挑戦!源氏物語・2

「お願いっ! 頼む、佳乃ちゃん!」

 佳乃は自分の勘の良さを改めて実感し、同時に激しい脱力感に襲われた。

 落葉も鮮やかな中庭、目の前で合掌した両手を必死で上下させているのは忍、その言い分はといえば。

「紫は藤壺女御とうりふたつ、藤壺は桐壺更衣とうりふたつっていう設定なんだよ。花乃ちゃんにこれ以上出番を増やすのは無理だろ? 大丈夫、台詞はほとんどないし、出番も大幅に削るから!」

「いやだってば! どうしてあたしが藤壺なの!」

 必死の形相で拒絶する佳乃を宥めようと、忍は可能な限りの猫撫で声で繰り返した。

「桐壺から紫の出番までは間があるだろ? だから桐壺は台詞をなくしてナレーションで進ませて、シルエットだけを花乃ちゃんにやってもらおうと思って。で、そこから藤壺の登場は間がないんだよ。衣装替えも間に合わないし、第一酷だよこれ以上花乃ちゃんの出番増やすのは。そこで、頼りになる双子の妹の佳乃ちゃんの出番ってわけ」

「か、勝手に決めないでよーっ! 受験生のあたしには酷じゃないって言うの!?」

 少し前までならとてもじゃないが忍の言う事に反論などできなかっただろう。けれど姿を見るだけでどきどきと騒いで収拾のつかなかった感情が、今は懐かしいほど遠く感じられる。

 好きという感情の種類にも色々あるんだな、とふと思ってしまった佳乃は、比べる対象のことまで連鎖的に思いだしそうになり、慌てて頭を振った。

「佳乃ちゃんならもう勉強しなくても大丈夫だって~」

「福原くんって結構いい加減なこと言うのね。落ちたらどうしてくれるの」

 なおも不服を述べる佳乃に、忍は困ったような顔で笑った。「心配性だなあ。それとも、ほかに何かできない理由でもあるの? ……あ、そうか。出番があったら、拓也の見送りに行けな」

「違うっ!」

 佳乃は忍が驚いて肩を竦めるほどの大声で叫んでいた。「そんなんじゃない――」


 どうして、みんなこんなことばかり言うのだろう。だれもあたしの気持ちなど考えてくれない。必死で忘れたいと思っているのに、考えないようにしているのに、邪魔ばかりする。

「佳乃ちゃん……?」

 怪訝な顔で覗きこんでくる忍を見上げて、佳乃はため息をついた。

(ちがう、誰も邪魔なんかしてない。あたしが……まだ、しつこく、未練がましいだけなんだ。それに気付きたくなかっただけなんだ。会わないって決めたのに)

 それでも最後の絆のように、3日の予定を空けたがっている自分が、情けない。

(こんなんじゃ、きっといつまでたっても普通になんてなれない)

「……わかった。やるわ」

 思いがけずあっさりと出た承諾の言葉に、忍はしばらく虚をつかれたようにぽかんとしていた。

「……本当に、いいのか佳乃ちゃん。なんか、ムキになってない?」

「なってないわよ」

 佳乃の声に潜む水面下の迫力に、忍はそれ以上何を言う事もできず、次の台本読みの日程だけを伝えて帰っていった。その日から、佳乃の生活はますます多忙化した。



「佳乃ちゃん、ここの台詞はええっと、誰のこと言ってるかわかる?」

「え? どれ、あー……これは明石のことよ。たしかに解り難いわね、明日福原くんに言っとくわ」

 家では、受験勉強の合間を縫って花乃のセリフ合わせに付き合う傍ら、自分のセリフも覚えながら二人で練習する日が続いた。さすがに大作だけあって台本の太さも半端なかったが、佳乃の出番は一部の序盤と二部の後半少しだけで済みそうだった。

 問題は花乃だ。紫の上は案の定見事なまでに出ずっぱりで、もし佳乃が抜擢されたとしても問題なくやりこなすには相当の根性が必要だと思えるような量だった。

「しっかし本当にやるの、花乃……この量……」

「うーん、思ったより大変だったけど、でもお勉強よりはまだ頑張れるよ。それに、源氏物語って今までまともに読んだことなかったんだけど、面白いんだね」

「そう?」

 佳乃が胡乱な目つきで尋ね返すと、花乃は苦笑した。「源氏さんは、確かに格好いいんだけどウワキっぽいのが気になるかなあ。でもね、紫さんってすっごいいい子だよ、ずっとずっと源氏さんを信じて待ってるんだよ。源氏さんが須磨に流されて独りぼっちで京に残されるシーンなんか、ものすごく可哀相で、ホントに泣いちゃいそうだもん」

 須磨。知っている。他でもない、佳乃が源氏を大嫌いになった原因の巻だ。

 たった一人で身を切るような思いをしている紫を尻目に、流された須磨・明石で浮気をした挙句子供まで作ってそれを紫に育てさせるという、非常識極まりない離れ業をやってのける男――そんなイメージしか抱けなくなった。そしてそれを黙って許せてしまう紫の気持ちも解らなかった。

 それはきっと、これからも解る事はないとは思う。

 けれど佳乃は我知らず台本から須磨を開いていた。そしてそのシーンの花乃のセリフ覚えを手伝いながら、頭の片隅に引っかかった須磨の別れを何度も反芻した。

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