」
「傷?」
今度こそ英秋は耳を疑った。だが彼が尋ね返すよりも早く、佳乃は大きく怒鳴った。
「花乃はアンタのせいじゃないなんて言ってるけど、絶対に信じないわ。あんな優しい子をよくも……あたしをここまで怒らせたのはアンタが初めてよ。絶対に許さない!」
佳乃の憎悪に満ちた目には涙が浮かんでいた。英秋が知らないと言ってもまず聞くような状態ではなく、なにより英秋にもその余裕がなかった。自分が何か花乃を傷付けるようなことをしただろうか、それとも自分と別れたあとになにかあったのか。考えようとしたけれど、佳乃の甲高い喚き声が邪魔でうまく頭が働かない。
英秋は知らずのうちに、扉に手をかけていた。いいわけもせずに突然踵を返した英秋に佳乃は激昂し、定まらず震える指をその背につきつけて叫んだ。「もう絶対に花乃に近づかないで!」
英秋は扉を開け、振り返りざま、ほんの微かに微笑んだように見えた。長い前髪の奥の切れ長の瞳が少し細められただけだったけれど、まるで泣くような笑い方をする男だと思った。
だがその薄い唇が紡ぎ出した微かな言葉を直感で読みとって、佳乃はさっと顔色をなくした。
『――いやだといったら?』
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