6-6. 大人たち(2)

 軍の凱旋とも相まって興奮しきりの民衆にもまれること数十分。ユウキたちはようやく人混みを抜け、目的地であるケッキの宿屋に着いた。

「やっと着いたわね。全くユウキったら人気者なんだから」

「もう。それはセリナのことでしょ」

「うちの嫁に、って引っ張りだこだったのに?」

 セリナの言うよう、ユウキは年頃の息子を持つ親たちに寄ってたかって誘われたが、それはセリナが既婚者だと知られてしまっているからだ。セリナが独身だったなら、皆こぞってセリナに結婚を申し入れていただろう。

 それにユウキへの誘いは挨拶のようなものだ。ユウキもそれはわかっていたが、だからこそ悪い気はしなかった。

 そんな、なんとなく気分が昂揚しているユウキやセリナとは違い、一人ぐったりとしているのはショウだ。

 ショウは会う人会う人、両手に花だとからかわれ、ねたまれ、さらにはお前がセリナの旦那かと、セリナに好意を持つ男たちに喧嘩を売られ、大勢の人にどつかれていた。

 しかもそれは加減を知らないもので、ショウの顔がしかめられることもしばしば。さらには、そのうちのいくつかが鳩尾みずおちに入ったらしく、咳き込むことさえあった。

 ショウからすればこの道中は苦行でしかなかっただろう。

「あー、くそ。これが嫌だから大通り避けたってのに」

 ショウは中に入ってすぐのところの椅子に座り、そのまま木のテーブルに突っ伏した。ユウキとセリナも苦笑しながら同じテーブルの向かいに座る。

 それから間もなく、コトリと目の前にカップが置かれた。そのカップからは甘い香りと温かな湯気が立ち上っていた。

 ユウキは少し驚きながら差し出されたほうに顔を向ける。カップを持ってきてくれたのは、ずいぶんと御年を召されたおじいさんだった。

「あら、今日は調子がいいのね。ありがと、ケッキのおじいちゃん」

 セリナの言葉で、このおじいさんが店主なのだと知る。ユウキもカップを手に取り、お礼を言った。

「ありがとうございます、ケッキさん。いただきます」

「ん」

 店主は低くかすれた声でわずかに返事をし背を向ける。ユウキたちは、丸まり過ぎて痛そうなほどの背中が、のそりのそりとゆっくり離れていくのを見守った。

「ケッキさんね、もう長いこと帳場ちょうばで居眠りしてる姿しか見られてなかったの。こんなよく動いてる姿を見るのは久しぶりね」

 少し寂しそうなセリナの眼差しから、店主の先がもうあまり長くないだろうことを察する。セリナはずっと気にかけていたのだろう。このまま再び動けるようになってくれればと願っているのがわかった。

 ユウキは貰ったカップに口をつける。

 ほんのり甘く味付けされたミルクだった。その温かさはユウキの胸にじんと広がった。

「ええと、どこまで話したんだったかしらね?」

「ロージアやトーツにいる語らいたちにも協力してもらったってとこかな」

 トーツの王弟の言葉を届けるだけでなく、根回しや情報収集、連絡役、交渉役としても語らいたちは大活躍で、大勢が動いてくれていた。

 ユウキたちが話を再開させると、ショウもむくりと起き上がった。

「そう。さすがに語らいたちだけじゃ手が足りないと思って、商人たちの手も借りた。噂を各国に広めてくれたのは彼らだよ。戦争のせいで商売に支障が出てたみたいで、噂を広めることで戦争を終わらせられるならやってやるって。結構快く引き受けてくれたんだ」

 商人の多くは品物だけでなく情報も商品としている。そんな独自のルートを持つ商人が動いてくれたおかげで噂を素早く広めることができたのだ。それが、あの嵐のあとの戦場にトーツの王弟がやってくるということに繋がった。

 噂の影響力はトーツだけに留まらない。健康被害が事実であることを確認したロージアでもまた、小さいとは言えない騒ぎが起きているらしかった。

 ロージアは散々、シュセンを非人道的国家とおとしめて、制裁を加えていた国だ。それが実際にはシュセンが元凶ではなかったというのだから、上層部の者たちは慌てただろう。

 彼らは、ロージアの批判や制裁のせいで国民不満が高まり、風捕りの大虐殺が起ったことを知っている。正義感が強い国だからこそ、責任を感じ、頭を悩ませているに違いなかった。

 とはいえ、きっかけがトーツだったというだけで、シュセンが非人道的な行いをしていたことには変わりない。実際に手を下したのはシュセンだったのだから。

 それに、明らかにはされてないが、風捕りの里に住む仲間を人質に、一部の風捕りに耳の役割を担わせたことや、箝口令を無視した者たちを捕まえて処刑していたことも事実で、常識的な精神を持つ人なら、シュセンの行いが非人道的ではないなど、口が裂けても言えるはずがなかった。

「これからどうすればいいかな。シュセンはまだ、誰に対しても、何の償いもしてない」

「あぁ。国民感情的にも、このままなあなあで終わらせるわけにはいかないと思ってる。この間のセリナの話は、国に対しての圧力にもなったはずだ。国は動くよ」

 今、シュセン国民が知っている事実としては、ポロボの事件の原因がトーツにいいように使われた現場の指揮官の暴走にあり、風捕りの暴走だったとした軍の発表が嘘であった、というのが一つ。

