それは心に咲く花

(ばかみたい、あたし。ばかみたい……)


 本当にばかみたいだ、と思った。

 どうしてあいつの心配なんかしてしまったのだろう。してやるような義理ではないし(義理があるのは母親であってヤツではない)、あいつと関わっていい思いをしたことなど一度もないことは解っていたはずなのに。

(なんであたしが、こんなにイヤな思いをしなきゃいけないの……)

「あっ! 関口さん! 佳乃ちゃん!」

 名字と名前を一度ずつ呼んで人混みの中から駆け寄ってきた忍が、佳乃の肩をひいて目を見開いた。

「……佳乃ちゃん?」

 佳乃の目には、涙が溢れていた。

(何で泣いてるの、あたし。何一つ悲しいことなんかないのに)

 佳乃はのろのろと目をこすり、忍の方に向き直った。まだ驚いた顔の忍がそこに立っていた。

「ごめん、目にゴミ入っちゃって。みんなであたしを探してくれてたの? ごめんね。神崎はあっちにいたから今なら会えると思うよ。じゃ、ね」

「え、佳乃ちゃん!?」

 忍の止める声も振り切り、佳乃は半ば走るようにしてその場を退散した。もうとても元のように集合して遊びに行くなどという気分にはなれなかった。

(花乃にLINEして、帰ろう……)


『ごめん、先に帰る。楽しんできてね』

 看板に従って何とかたどり着いた中央口広場のベンチに腰掛け、花乃にメッセージを送ったあと、スマホの電源を切る。そうして立ち上がって改札に向かった佳乃は、突然誰かに前をふさがれて驚いた。

「どこ行くの? お嬢さん」

 佳乃は俯いたまま相手の顔も見ず通り過ぎようとした。こんな馬鹿馬鹿しいナンパにつきあう余裕など皆無に等しい。口を開けばおそらくとんでもない騒ぎになるようなことしか言えないだろうということが自分でよく解っていたので、利口な方法を選んだつもりだった。

「つれないなあ。女の子一人で帰るの危ないよー、お兄さんが送ってあげましょう――なんて、こりゃ正真正銘のナンパだなあ。ごめんごめん、怒らないで」

 その口調にはっとして佳乃は振り返る。

「さて、一緒に帰るか、佳乃ちゃん。ついでにオレの分も連絡しといてくれる?」

 目の前でいたずらっぽく笑っていたのは、忍だった。


「何でついてくるの……?」

 弱り切って佳乃が尋ねると、二歩ほど後ろからホームを歩く忍が答えた。

「だって、若くてカワイイ女の子を一人で帰らせるわけにはいかないじゃん」

「若くてカワイイって……それ、高校生のセリフじゃないよ福原君」

 思わず笑ってしまった。佳乃の様子を見た忍は、少しほっとしたように微笑んだ。

「いいや、そんな顔で歩いてたら、絶対変な虫が寄ってくるから」

 佳乃は両手で顔を覆った。忍は何も聞かない、けれど、解ってくれている。

(優しい人。あたしはこんなに、いやな女の子なのに……)

「……福原君は、どうして神崎と友達になったの? アイツと一緒にいて、イヤにならないの?」

 ホームの端まで来てしまった佳乃は、あきらめて立ち止まり、ぽつりと尋ねた。最初に会ったときからずっと、気になっていたことだ。これほど優しい彼がなぜ、掴みにくく不愛想な神崎の親友でいるのか、今はまったく理解できなかった。

 忍はきょとんとした目で佳乃を見て、困ったように笑ってみせた。

「うーん、わからない。気がついたら、そこにあいつがいたって感じかな。初めて会ったのは英語の授業だったけど、それ以来何か気になるっていうか、いつの間にか仲良くなってたんだよなあ」

「そ、そんな自然なヤツじゃないでしょうアイツは。第一あの不自然な口調! あれが人の神経を逆撫でするのよね、何で青春真っ盛りの高校少年がおやじみたいな敬語しかしゃべらないわけ!?」

 あのやけに落ち着いた口調のせいで、佳乃は拓也に何をいわれても見下されているようにしか受け取れないのだった。あれさえなければもっと近寄りやすいし、何よりこんなに腹立たしい気持ちにはならないかもしれないのに。

「確かに。あの口調にはオレも最初驚いたよ、なんでいつも敬語なんだって聞いたこともあるし」

 あはは、と軽快に笑ってから忍はふいに視線を逸らし、線路の向こうを見た。

「でも、あいつにも色々あるみたいなんだ。治らないんです、ってそう一言だけ答えたんだ、あいつ。自分からは絶対に自分のことを話さないし、オレも聞かないけど……あいつにとって、気の許せる友達であればいいかなって、思う」


(この人は本当に、神崎のことが好きなんだ……)

 そしてきっと神崎にとっても、この人は一番信用できる友達なんだろう。そう考えると、佳乃は自分がいかにみっともないことをしたか気付かされた心地だった。これほど神崎のことを考えている忍を差し置いて、佳乃は嫌っているはずの彼の秘密に干渉してしまったのだ。

(そりゃあアイツも怒るわね。ああもう、あたしって救いようのない大バカだ!)

 しゃがみこんで涙を拭う佳乃に、忍は向かいのホームを見やったまま優しく言葉を紡いだ。「拓也はさ、きついけど、きっとそれは必死の抵抗なんだ。どこかで他人を拒絶して、深く立ち入られまいとする自己防衛の姿勢を身につけてる――きっと、昔からそうなんだ。でも、佳乃ちゃんといるときのあいつは、何となく違うと思う。どこがって聞かれると困るんだけど、なんとなくね」

 はにかんだような忍の小さな笑い声を聞きながら、佳乃は深く息をついた。

(なぐさめてくれてるんだね……ありがとう、福原くん)


 ――――あたしは この人が 好き。


 確信は静かに訪れた。

 そっと、降り積もる雪のように、佳乃の心の中に舞い降りた感情。それは、無音。

(ああ、やっぱりそうなんだ。あたしは、この人が好きなんだ……)

 驚きはせず、佳乃は自然にそれを受け止めた。気持ちが身体中に融ける。

 まだゆらゆらと揺れる心の中で、それだけがただ静かに、花を咲かせていた。

(でも、こんなに哀しいのはなぜだろう。どうしてこんなに、静かなんだろう……)

 拭った涙がまたこぼれ落ちた。

「佳乃ちゃん? どうしたの、オレ何か悪いこと言ったかな」

 忍は泣き続ける佳乃を見て、おろおろと慌てふためいた。その様子を見上げて、佳乃は濡れた黒い瞳でほんの少しだけ微笑んだ。

(あなたが好き。だいすき)

 初めて生まれた言葉。

 初めて知ったきもち。


 それは、こころに咲く花。

 それは、生まれ変わる奇跡。

 それは、恋の生まれるとき。


 ――――Reincarnation.

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