4-5. 時は止まらない(1)

          *

「おい、聞いたか! またトーツの街を落としたって」

 センリョウ城下の酒場。そこに一人の中年男性が飛び込んで来た。常連客なのだろう、先にテーブルについて飲んでいた男たちが大仰に歓迎する。

「おう、ミズキ! 遅かったじゃねぇか」

「ミズキ、それ本当か! これで三か所目だな。さすが、我らがシュセンだぜ」

「誰だよ、ロージアがでしゃばって来るって言ったやつ。来ねぇじゃん」

 まさにこれがシュセン軍の士気を高めている一番の要因だった。戦争が再開されてから早二か月。ロージアに参戦する気配はなかった。

「よし、俺も行って来るぜ! 見てろよ、街の一つや二つ、俺様の腕にかかりゃ余裕だかんな。トーツのやつらにぎゃふんと言わせてやんぜ」

「勝ち戦のときだけ行くんだから、カイザのおっさんも調子いいわな」

「わりぃかよ」

「んなこたぁ言ってねぇだろ。よっしゃ、わかった。俺も行く!」

「ちげぇだろ、おめぇはもう招集かかってんじゃんねぇか」

「ちっ、ばれたか」

 男たちはシュセンの善戦に大興奮だった。その盛り上がりはあっという間に見知らぬ客をも巻き込み、前祝いと称しての大宴会となった。

 果たしてここにいる人々は気づいているだろうか。成人する十八から三十代前半の青年たちの姿が街からすっかりと消えていることに。

 アキトはいつもと同じただ強いだけの酒を頼み、店の隅で仲の良い男たちをながめる。その目を細めたアキトの瞳には、羨望せんぼうのような感情が見えていた。


 かつてはアキトにも、気の置けない友人と呼べるような存在がいた。アキトの右腕とも称され、唯一アキトが心を許していた腹心の部下だ。けれど、それはアキトの思い違いだった。想いはアキトの一方通行で、その男の方からしてみれば、アキトは使い勝手のいい道具か、ただの獲物か、そんなものでしかなかった。

 その現実を目の当たりにしたのは、荒内海の大戦が休戦となってから半年後のこと。シュセンで起こり始めた異変を察知したアキトが、その男を呼び出し問い詰めたときのことだった。

「アキトさんともあろうお人が、今頃お気づきになったんですか?」

 向けられたのはさげすみの視線。明るく人懐っこい性格のこの男からは普段感じられることない負の感情だった。見たことないその様子に、アキトは大きなショックを受けた。

「お前が情報を止めていたからだろう。何故こんなことをした! 自分が何をやっているのかわかってるのか!」

「逆に何をそんなお怒りなのかわかりませんね。うちは別に正義の味方ってわけじゃないでしょう? むしろ真逆の存在だ。これしきのことで何をぐだぐだ言ってらっしゃるんだか」

 これしきのこと、と言って済ませられる問題ではなかった。男がしたのは、アキトに黙って国と取引をし、風捕り抹消の依頼を受けたということ。闇屋を名乗れるのはかしらであるアキトだけであり、男の行為は頭をかたって勝手に依頼を受けたとみなされる違反行為だった。

 とはいえ、引き受けたところで闇屋の手足を動かすことはできない。大きな問題に発展することはないはずだった。

 だが、その違反をしたのがこの男であったことがまずかった。この男がアキトの最も信頼する腹心の部下であるということは、末端の人間でも知っており、ゆえに、この男の指示で動いてしまったのだ。

 アキトはすぐに気づけなかった。風捕り狩りが始まって、ようやく異変に気づき男を呼び出したが、あまりにも遅過ぎた。

「それがお前の本性か?」

「ふっ、そうですよ。別に隠していたつもりもありませんけどね」

 嘲笑するその姿はアキトの知る男とはまるで別人だった。これまでずっと、爪を隠し、アキトが油断するのを待っていただろうことは容易に窺い知れた。

 男が動いたのは、アキトが闇屋の頭として代替わりして三年目のこと。頭の仕事にも慣れ、ちょうど気の緩んだタイミングだった。

 先代を蹴落とすよりも、先代に認めさせるよりも、なり立ての新しい頭を潰すほうが簡単であることは間違いない。男の狙いは初めからアキトで、そのためにアキトの信用を勝ち得るよう振る舞っていたようだ。

