4-2. 交錯する思惑(4)

          *

 父に渡されたのは法律の本。特に刑罰について詳しく書かれた書物だった。

 部屋に戻ったショウは、父への当てつけのように勉学に没頭した。その鬼気迫ききせまる様に、ヤスジでさえ声をかけられなかったらしく、気づけば夕食は冷めてそこに置かれてあった。

 翌朝にはそれも落ち着いた。だが、ショウは昨日の子どもじみた行動を思い出し、身悶みもだえる。とそのとき、不意にドアが開いた。

「朝食をお持ちいたしました」

 使用人がカートを押して入ってくる。ショウは慌てて姿勢を正し、表情を取りつくろった。

 それから、支度が整ったタイミングを見計みはからって声をかける。

「あのさ、ヤスジの手が空くようなら、呼んできてほしいんだけど……」

 恐る恐るお願いをすると、使用人は笑顔で引き受けてくれた。

 ショウはほっと息を吐き、食事に手をつける。

 こうして一人で食事を摂ることにはまだ慣れない。帰ってきてから一人でなかったのは、初日に父と共にした夕食だけだ。父と顔を合わせずに済むことは嬉しいが、やはり一人きりの食事は味気なく、つまらなかった。

 ユウキと一緒だった頃は、食べるものこそ、携帯食だとか、丸焼きにしただけの肉だとか、ろくなものではなかったが、それでももっとおいしく感じていた。まだユウキと別れてさほどたっていないというのに、ずっと昔のことのように懐かしく思えた。

 そんなことをぼんやりと考えながら食事を進めていると、間もなくヤスジがやってきた。

「お呼びでございますか、ショウ様」

 ふと、ヤスジは昨日の父とのやり取りを知っているのだろうかと考えて、ショウは複雑な気持ちになった。あのやり取りでは、せっかくのヤスジの心遣いを無駄にしてしまったような気がした。

「手が空くようならなどとはおっしゃらずに、命じてよろしいのですよ。「君、ヤスジを呼んできたまえ」とでもおっしゃればよろしいのです」

 ヤスジはショウが心苦しく思っていることに気づいているだろうに、そこには触れてこない。そんなヤスジの優しさが心にみた。

 ショウはくしゃりとした笑みを浮かべる。少しだけ泣きそうだった。

「嘘つけ。本当にそう言ったら、えらそうな口をきくんじゃありません、って叱るくせに」

「さて、それはどうでしょう」

 ショウがその軽口に乗る形で反論すると、ヤスジはにんまりと笑った。口でははぐらかすようなことを言っているが、表情がそれを肯定していた。

 だからヤスジは好きだ。ヤスジといると心が軽くなる。ショウは気分が晴れやかになったところで、いよいよ本題に入った。

「ヤスジ、昨日、親父にこの本を渡されたんだけど……俺、あの人が今、何の仕事をしてるのか知らなくて。教えてくれないか?」

 ショウはこれまで意図的に父に関する情報を避けてきた。だからショウの記憶の中では、父はまだ外交官のままだ。だが、渡された書物からすると、どうも違うようだった。

「多少なりとも書物には目を通されたのですよね。では、もうお気づきなのではありませんか? 旦那様が何の職に就かれているのか」

「やっぱりそうなのか? 刑務官なのか?」

 ショウは信じられない思いで口にする。

 法律やら刑罰やらの知識が必要となる仕事は、文官であれば刑務官、武官であれば、警察隊が主となる。父はほとんど武術をたしなまないため、刑務官以外ありえなかったが、それは意外を通り越して異常なことだった。間違っても外交官を務めた経験を持つ父がつく仕事ではない。

「えぇ。ですが、旦那様は高官であらせられますから、囚人の監督などではなく、刑をお決めになるなどの仕事をなさっているようです」

「何があった? 父は外交官をやめさせられたのか?」

 外交官というのは、シュセンではエリートと呼ばれる部類の職務だ。多くの権限を委譲され、本人の裁量に任される部分も多い。

 それに対して刑務部は、落ちこぼれでこそないが嫌われ者の集う部署だった。高官になれば、王の承認は必要だが、刑罰を決められるようになるために発言力も強くなるが、恨まれやすく、報復の標的にされやすい危険な職場だ。好んで異動する者はいなかった。

「左遷されたのか……」

 それしか考えられなかった。父がそんなへまをするとも思えないが、そうでもなければ刑務官になどなるはずがない。

「仕方ありませんね。本来であれば私の口から申し上げるようなお話ではないのですが。旦那様が自らお話なさることもないでしょうし、私からお話しさせていただくことといたしましょう」