 そしてその爆破時に作戦に関わっていた多くの風捕りが見殺しにされ、生き残った風捕りが処刑されたり、前線に送られたりしたのも、指揮官の暴走という事実を隠すためであったということ。

 ひいては、シュセンが非人道的国家という烙印を押されることになった原因は、風捕りになかったということだ。

「よほど無関心な人でもなければ、ここまでの話は知ってるはず。んで、国民が知ってるってことは、国は保身の意味でも動かないわけにはいかないわけで――」

 ショウがふっと途中で言葉を切った。ショウらしくない思わせぶりな口調にユウキはわずかに眉を顰める。

「その……たぶん、今頃、ナダは拘束されてると思う」

「え!? えぇ!?」

 ユウキは耳を疑った。驚きのあまりショウを二度見する。

「ヤマキが――俺が世話になったスイセイの元副官が動いてるんだけど、逃がさないって言ってたから、たぶんな」

 ナダは手段を選ばない男だ。どんな手を使ってでも言い逃れをすると思っていた。そんな男を拘束できるとは予想だにしていなかった。

 ユウキがナダと対面したとき、ナダに要求したのが箝口令の解除と風捕りの解放だったのも、それがナダが許容できるギリギリのラインだと感じたからだ。ユウキが事実の全て明かすことを求めていたら、きっとナダは許可するしない以前に、鼻で笑い飛ばし、聞かなかったことにしていたことだろう。

 対面は短い時間だったが、ユウキはその時の認識が間違っていたとは思わない。

「拘束ってことは、ナダの罪を国が認めたってこと? ナダのしてきたことが公になるの?」

 ナダが捕えられたということは、現場の指揮官――ウルの暴挙という個人の話で済まされていた問題が、今度は軍部による組織ぐるみの隠ぺいというより大きな問題として扱われるということでもあった。

 国の上層部で起きたごたごたとして内々に処理するにはことが大きすぎる。となれば、ナダが裏で手を引いていたあれこれについて国民にも広く知らしめ、国が下す決断の是非を問わねばならない。

 まだ国民が知らないナダのしたことと言えば、風捕り抹消を誰か――闇屋ではなかったかもしれないとショウは言う――に依頼していたことや風捕り狩りをあえて止めなかったこと。力の制御を学ばせるためという名目で風捕りを集めた先で、間違っても事実が口に上らぬよう国民の声を盗聴をさせていたこともそうであるし、風捕りの里を丸ごと人質としていたこともそうだ。さらには箝口令を破った者の処刑を風捕りにさせていたことも含まれるが――。

 いずれも風捕りや国民たちの心に大きな傷を作った問題だ。無視するわけにはいかなかった。

「でも明かすのは全部じゃない。ここまでずっと苦しんできた風捕りを、さらに苦しめるようなことはしたくないから」

 力強い言葉だった。思わず見たショウの眼差しは真剣そのもので、ショウがずっとこのために動いてくれていたのだと気づいた。

 以前、ユウキは、風捕りを解放したところで迫害されるだけだと言ったナダに、そんなことにはならない、そんな時代ではないと答えたことがある。

 あのとき、ユウキに大丈夫だなどという確信は全くなかった。だが、今なら――ショウたちが動いてくれた今なら、自信を持って言える。

 風捕りはもう迫害されない。多少の時間はかかったとしても、以前のように他の人々とも暮らしていける、と。

「――ショウっ」

 ユウキはばっとテーブルに身を乗り出すと、ショウの両手をギュッと握った。そしてその手に額をつける。


 本当はずっと逃げ出したかった。辛くて、苦しくて、わけがわからなくて、全部夢だったらいいのにと思っていた。

 これ以上、誰にも命を落としてほしくない。軍に利用されている風捕りを救いたい。怯え萎縮している国民たちの心を解放したい。

 どれもユウキの本心だった。けれど、同時に他人事のようにも感じていた。

 それはそうだろう。真実は隠され、自分が風捕りと呼ばれる一族だったことも知らなかったのだから。ましてや荒内海の大戦が休戦となったのはユウキが生まれる前のことで、ユウキは戦争すら知らなかった。

 ただ、ユウキはショウが後悔にさいまれながら風捕りの女性を探していることを知っていた。その苦しげな姿を見たくない一心で踏み留まったのだ。もしショウと出会わなければ、ユウキはとっくに逃げ出していただろう。

 ユウキは決して風捕りとして、正義の味方として立ち向かったわけではない。それなのにショウはユウキを見捨てなかった。それどころか、救ってくれることまでした。

 きっとショウは北の小屋を出る時には心を決めていたのだろう。たとえ自分の目的を果たすのが遅くなろうとも、風捕りが、ユウキが安心して暮らせるようにできるなら、センリョウに行き、父親の力を借りることもいとわないと。


 いくら感謝してもし足りなかった。込み上げる思いは、気づけば涙となってそこにあふれていた。

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