21:騎士 vs 魔王

 最初二人は声を出すこともできなかった。

 花乃は騒がしく飛びこんできた分身とも言える少女を眺め、何度もその大きな目をぱちぱちと瞬いた。あまりのタイミングの良さに、本気で夢かと思った。それから横目でそろりと教卓の教師を見やり、半ば口を開いたまま完全に凝固しているその姿をとらえた。

(やっぱりセンセイ、知らなかったんだ……良かった、これで誤解がとけそう)

 あとはすべて佳乃に説明してもらえれば――そう思って口を開きかけた花乃は、ものすごい剣幕で駆け寄ってきた佳乃の叫び声に気圧されて口を噤む羽目になった。

「花乃、大丈夫!? 何もされてない!? 早くこっちへ! そいつから離れて!」

「え、わあ、よしのちゃ……」

 慌てる花乃を問答無用で自分の背後に押しこんだ佳乃は、両足を踏ん張って教卓に向き直った。カバンの中から取り出した折りたたみ傘の柄を伸ばして、ぶんと振りかざす。

「あたしの花乃にストーキングするなんて、いい度胸してるじゃないのー!」

「す、すとーきんぶ?」

 花乃が間抜けに反芻している声も、佳乃の耳には入らなかった。えらそうな格好で教卓の椅子に座り込んでいる男は、間の抜けた顔で佳乃と花乃を眺めたまま一言も口をきかないのだ。逃げも慌てもしないその様子に佳乃は腹をたて、傘を振りまわしながら絶叫した。「何なのアンタ先生でもないクセにそんなとこに座り込んで! 花乃にまとわりついて何かしようっていうのなら、その前にあたしがもう一回そのアゴ凹ませてやるから! く、くるなら来なさいよっ」

 花乃は佳乃の腕を掴んで、背後から飛び出した。「待ってよ佳乃ちゃん」

「お前ら……ふたごだったのか」

 そこで初めて英秋が口を開いた。いまだ座り込んだまま額に手をあて、同じ顔、同じ背丈で佇む二人を見ていた。凍りついたような表情から読み取れるものは少なかったが、その声は優越を語っていた今までの声音とは明らかに異なり、心底驚いているのだろうと花乃にはわかった。

「見りゃわかんでしょ、第一ヘンタイにお前ら呼ばわりされる覚えはないっつの! さあ職員室へ行きましょうか、証言して不法侵入と婦女暴行未遂で警察に突き出してやる! 先生達に向かって弁解でも何でもしてみれば?」

 むちゃくちゃな言いがかりに、それまで黙っていた花乃も佳乃の袖を引いて囁いた。

「佳乃ちゃん、この人がセンセイだよ……」

「ああ?」

「新しくきた英語の先生。磐城センセイだよ」



 それはもう面白いほどに長い沈黙。



 傘を振りかざしたまま、佳乃はようやくからくり人形のような動きで振り返った。ぎこぎこ、と首の筋が音を立てる。その視線はすでにあらぬ方向に泳ぎ出していたが、裏返りかけた声だけは辛うじて花乃に向かっていた。「センセイ? ……こ、こいつが?」

「こいつって誰に向かって言ってるの? ねえ佳乃ちゃん、文化祭のときにセンセイに会ったのね。そ、そのときに……まさか、センセイ殴ったの? さっき、アゴへこませたって言ったよね? どうして?」

 佳乃はいまやじりじりとドアに向かって後じさりを始めていた。こうなるともう柄だけ伸びた折りたたみ傘の哀れなこと極まりない。

 花乃の気迫に押されるかたちでドアのもとへ辿りついた佳乃は、ひっきりなしに瞳をあっちへやったりこっちへやったりしながら喘いだ。

「だ、だってアイツ、怪しかったんだもん! 花乃のこと、考えなしで無茶ばかりしやがるサル並にバカなガキ、とか言ってたし!」

「待ておれはそこまで言ってない」

 英秋の控えめな反論は恐慌した佳乃に黙殺された。

「な、何を勘違いしてたか知らないけど、いきなり足払いとかかけられたら驚くでしょ!? いきなり抱きあ――かつぎあげられてるんだよ? 理由もなくそんなことされたから、つい手が」

 花乃はにっこりと微笑んだ。

「もちろん、センセイにあやまったよね?」

 恐怖の微笑だった。


 佳乃はドアを弾き開けて廊下に飛び出し、全速でその場を逃げ出した。花乃が名を叫んでも立ち止まらないことなど稀だ。それほど動揺しているらしかった。

 花乃も花乃で、珍しくこの時はこのまま佳乃を見逃す気にはなれなかった。机に広げた教科書と筆記用具をひとまとめにしてカバンに押しこんだあと、呆然と佳乃が出ていったドアの向こうを凝視していた英秋の前で一礼してまくしたてた。「あの、ごめんなさい、佳乃ちゃ――わたしの妹がひどいこと言って。あの、すみませんけど今日はコレで失礼させて下さい! 色々説明しなきゃいけないことあるみたいなんですけど、それは必ず明日……明日来ますからっ! すみません~!」

 言い終わるが早いか、英秋の返答も待たず花乃もまた教室から飛び出した。遠ざかる足音を聞きながら、英秋はようやく大きく息を吐き出し、疲れ果てた様子で教卓の上に肘をついた。

「双子……」

 見りゃ判るでしょ、と言った『妹』の方の顔がよぎる。並べれば確かにそれは一目瞭然だ。だが。

「見なきゃわかんねえよ、双子だなんて」

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