修学旅行・2日目<京都4>
この日は朝から自由行動だった。勝手に出て勝手に廻って勝手に帰ってこいという、いい加減も甚だしい観光予定だが、それも優等生である自分たちが信頼されているという証だろう。
佳乃と夕子は提出した予定表のコピーを手に旅館を出て、洛西へ向かった。
「ええと、嵐山でお昼してからその辺散策して、太秦の映画村行って、広隆寺見て帰ると」
「なんかワンパターンよね、中学とそうかわんないわ。ちょっと変わったことしてみたいなあ……」
そんな夕子の願いは、とんだ形で叶うことになった。
電車に乗ってやって来た嵐山は、案の定紅葉にはまだまだはやく緑一色だったが、それでも名所だけあって人は多い。少し早めに茶屋で昼食を取った後、渡月橋を渡ってタレントショップや土産物屋をぶらぶらとしていた二人は、ぽこぽこと近づいてくる可愛らしい音に振り返った。
「わ、きれい」
芥子色の振り袖にだらりの帯、日本髪に揺れるかんざし。思いがけず遭遇した舞妓の姿に、佳乃は興奮して夕子の袖を引いた。
「見て見て、まさか会えるなんて感激!」
素直に喜ぶ佳乃の様子を見て、夕子は吹き出した。「ばっかね、茶屋街でもないのに本物がいるわけないじゃん。ほら、あそこ」
指さされた先には、土産物屋の軒並に混じって『あなたも今すぐ舞妓になれる!変身処・ののみや』とキャッチコピーの付いた派手な看板があった。
感動していた佳乃は興ざめして恨みがましく夕子を睨んだが、その夕子は不意に真面目な表情になってから、突然にやりと笑った。
佳乃は知っていた。この突然の変化は、夕子がとんでもないことを考えついたときの顔だった。
一時間後。二人は同じ場所に立っていた。
「ほ、ほ、本気なの夕子……勘弁してよ……」
泣きそうな佳乃に対して、夕子は大口を開けてからからと笑う。
「もう今更でしょー。おごってあげたんだからあたしの意向は聞いてもらうわよ。いいじゃない、京都でしかできない、すごい思い出になるって。あんたも結構サマになってるんだし」
こんな思い出、さっさと焼き払ってしまいたいと佳乃は切実に思った。
必死の猛反対を押し切られ、予算不足という切り札も令嬢の財布にはかなわなかった。夕子は気前よく二人分の料金を払ったのだ――舞妓に変身する、1時間だけの魔法代を。
普段は冗談にしか聞こえなくても、実は日本舞踊古流派の師範代というだけあって、夕子の見立ては正確で完璧だった。深い青緑の振り袖は着慣れた夕子にも素直に似合ったし、半ば押しつけられるようにして選ばれた佳乃の藤色の振り袖も、違和感なく扁平な身体におさまった。
「うん、あんたやっぱり似合うんだよこういう格好。童顔うらやましい」
「ふざけたこと言わないでよ、さっさと脱ぎたいのよあたしはー! 嵐山なんかうちの生徒いっぱい来てるに決まってるでしょう、いやよ恥よこんな格好! 第一あたし、夕子と違って今までまともに着物なんか着たことないんだからね!」
佳乃は散々わめきながらも、不安定な身体を支えるために夕子の腕に掴まって歩き出した。そんな二人は、この会話さえ聞かなければ仲睦まじい舞妓の散歩にしか見えなかった。艶やかな袖をふりふり木履の音も高らかに歩く舞妓の姿は、人が多くなると嫌でも目立ってくる。
「見てる、見てるよ、人が見てる。あああ写真撮られた……」
「心配ご無用。大丈夫だよ、絶対ばれないって。あんたもう別人だし、あっはっは」
「人ごとみたいに笑って。ねえ夕子、どこまで行くのよ。足痛い」
履き慣れない木履は最初こそ軽快な音が楽しかったが、思った以上に重く、少し歩いただけで指の股がひりひりしてくる。けれど夕子はそんなものをものともせず、むしろ何かを捜すように目をきょろきょろさせながら大股で歩き続けた。そして、ついに。
「いた――!」
そう叫んだ夕子は、疲れ果ててげんなり俯いている佳乃の肩を突如掴んだ。
「いいこと? あんたは今から店出ししたばっかりの新米舞妓、『よし乃』よ。それからあたしはあんたの先輩の『ゆう乃』。ばれたくないなら、ヘマするんじゃないわよ!」
「はあ……?」
また変なことを言い出した。そう言いたそうに顔を上げた佳乃は、夕子が向かおうとしている先にあるものを見て、吸い込んだ息を凍らせた。
見慣れた制服の一群。その中には、忍と拓也、そして花乃たちがいる。
(ぎょ―――――――ッッ!!!!)
夕子と一緒にいると、いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも。
おねがいだから、もう勘弁して。
(冗談じゃないわよこのバカ! 何する気!?)
佳乃は掴んでいた夕子の手を振り払い、踵を返した。
しかし弱り切った足は木履の重さに悲鳴を上げ、バランスの悪さも手伝って、一歩も動くことなくがくりとつんのめった。そこで何とか踏みとどまろうと踏み出した木履が面白いほど力いっぱい長い袖を踏んづけた結果、佳乃は、ものの見事に顔から地面に突っ込んだ。
「………」
死んだか。
「……よ、よひの……っ」
夕子の声が震えている。今にも爆笑したくてたまらないが、最後の良心のかけらがそれを押しとどめようとしている声だった。手は辛うじて助け起こそうとしているのだが、笑いを押し殺すのに必死になっているせいでまったく力が入らない。
派手な舞妓が顔から地面に激突する瞬間はさぞ見物だったらしい。あたりにどやどやと人垣が集まってきて、さすがの夕子もようやく笑いを収めたときだった。
「大丈夫ですか?」
人垣をかき分けて二人に声をかけたのは、少し先を歩いていたはずの忍だった。
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