 そう前置きして、ヤスジは話を始めた。

「左遷というよりは、処罰と言うべきでしょうか。あれは十二年前のことでしたから」

 十二年前。父は刑務官として地方の施設に異動を命ぜられた。初めはそれこそ、牢獄の監視役にまで落とされたという。それでも父は仕事を放棄せず、若くガラの悪い平民の官吏と一緒に、その地味な仕事を真面目にこなし続けた。

 まだショウがこの家にいた頃のことだ。なかなかどころか全く家に帰ってこないとショウは思っていたが、地方に飛ばされていたとは欠片も考えなかった。

「十二年前ってことは、やっぱり……」

「えぇ、彼女のことは無関係ではありません。あの頃、リョッカたちの一族には国から招集がかけられておりました。それには通報の義務もございましたから、リョッカの存在を知りつつ、引き留めていたことは、罪にあたります。罰せられるのも致し方ないことだったのでしょう」

 その頃、風捕りには、混乱した国民の狂気から保護するためといった名目で、招集がかけられていた。そして国民には、風捕りに危険な特殊能力としての自覚をうながし、暴走を防ぐための教育をほどこすという名目が提示され、通報の義務が課された。

 ただ、状況が状況だけに、そんな真っ当な理由で招集されているわけではないと、ほとんどの人は理解していたという。少なくとも、行動の自由が奪われることは確実だと、皆理解していた。

 だから父はリョッカをかくまった。その結果、これまで築き上げてきた地位を奪われ、どん底に落とされ、そしてショウに黙ったまま、地方へと赴任していった。

 影響は様々な場所に出た。母を亡くしたばかりのショウの世話は完全に使用人任せになってしまっていたし、貴族としての義務はなくならないため、センリョウに代理人を置く必要や、頻繁に行き来する必要が生じた。

 だからといって、父がセンリョウに返り咲くためには、あまり仕事を休むこともできず、父は屋敷に立ち寄っても、泊まることはまずなかったという。

 さらに年を追うごとに明らかになったのは、報酬が減らされたことによる影響だ。外交官時代の十分の一にも満たない給与になってしまったため、屋敷の維持に不安を抱くようになったのだ。もともと資産は十分にある。すぐにどうこうしなくてはならないという問題ではなかったが、一生、父が下っ端刑務官だった場合まで想定するのなら、何らかの対策はしておくべきだった。

 そうして、あるじ不在のセンリョウの屋敷からは徐々に人が減らされていくことになった。そして、ショウが家を出るのを機に大幅に削減され、最終的には使用人の三分の二が解雇された。屋敷の外観が酷いことになっていたのも、今、見知らぬ使用人が多いのも、一度使用人を解雇したためらしい。

 家出したショウを放っておいたのも、おそらく、父自身が這い上がって来れるかわからなかったからだろう。後妻がいないのも、養子がいないのも同じ理由からだろう。

 いや、もしかすると父は自分の代で家を潰す気だったのかもしれない。だから、ショウに代わる跡継ぎを用意しなかった。それが真実のような気がした。

「結果としては、こうしてセンリョウに戻ることができましたから、杞憂だったのかもしれません。ですが、旦那様はご当主であらせられますから、何の手も打たないというわけにはいかなかったのでしょう。特に使用人たちは歳を取ってからでは他家に移るのも難しいですから」

 どん底にまで落とされても這い上がってくる父は、やはりただ者ではないと思う。

 こんな父の仕事を手伝うのかと思うと、一気に自信がなくなった。父の仕事を本格的に手伝うには、高度な法的知識と、多くの経験、そして確かな判断力が必要になる。手伝いだけとはいえ、ショウにはかなり荷の重い仕事だった。見返してやりたいと思っていたが、やはり簡単なことではなさそうだ。

「旦那様はセンリョウに戻られましたが、足場固めはまだ十分とは言えません。処罰されたという事実は、貴族としては致命的です。裏の手段こそいくつもお持ちですが、正攻法で戦わなくてはならなくなった場合、今のままでは厳しいでしょう。旦那様のお味方は多くはございませんから。ですからどうか、ショウ様が旦那様のお力になって差し上げてください」

「――え?」

 その言葉でショウは気づかされる。父がセンリョウに戻ってきたのは、まだ、ここ数年のことなのだと。

 昨日は、父がショウを懐柔しようとしていると気づき怒り狂ったが、父があんな態度なのも、ショウを信用していないのも、ショウを許せないのも、仕方のないことだと思った。ショウは自分が気づいていなかっただけで、父が何よりも大切にしていた仕事も奪ってしまっていた。

「……知るかよ、そんなの」

「ショウ様」

 投げやりに言うと、ヤスジがとがめるような口調でその名を呼ぶ。ヤスジにそんな風に呼ばれてしまえば、もう素直になるしかなかった。

「わかってるよ。手伝うって約束したし……それは、ちゃんとやる」

「えぇ。ぜひ、そうなさって下さい」

 ヤスジはその顔にいつもの穏やかな笑みを浮かべた。

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