 さらにそれは、荒内海の大戦が休戦となった時期とも前後していた。休戦交渉以降に生じた国の混乱は、男がアキトの目を盗んで動くのに一役買っており、それもあって、アキトはこの日まで、男の行動に気づけなかったのだ。

「これからどうするつもりだ」

「もちろん、風捕りの存在をなかったことにします」

「お前にできるのか、それが」

 射抜くような視線を向ければ、男はわずかにたじろぎ、それから苛立たしげに答える。

「当然です。僕の動きに気づけなかったアキトさんにできて、僕にできないはずないじゃないですか」

 アキトにも油断した自分が悪いという自覚はある。だが、自らがしでかしたことの重大ささえ理解していない男に、当然だとのたまわれるのは、アキトの闇屋としての矜持きょうじが許さなかった。

「――そうか。なら、勝手にしろ」

 この依頼が成功することはない。成功するための前提条件が満たされていないのだからあたりまえだ。この男がいつそれに気づき、そして、どう収拾つけるか、その慌て様を想像して、アキトは自らの心をなだめた。

 だが、アキトはやはり、冷静さを欠いていたのだろう。アキトの決断は個のものであり、闇屋としてのものではなかった。

 闇屋の頭として行動するなら、男を処罰し、すぐにでも事態の収集に努めるべきだった。依頼の未達成は不名誉であり、そして闇屋の信頼を損なうもの。それだけでなく、この出来事は何十年と尾を引く、争乱の種になりうるものだったのだから。

 けれど、アキトは動かなかった。アキトは現実から目を背け、しばらくの間、この依頼に関して、闇屋としての責務を放棄した。

 アキトの予想通り、男の仕事は失敗に終わる。どんなに風捕りの数が減ろうとも、その名が人の口に上らなくなろうとも、風捕りが存在したという記憶自体は、人々の中に深く刻み込まれ、完全に抹消されることはなかった。


 巷では闇屋の仕事とささやかれている風捕りの抹消。その全てはこの男の計略によるものだった。

 非人道的国家との烙印が押された原因が、風捕りであると広めたのも。風捕り狩りを人々に提案し、先導したのも。風捕りが復讐に来ることをちらつかせ、国民を引き返せなくさせたのも。そんな国民たちを縛るための方法を国に提示したのも。

 全て全てこの男のせいだ。シュセンはこの男によってもてあそばれた。

 だが、それら罪を問おうにも、もうこの男はいない。何故なら、アキトが殺してしまったから。

 あれは風捕り狩りが収束し、国が愚かな布告を出したときのこと。気づけばアキトは男の首をねていた。

 アキト自身も不思議だった。三年も放置して、自分の中に燃え上がるような怒りがあったというわけでもないのに、身体が勝手に動いていた。

 だが、もっと重い罪を課すべきだったかもしれない。闇屋はある種の禁を犯した。いや、犯しかけていると言うべきか。裏社会には裏社会のルールがあり、力を持てば持つほど、その厳格さを求められる。特に重んじられるのが依頼主との契約。抜け道をいくら作ろうが問題ないが、真っ向から反することだけは許されない。

 闇屋の場合、依頼が達成できなかった上に、依頼主の意に反することに加担したとみなされることは避けねばならなかった。いくらシュセン東部の王者ともてはやされようとも、協力者を失えば、たちまちその地位は失墜する。

 だが、だからこそ、あの男を簡単に殺してしまったことを後悔した。それこそ死を救いと感じるほどに苦しめてから殺してやりたかった。

 あれからずっと、アキトの心には暗い感情がくすぶり続けている。

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